くじら

文系大学院生の記録。 研究・自己観察・本・犬のこと。

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    文系院生の研究の日々(失敗談が多め)

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    書くことを習慣にしてみよう実験の記録たち。

最近の記事

「頑張ってほしい」の暴力性

最近ウェブ媒体でこんな記事を見つけた。 「どうしてあなたは強くなろうとしないのですか?」 とても簡単にいうと、人を引き上げようとする力のもつ暴力性について言及したエッセイ。 読み終えてぐうと唸った。間違いなくその暴力性が私にもある。その一方で、この数年、この暴力性を浴びてきた気もしている。 手を差し伸べること 自信がなく、うまくいっていない人間をみると、皆手を差し伸べてくれる。時には、引き上げようと、前に進ませようとしてくれる。それは紛れもない優しさだ。 けれど、その人

    • 冬のモクレン(李良枝『ことばの杖』)

      李良枝(イ・ヤンジ)という作家 大学院の知り合いに本をもらってなんとなく読み始めたのがきっかけだったのに、いつのまにか彼女の文章、感性が好きになっていた。 彼女の生い立ちや初期の作品を読むと、一度決めたら行動しないと気が済まないような溌剌さ(破天荒?)を持っているように見える。 けれど、それと同時に、やり場のない自らのエネルギーに押しつぶされそうになる危うさを内包していて、ひとつの物事に対して普遍的なものを見出そうとする、ある種の深刻な眼を持ち合わせているのを感じる。 そ

      • いぬの介護日記3

        我が家には、老犬がいる。御年、約17歳。よく食べ、よく寝て、よく鳴く。 そんなお犬さんの介護の日々。 お犬さんは、ここ1年くらいでよく吐くようになった。 医者が言うには、病気というよりも年齢ゆえのものらしい。たしかに、吐いたらケロッとしている。なんなら、出したから腹が減ったと怒ることも多い。元気なので特にこちらも心配しすぎずに対応している。 ある日の午前中、隣で作業していると、ぐえっぐえっと始まった。 「気持ち悪いんですね、大丈夫だよー」なんて声を掛けながら受け止める準備

        • 朝の風景

          1時間間違えた。 今日は、本当は9時半から勤務だったのに、何を思ったのか8時半に出勤していた。ただでさえ昨日は飲み散らかして寝るのが遅かったのだから、もっと寝ていられたのにあほすぎる。 他の人たちは皆出払っていて、部屋には私しかいない。エアコンのファンと時計の音が時折聞こえるくらいで、部屋はひっそりとしている。どこか暖かさを保っているのは、多分カーテンを全開にした窓から注ぐ日の光だろう。 さっきまで人のいた気配を纏いながらも誰もいない空間が、結構好きかもしれない。暖かさ

        「頑張ってほしい」の暴力性

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        記事

          いぬの介護日記2

          ※今日は、あんまりきれいな話ではないので、苦手な方は申し訳ない。ここで引き返してください。 我が家には、御年17歳(推定)の老犬がいる。 身体は健在、だけど頭はちょっとぼけている。 毎日よく食べ、よく出し、よく鳴く。 ある日の午前中、わたしは仕事が休みだったので、犬の世話係。リビングで研究をしていたのだけど、いつものごとく聞こえてくるピエーピエーという鳴き声。「まだお昼ご飯まで1時間以上あるからね、待っててください」そう言ってもお構いなしに泣き続ける。 仕方ないので隣に

          いぬの介護日記2

          手渡すこと、本を編むこと

          わたしは自分のために書いている。そして、 ちょっぴりだれかの明日が楽しくなればいいと思って書いている。 受け継ぐこと 「明日が楽しくなる」この言葉は受け売りだけど、かつての自分にも、今の自分にもしっくりくる。ある時から敵視というか恐れるようになってしまった人の言葉だったから、この言葉を思い出したこと自体が久しぶりで、それが自分のなかから湧き出てきたもんだからなんだか嬉しかった。 手渡すこと きっとその人との関係性は、もう戻ることはない。けれど、たしかにわたしの中に少し

          手渡すこと、本を編むこと

          「蠢」という形

          「うごめく」と書きたくて漢字を調べた。なんとなく読めはするけれど、書こうとしたらどんな字だったのかわからなくて。 調べたら「蠢く」だと。 なるほど「蠢く」ねなんて思いながら書いていて、はっとした。春の下にふたつの虫。虫という漢字が並びあうだけで、なんだかたくさんの虫を示しているように思える。一瞬、わたしだったら、「土」の下に「虫」ふたつにするなあとか思った。 でも思い直す。やっぱりこれは「春」のほうがいい。「春」が上にくることで、寒さのなかにも暖かさが混じってくる気温や風

          「蠢」という形

          旅日記~北海道・釧路~

          朝7時の飛行機に乗って、ひとり釧路にいった。 絵を見に行くために この夏、釧路芸術館で鴨居玲(かもいれい)という画家の展示をしていた。タイトルは「生と死をみつめて」。存在は知っていたのだけど、実物はみたことがなかった。夏休みだしやすくない金額だったけど、なぜか今見に行ったほうがいい気がして勢いでチケットをかったのだった。久しぶりの空港でちょっと緊張して手続きを終え、無事に搭乗。窓からみえる景色を横目に、ふと、あと数時間後にはわたしは変わっているのだという確信をもった。なぜ

          旅日記~北海道・釧路~

          継続日記

          今日も書いている。これまでの自分からしたら驚くこと。だって、わたしは継続がもっとも苦手だった。 勢いがつけばガーっとやるけれど、それが終わればポイっと投げ捨てる。もう見ない。そうやってきたから、上がり下がりが激しいし、それに呑まれてしまうことがある。定期的に成果を求められる作業が苦手で、躓いた。 でも今はできている。ほんとうに、細々とだけど。特に成果になっているわけでもない。ただ、自分が少しずつ変わってきている気がする。毎日、自分のなかで何かがうごめいていて、それが書くこと

          いぬの介護日記

          わたしの家には犬がいる。御年17歳(保護犬なので多分それくらい)。 ボケてきていて足腰も弱め。でも健康体で、未だに15㎏はある。おまけに自己主張はかなり強め。その結果、少しでも目を離すとなにをしでかすか分からず、常にだれかが一緒にいなくちゃいけない。 仕事のない日、家で面倒みる日は、自分の人生で使うと思ってなかった言葉が飛び交いまくる。「おしりなめないでください!」(犬のおしりのことです)「もらしたな!」「うんこしてますね(絶望)」「すっきりしてなにより(疲労)」これがなく

          いぬの介護日記

          ぐうたら日記

          どんよりしている。天気も気分も。 今日は台風。楽しみにしていた予定も白紙に。「白紙」って打った時に「博士」ってでてきて、ああ研究。そんな変換ひとつでため息。やる気がない。と言いながらもこうやって今日も書いている。毎日続けることをやってきて、noteで投稿しない日もこうやってだらだらと書いている。それに意味があるのかはよくわからない。けど、わたしは何よりも自分に興味があるから、まあやっていたほうがいい。とはいえねむい。ぼーっとする。なにをしたらいいのやら。やることはたくさんあ

          ぐうたら日記

          架け橋の言葉、分断の言葉

          呼び止められて、なにか聞かれて、答えたらすぐそっぽを向かれた、そんな始まりだった気がする。 それがかちんときたのか、その時にはもう怒鳴っていた。内容はよく覚えていない。けれど、ひとしきり言った後で、その人は「僕はずっと変わっていない」と一言。わたしは言う、「でもあの時から変わった。わたしはそれを方針を変えたのだと思うようにしていた」と。その瞬間の、自分を守るための言葉を吐いたなという感覚が生生しく残っている。その人は答えなかった。しばらくして口を開いたのはわたしのほうだった。

          架け橋の言葉、分断の言葉

          その言葉には血が通っているか

          最近、自分のことばたちが、どこかで見たものをトレースしかけているなと怖くなった。 とはいえ、ながーい歴史のなかで、多くの作品、思考、そういうのはすべてトレースから生まれているのは事実。ただ、なんていうかそれが自分の血肉になる前に使おうとしている感覚がある。たとえば、SNSで「無理しないで」っていうことばがよく飛び交っているけれど、それを書く時や話す時にそのまま、自分のことばになっていないのにポンっとでてしまったことがあった。それがあたかも自分の考えみたいに。 それのなにが

          その言葉には血が通っているか

          そっと祈りを込めて

          走り続けて、あ、もうやばいかなってなった時には時すでに遅し。鬱になっていた。今年から思い切って働きはじめて社会にでてみたら、ああ鬱だったあの時間は、こういう環境の人たちからみれば無駄だったんだなと思った。あの時の自分は、足掻いているつもりでいて本当に止まっていたんだなと感じたから。その間にも日々動いていた人たちがたくさんいたのだなと。 だから仕事に行くとよく思う。 「もっと早く選択していれば、もっと早く動いていれば、もっと早く」。 でも、その一方で、そのはやさが嫌だった。

          そっと祈りを込めて

          他者は向こうからやってくる

          少し前に、大学院で知り合った人がぽつりとこう言っていた。 「他者は向こうからやってくるものだよね」 わたしたち人文系の研究は、目の前の作品を読むっていうシンプルな作業をしているんだけど、面白いことに読めないときがある。読んでるのに。 そういう時ってだいたい、自分ですべてどうにかしようとしている、自己完結しようとしている時な気がする。作品だって、書いているのは「作者」という「他者」で、物理的には本を通して目の前にいる他者と向き合うことになる。だから、読む自分自身が、他者を受

          他者は向こうからやってくる

          葉を集め続けること

          今、継続をテーマに夏を過ごしている。 「継続は力なり」というし、事実、その継続のなかで気づいたこと、変わったことはある。自分にとって、まさかみたいな出会いが起きたり、自分のリズムが戻ってきたり、考えが話せるようになってきたりと得たものはさまざま。だけれど、別にやめてもいいのだ。続けなくてもいいのである。それは、わたしが来年このままじゃだめだとか思って、継続するならもっとちゃんとしなきゃってすぐ思ってしまうから言い聞かせているんだけど。 振り返れば、いつも本当に自分に必要なも

          葉を集め続けること