#私だけかもしれないレア体験

今回は投稿コンテストのテーマ「#私だけかもしれないレア体験」について書いていきます。

既に締切が過ぎているのですが、締切が過ぎているコンテストのテーマを書くこと自体もレア体験かもしれませんね。

教習所に向かうため、近鉄線の電車に揺られている。
「近鉄は、なかなか乗ることないなー」と思いながら、「昔、病院に通ってたとき乗っていたなー」と思い出す。
「あのときは、入院して、その病院の養護学校に通っていたなー。」

そう、私は養護学校に通っていた。

私は幼少期から喘息で、ドッジボールもまともにできていなかった。
小学生のドッジボールが激しいのか、私の呼吸器が弱かったのか、定かではないが、、

そんな私が、現在普通にスポーツをしているのは、小学校4年生のときに、大阪にある呼吸器アレルギー医療センターに治療のために3ヶ月入院したからである。

入院している間は、併設してある養護学校に病院から通うのであるが、そこのクラスがレア体験であった。

「クラス数自分以外2名」想定の範囲内であった。
「男1、女1」想定の範囲内であった。
「その2人が付き合っていた」想定の範囲外であった。

「転校の挨拶のときに、よそ者と思われ、ヤンキーから睨まれる」マンガでよくある描写だが、ヤンキーでもない2人から、邪魔者として見られていた。
2人の恋愛学園ドラマに恋敵が現れた、かのように見られていた。

実際は、2人の恋路を邪魔することなく、見守っていた。
2人とも仲良くなり、新しくまた1人増え、最初からいた女の子が退院し、いなくなり、と病院併設の養護学校は入れ替わりが激しかった。

カリキュラムも特殊で、喘息について学ぶプログラムもあったりするのだが、自分で受けたい授業を選ぶことができた。
サッカーを選択し、リフティングの練習をしたり、もしていた。

授業内でも自由度が高く、美術では「好きなものをつくっていい」と言われた。
何を作ったらいいか迷っていると、クラスメートがモザイクをかけないといけないようなものを作り出した。
それに気付いた先生が「注意するのかな」と思って見ていると、よりリアルに作り出していて、「あぁ、これまでの常識はここでは常識でないんだな。」と思っていた。

宿題も出されるが、「やらなくていい」と言われるし、悪いことをすれば、病院の廊下に正座させられた。

夜に同じ部屋の友達と窓の向こうを見ながら、霊柩車が来ると、「怖いな、お化け屋敷みたいやな。」なんて言っていたが、「心霊の最前線にいたやろ。」とツッコんでやりたい。

「異文化だったな、変わっていたな。」と今でも思う。


同じ学年の人数が少ないので、放課後は他の学年の人と一緒に遊んでいた。
小学生4年の私には、中学生の先輩たちは衝撃的であった。
アウトローでクレイジーな先輩たちを「変わってるな」と思う同時に「カッコいいな」と思い始めていた。

それまでの自分は「優等生」が正解だと思い、「優等生」の自分をつくっていた。
ドラえもんではなく、出来杉くんが世界を救うと思っていたし、クレヨンしんちゃんもちびまる子ちゃんも「勉強しろよ。」と思っていた。

養護学校の先輩たちからは、悪いこともいいことも、正しいことも正しくないことも、大人になるために必要なことをたくさん教わった。
どの先輩も「変わっていて、カッコよかった。」

退院後も、周りの環境の当たり前に馴染めず、治っているのに、喘息を理由によく学校を休んだ。
周りに馴染みたくない自分は、「変わっている」と言われるような行動を狙ってするようになった。
「変わっている」と言われることが増えていった。

正しさなんか1つではないし、解決できないことだってある。
変えられない環境を諦めないために、「変わっている」と言われる自分をつくっていたんだと思う。

今では、狙わずとも誰からも「変わっている」と言われるようになった。

「変わっている」大人になった私は、「変わっている、変わっていない」の2択ではなく、「変わっている」中で大切なものを集めていきたい。

いつか「変わっている」自分が、大切にしているものに対して、「私も同じです」と言ってくれる人が溢れる世の中にしていきたい。

まずは、このメンバーシップから!

https://note.com/goowilstusalon/membership/info

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