くじら

大学院生のあがきとぼやき

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大学院生のあがきとぼやき

最近の記事

変わるということ

研究室の本棚の向かい。 これが私の定位置。 研究室に行くと、なぜかいつも教授とは向かい合わずに、本に向かって教授と話す。 学部の頃からだからもう10年近くそうしてることになる。 その間、多少の出入りはあったけど、本たちは変わることなくそこにあった。 この前、久しぶりに研究室にお邪魔した。 休学中なのもあったからずいぶん時間が空いた。 この1,2年でいろんなことが変わった。 あれだけ楽しくやりがいを感じていた(なにより自信があった)研究がつらくなった。 鬱になったのをきっ

    • 好きな時間

      せわしない日々のなかで、あなたが好きな時間はなんですか? そう聞かれて咄嗟に思い浮べたのは、研究している時。 研究している時の静けさが好き。 いつもと同じ部屋にいて、外でも内でも物音がしているのに、 何も聞こえなくなって、ただ自分と作品だけの空間になる。 それはとっても孤独で、怖いし苦しい。 でも、この静けさでしか向き合えないことがある。 向き合えない人がいる。 ほんとはクレープのひとくちめを食べる時とかを思い浮かべたかったけど。 傍から見たらどうであれ、自分にとって

      • 昼下がりの電車にて

        6月に入った。今日は暑い。 日差しが夏を帯びてる感じ。 仕事が早く終わって久しぶりにガラガラの電車に乗った。 昔から昼下がりのバスや電車が好き。 窓から差し込む日の暖かさを感じられるから。 今日も本を読んでいたら、突然日が差し込んできた。トンネルを抜けた瞬間、本の文字に光が当たった。 その瞬間がなんだか妙に嬉しかった。 今日読んでいたのは、まっすぐで暖かな日の光がよく似合う本だったからかもしれない。

        • ことばノートを作ってみた話

          最近、仕事に行く時の相棒を手に入れた。 それが「ことばノート」。 実はこれ、前にnoteでも紹介したじぶんジカンさんのメンバーシップ特典でいただいたもの。 見ての通り淡いブルーの素敵なノートなので、観賞用に取っておきたい…いやでも素敵だからこそ使いたい…と悩む悩む。 悩んだ末、たどり着いた使い道が「ことばノート」だった。 4月から非常勤で仕事を始めた。 仕事でたくさん話しているのだけど、話せば話すほど「ことばを大切にしたい」と思うようになった。 日々、あっという間に流

        変わるということ

          「本当は」に気づく

          何の気なしにタイムラインを見ていたら、こんな投稿があった。 読んでいたら涙が出てきてた。 その涙の感触に、自分でびっくりした。 だって、なんで泣いてるのか分からなかったから。自分のことなのに。 でも、確実なのは悲しい感じじゃなかった。 何かこう、心が揺れ動いた感覚。 ってことは多分、大事な何かに今触れたんだ。 少し立ち止まって考えてみる。 読んだ時、イメージしたことを振り返ってみる。 論文を書けてお世話になった先生たちに「ようやく書けました!」と渡すところ。 発見

          「本当は」に気づく

          落ち着かない日のお守り

          昨日、ある人に連絡をした。 それが返ってこないだけでずっと心がチリチリしている。 いつも連絡は絶対返すような人なのにこない。 最近ギクシャクしていたから。ああまた間違えたかな、気に障ったかな、自分の考えはやっぱりダメなんだろうか。ぐるぐる駆け巡っている。 相手も忙しいのだろうし、そもそも自分の今後の方向性のことなのだから、よっぽどおかしなことをしない限り責められることはない。 それなのに、なぜか不安で仕方ない。 気づくともう家を出る時間になっていた。 どうにか心を落ち着

          落ち着かない日のお守り

          わさびが教えてくれたこと

          少し前に、わさびを育ててたことがあった。 わさびって犬や猫の名前ではなく、正真正銘の「山葵」。 いただいたわさびを食べ終わり、なんとなく水につけていたという自称水耕栽培(笑) でもこれが、意外にも元気に葉を茂らせるようになりまして。 天気のいい日は、日光にあてて育ててた。 わさびが日の光に当たる様子を見てると、なんだか心が温かくなった。 隣で、同じように日の光を浴びている自分。 わさびを見てると、自分は今、ずいぶん幸せな時間を過ごしているんじゃないかと思ったのだ。 普

          わさびが教えてくれたこと

          「何のため」を考える

          またドラマ『舟を編む』の話。 今回の話は、「疑って」がキーワード。 主人公がゲラをチェックする時に、原稿に書いてあることを疑う必要があるってところから始まって、ことばを疑う話が展開していく。 この「疑って」には先があって、 「信じるために疑う」ということ。 ゲラへの疑いは、信じるに値する辞書をつくるため。 ことばへの疑いは、相手を信じるため。 これを見て、自分の姿勢が間違ってたなあと少し落ち込んだ。 これまでの私は、疑われることが、まるで自分の不出来を責められているよう

          「何のため」を考える

          意味見出しすぎ病

          いつからか意味を求めすぎるようになった。 もはや病的なレベル。 うつになったからともいえるし、 そもそもそういう発想がうつを招いたんだともいえる。 考えるだけ無駄である。 ともかく道を歩いてても、人と話してても、 あらゆることを何かに結びつけて解釈しようとする。 このままだと鼻毛のはみ出具合で人生語りそう。それは避けたい。 この癖に気づいた時、まず自分がやったことは、原因解明。 もうそれ自体が意味見出す病に近いでしょうに… いくつかは思いあたる節はあったけど、明確には分

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          「うまく」はいらない

          最近「舟を編む」のドラマにハマってる。 いつも「良!!」となるシーンがあるんだけど、いつかの回でこんな会話があってね わたし自身、「うまく言えない」ってよく言っちゃう。 書くことについても同じで、「うまく書けないいい」って毎度思う。 前のアカウントでは、一度書くのをやめてしまってたし、 なんなら論文はもう書くのが怖くて仕方ないし。(論文に関しては書く以外の問題もあるけども) 何かをするときに「うまくやらなきゃ」「うまくやりたい」って思ってる自分がいる。 それも不安だった

          「うまく」はいらない

          前向きになれた本のこと

          「自分と向き合う時間をつくる」 これは松岡美希さんが代表を務めるじぶんジカンのコンセプト。 松岡さんのことはこのnoteで知ったんだけど、実はわたしもこのコンセプトをずっと温めていて。 いや、後出しジャンケンにも程があるって感じなのだけれど、自分にとっては、研究が「自分と向き合うこと」だったからそんな還元のしかたもありなのではなんてね、思ってたんです! 話をもとに戻すと、昨年末にエッセイと自分と向き合うためのノートを買って、さらに最近またエッセイを追加購入したところ。

          前向きになれた本のこと

          考えすぎの民の行方

          「考えすぎ、もっと単純に考えなよ」 何度も言われてきた。 たしかに実感としても考えすぎていいことはあんまりなかったかもしれない。 「暇なだけだよ、忙しくなればそれどころじゃない」 それもそうかもなぁ。 でも、結構忙しい時でも「考えすぎ」らしいから難しい。 結局のとこ、自分のなかだけにとどめとけばいいのだろうけど、それだと苦しかった。 書くことで発散できればいいけど、エネルギーがない時はなかなか辛いものがある。 なんか窮屈だなぁと思う。 考えすぎでもなんでもいいじゃな

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          読めない時に救われた本のこと

          なにも入ってこない。 ここ数日、鬱が突然舞い戻ってきた。 頑張りすぎには気をつけてたのに、また無意識にギアをあげてしまっていたみたい。 鬱状態になると、全てが自分の内にこもってしまう。窓のない部屋に煙が立ち込めてるような感じ。 どんどんネガティブかつ自責思考になっていくし、外に出す気力もなくなる。面白いことに、それに合わせて身体もイカれはじめ、呼吸もうまくできなくなって冷や汗まででてくる。 こうなると何かしてないと落ち着かない、でも休まなきゃいけないのは分かってる、って

          読めない時に救われた本のこと

          楽になりたくない時

          自分の心がどうしようもない時。 SNSで流れる投稿を見ると、こういう状態から早く良くなる方法とか、楽になる方法がたくさん流れてる。 noteでもたくさんの記事があって、本当に助けられてるなぁと思う。 でもたまに、そういう考え方を取り入れて楽になりたくない時がある。 しばらくこの苦しさを味わっておくか、みたいな。 こんなん自己満足でしかないから、理由なんて聞かれても「気分とちょっとの勘」としか言いようがないんだけど。 ただ、最近になって少し思ったことがあって。 ひどい話

          楽になりたくない時

          書くことと自己信頼

          去年の記事なんかを読み返すと、ずいぶん真面目に深刻に書いてきた感じがする。 年末年始にいろいろと自己を振り返って、それ自体ちょっと変えていきたいなぁと思うようになってきた。 一言でいうと、「遊びが」ない。 力の抜きどころがないんだよね。 そういう文章って必要な時もあるけど、 ずっとそうだと伝わるもんも伝わらないんじゃないかなぁ。 他者が入り込む余地がないわけだから。 もう少し掘ってみると、 そういえば自分はいつもSNS上(もっというと誰かに見られる)の書き言葉に悩みがあ

          書くことと自己信頼

          模索し続け、

          しごと。 自分がこれまでやってきたこと、仕事にしてきたこと・仕事にしたいこと、 それらを諦めるかどうか悩んだ時、みんなはどうするんだろうか。 わたしは、ここ3年悩み続けてきた。 大学院生のしごと きっと専門(教授の指導方針)によって違うのだろうけど、 大学院、特に博士課程になれば、コンスタントに論文を出すことが求められる。 それは大学院生としての仕事。(給料はでないけど) どうにか悪戦苦闘しつつも論文を書いて、 査読に通ればいい。 でも、そこで躓いて立ち上がれなかった

          模索し続け、