国語の押し付け、資本主義

ファミレスに行った時の話。 
 食事時ぐらいゆっくりと目の前にいる人と、やれあの政治家はとんでもないやつだの、やれこの間のミュージカルはすごいだのといったことを語らいたい。そして普段家では手間がかかってしまって作るのが億劫な料理を、丁寧に味わいたいものだと考えている。
 ただそうしたささやかな願いは、止めどなく流れる店内BGMや店内を忙しなくかけていく猫型ロボット、そして注文タブレットから流れてくる広告によっていちいち邪魔されるところとなっているのである。

 最近の注文タブレットはなかなか営業熱心だ。注文するにしても追加の品はどうか?といちいち聞いてくれるし、誰も構ってくれるものがいなくなると、いつの間にか自社のコマーシャルを流すのである。
 この画期的な発明を前にして、ふとこれによってここで雇われている従業員は一体どれくらい減ったのだろうと思わず店内を見回してしまう。
 するとすぐ近くのテーブルの間で身動きが取れなくなった猫型ロボットが目に入った。猫型ロボットはしばらく困った仕草をしていると、どこからともなくやってきた人間の従業員によって引っ張られていって、そのままバックヤードへと姿を消したのだった。人間が機械にとって替わられることはまだなさそうだと少し安心して目の前の料理に手をつけた。

 コマーシャルはやがて、自身の会社でやっている事前活動の宣伝となる。何気なくそれを見た私は、思いがけずその内容に吃驚してしまった。
 アジアの某国に子供の教育支援するという内容だったのだが、その支援のうちの一つに「日本の絵本を現地に送る」というものがあった。そしてそれには続きがあって「その絵本を読んだ子供たちが日本のことを好きになって、将来日本に働きにきてくれる。」とのこと。

 どこまで人を馬鹿にしている活動なのだろうと反射的に思ってしまった。
 現地の人たちには「国語」があるはずである。絵本を現地の子供達にプレゼントする、それ自体はなんら問題ない。しかし現地のことどもたちにとってまず必要なものは「現地の国語で書かれた、現地の物語」なのではないだろうか。
 要はこの活動は、言葉を選ばなければ、「将来の日本の労働力として、日本の都合のいい洗脳教育を現地の子供達に施す」ということなのだと考えている。どこまでもエゴイズムに塗れた独善的な活動だ。

 メタルギアV「ファントムペイン」や「虐殺器官」に触れてきたものとして、自身のアイデンティティと国語は不可分なものであり、言語が一つなくなることで失われるものはあまりにも多い、と考える。
 言語の消失には様々な理由があるとはいえ、大抵は大国による押し付けによるものが大きいだろう。
 善意に見せかけておいて、やっていることはとんでもない。そしてこの恐ろしさに拍車をかけているのは無自覚さとそれを食事時にすら宣伝してしまえるまでの厚顔無恥さである。
 
 恐ろしいことにこれはあくまでも一例だと考えている。最近見た別の広告では、「後進国に最新の医療を施すことで、先進国にもメリットがあります」というものがあった。
 もう素直に「後進国の人々をモルモットにして我々は安全な医療を享受できる」と言ってしまうべきである。
 
 どこまでも人を馬鹿にした、良心があれば到底行動に移せないようなことを、あまつさえそれを堂々と宣伝してしまうこの狂った状況を、此処資本主義の原理のもとで行われていることに、今日このごろ絶望及び危機感が眼前に現れたのだった。
 この病理がある限りは本当の意味で公正な世界は程遠いのだと、私は資本主義の賜物であるファミレスのハンバーグを、ドリンクバーで注いできコーラで流し込んでいたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?