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「本当は」に気づく
何の気なしにタイムラインを見ていたら、こんな投稿があった。
大学院で嬉しかったこと
— 島田光一郎(Dr. Koichiro Shimada) (@Account_KS_1) April 4, 2024
研究科内で賞をもらえたこと
もっと嬉しかったこと
先生から個人的に『論文、良かったよ!!』と言われたこと
本当に本当に嬉しかったこと
発見の瞬間に立ち会えたこと
本当に本当に本当に嬉しかったこと
好きなことをじっくり考えられたこと
研究の喜びはより内側にあります
読んでいたら涙が出てきてた。
その涙の感触に、自分でびっくりした。
だって、なんで泣いてるのか分からなかったから。自分のことなのに。
でも、確実なのは悲しい感じじゃなかった。
何かこう、心が揺れ動いた感覚。
ってことは多分、大事な何かに今触れたんだ。
少し立ち止まって考えてみる。
読んだ時、イメージしたことを振り返ってみる。
論文を書けてお世話になった先生たちに「ようやく書けました!」と渡すところ。
発見した瞬間のこと。
これまで何度も見てきた文字たちが全く違った姿で見えるようになったあの瞬間。ほんの少しの違いから、書写した名もなき人の動きが見えた瞬間。
途方もない大きな壁を前にじっくり取り組める環境があったこと。それを周りの人たちが何も言わずに作ってくれていたこと。自分は本当にいろんな人に支えられていたこと。
成果を出せなくて申し訳ありませんもありがとうございますも、どんなに言葉を尽くしても足りなかった。だから
「研究っていう共通言語でこたえたい。」
埋もれてた自分の気持ちが見えた。
埋もれてたというか、もう自分のこと信じられなくてこんなこと思っても無駄だって見ないようにしてきたのかもしれない。
今、性懲りもなくまた研究を再開したけど、
これをどうにか形にしたいな。
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