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趣味を消費して感性を磨く

趣味は「消費する趣味」と「生産する趣味」とに分けられるらしい。他人が生産したものを楽しむのが消費する趣味らしい。映画鑑賞や音楽鑑賞、グルメを食べる、スポーツ観戦など…

私は映画鑑賞や読書、ネットサーフィンが趣味の大部分を占めるので「消費する趣味」がメインってことになる。

でも、単に映画を観たりどなたかの文章を読んで、「楽しかったー。はい、終わり」というのではなくて、消費したコンテンツを元にあーでもないこーでもないと自分なりに分析したり考察したりするのが好き。コンテンツそのものを楽しんでるというよりも、コンテンツを利用して思考を深めている。コンテンツはネタなのだ。(N型あるあるかもしれない)

その結果、目に見える何かを産み出して
いるわけではないし、物質的に得るものは何もないけれど、消費したものは血となり肉となり自分の感性や価値観に影響を及ぼしているのは確かだ。

だから、“消費”する趣味とはいうけれど“浪費”してるわけじゃなく、養分としてちゃんと蓄えられている。

noteを書くにせよ、ピアノを弾くにせよ、何かを生み出す際に0から生まれるなんてことはなくて、自分の中に蓄えがあるからこそ、表現として生み出せるんだと思う。普段から消費して吸収し、感性を磨いておくことは大事だ。というのが最近の気付き。

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ピアノをやってたころ、ピアノの先生とは概ね2通りのタイプに分けられて、

①「勉強したり遊んだりせずにピアノだけに集中して練習しなさい!」って先生と
②「ピアノ以外のこともたくさん経験して感性を磨きなさい」って先生。

①のタイプが多いと思われるし、私の習ってきた先生は①のタイプが多かった。まぁ、技術は裏切らないので子供のうちにとにかく練習するのが大事だと思う。

②のタイプの先生ともちょこっと知り合い、しばらくその意味がわからなかった。感性を磨いたところでそれが表にあらわれるには時間がかかるし、他者にまで伝わるのかは謎だと思っていた。たとえば、私が富士山に感動したからって、私の演奏を聞いた人に私が富士山を見て感動したことは伝わらない…

だったら、外に出かけるより、たくさん練習した方が堅実だ
なんて思ったり。

でもここ4年ぐらい、自分が感じたり心動かされたことは自分の中に蓄積されていて、自分の中の引き出しが広がってるんだと気づいた。単に経験を増やしたり、芸術に触れればよいというのではなく、対象はなんであれ、いかに自分の心が動かされたかが大事。

実際、感じれない曲は好きになれないから弾けない(弾きたいとも思わない)。感じるためには感じれるだけの感受性が必要。だから、引き出しを広げて、感じる力を鍛えておくことが大事なんだと思う。

ちなみに、10代のころはフランス映画とか曖昧な映画の良さがわからなかった。フランス音楽にも興味がなかった。でも、20歳過ぎから鬱々とした映画やフランス映画を観れるようになり、フランス音楽をなぜか弾きたくなった。波長の変化みたいなのってあるんだろう。

世の中にはたくさんの楽しみがあるけれど、何に楽しみを見出だすかは人それぞれだ。一律的ではなくて、個々の感性にかかっている。だからこそ、心動かされた物事がその人の内面をつくるし、好きなものはその人の雰囲気として外にまで醸し出るものだと思う。

私は趣味嗜好の幅の狭い人間だが、ずっと良さを理解できなかったものに突然ふと良さを感じる瞬間があって、人生って不思議なものだなと思う。



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