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アンパンマン哲学

まず、アンパンマン哲学について説明する。アンパンマン哲学とはアンパンマンの歌やアニメそのものから哲学性を発見するものである。例えば、アンパンマンマーチでは「なんのために生まれて なにをして生きるのか
わからないまま終わる そんなのはいやだ!」と、ある。 
このことからも分かるようにアンパンマンは子供向けのアニメでありながら、人間が生きるための指標や漠然とした疑問を投げかけてくるのである。
この例では稲盛和夫の言葉を参照してみよう。
稲盛はこのような言葉を残している。
「人間性を磨き、素晴らしい人格を身につけることこそ   が、人生の本当の目的なのです」まさにアンパンマンとはその第一歩では無かろうか。人間の一番大切な時期である幼児期において、社会的な道徳や人間としてのあり方を教えるアンパンマンは稲盛の言葉に従っていると言えるだろう。それ以外にも、アンパンマンの曲では「そうだ うれしいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が傷んでも」と、ある。これは哲学者アランの「ロープウェイで来た人は登山家と同じ太陽を見ることはできない」
(『致知』2013年10月号より)と、通ずるものがあるだろう。たとえ辛くても、傷ついても生きる喜びを噛み締め前に進むことでしか得られない経験や景色があるということをアンパンマンは幼き我々に教えてくださっていたのだ。では、これはどうだろうか。アンパンマンの有名フレーズ「愛と勇気だけが友達さ」である。この言葉から紐解けるのはアンパンマンはキリスト系哲学者であるということだ。なぜなら「愛」と言っているがこの場合の愛は恋愛などではなく、アンパンマン世界の住人全てに送られる隣人愛だろう。隣人愛とはキリスト教における代表的な思想であることから、アンパンマンはキリスト系だと推察できる。一方の勇気についてはアンパンマンは自身を弱い存在であると考えており、勇気が自らに付与されることでバイキンマンと戦えると考えているのではないだろうか。なぜなら、アンパンマンは無策である。まいど同じ技で同じよう水をかけられて弱る。だが、アンパンマンの「顔」という新たな命により生きる勇気を手に入れ、元気百倍になるのではなかろうか。ではなぜアンパンマンは愛と勇気を選択したのだろうか。他にも友達がいてもおかしくはない。例えばチーズやジャムおじさんやカレーパン等である。しかし、アンパンマンの友達は愛と勇気だけである。その理由はアンパンマンは方法的懐疑論者なのではないか、ということである。例えば「アンパンマンは君さ」という歌詞からも分かるであろう。要するにデカルトの「我思う故に我あり」の考え方だったのではないかということである。アンパンマンは自分であると君が思えばそれはもうアンパンマンなのだ。というデカルト的論法なのだろう。それゆえ、真実のみを追いかけた結果ジャムおじさんなどの人間ではなく、「愛と勇気」という結論になったのではないだろうか。このような事柄からも分かるように、アンパンマンは哲学入門としての働きや、物事を批判的に読み解くための様々なテーマを与えてくれる。だからこそアンパンマンは長年にわたり幼児に愛されてきたのだ。

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