作者と読者 面白い文章の正体
25年も作家として活動していると、わかることもある。
ある意味私にしかわからない事だ。何せ、現代文明において病魔に蝕まれながらも作家業なんぞ続けている奴は、それも金儲けにならず「在り方」として続ける奇特極まる人間なぞ他にいない。
いたら取材したいくらいだ。儲かる前からやってれば、だが。
シリーズ完結23冊、累計500万文字を書いたら連絡しろ。
書いてる内に自分自身でもわからなくなる経験は非常に多い。個人的には色々試し過ぎて失敗作だと考えている作品もある訳だが、例えばその筈の邪道作家第二巻が一番多くダウンロードされたりするのだから「タイトル名」は肝要だ。
読者は、そこしか見ないからな。
ちなみに、第二巻の副題はと言うと「主人公をブチ殺せ」だった••••••内容的には色々試し過ぎて失敗した、としか個人的には思えないのだが、しかし、それが読者連中にはタイトルだけで読まれるのだから不思議なものだ。
そんなものかもしれない。最近はやりの作品を描きながらも「売れる物という事で嫌々書いた」とほざいている漫画家もいたが、そんなものはどれだけ売れようが、どれだけ評価されても「作品」とは言えないものだ。
作者自身が見捨てた作品なぞ、笑えない。
私自身何度も嫌々で書いたからわかるが、何が面白いかなんて書き手には分からぬもので、逆にわかっているつもりであればあまり大した出来にはならないだろう。
何であれ、貧困か苦悩か病か差別かは知らないが、何かしら地獄は必要だ。
地獄だけでも、別に嬉しくはない。実際にやった私が言うんだ間違いない。
当たり前だが、読者に作者ほどの理解力など存在しない。全てを網羅すると抜かす読者がいるとすれば、そいつはそれ以上の作品を書いて然るべきだ••••••読者には作者になれないし、作者に読者は共感不能だ。
逆に言えば、壁を感じれば作り手側だ。
一方で売ることだけを考えても、上記のように当事者自身が納得行かず、満足するのは周囲だけという訳だ。本末転倒としか言いようがない顛末だが、しかし売れる作品と「傑作」と当人が思えるかは別だろう。
そんなものだ。武田信玄は世相に合わせるだけでは生きてるとは言えないとか名言を残したらしいが、実際に今を生きているのはそういう人間ばかりである。
逆に、ならば信念を貫き通して何が得られるか?
金にならないのは確かだ。嫌な話だが、現状の人間社会において成功を掴むのは、基本的に要領だけが全てである••••••思うに、郵送投票で大統領選を操作出来ると少し調べれば分かるような社会で、金や名誉はそんなものだ。
金以外。前にも書いたが、無念はあれど後悔は無い。
何であれ、私は私の書くべき何か、信じた結果を書いたのだ。後悔は無い。
例えあの世?なんてものがあるのか知らないが••••••あろうが無かろうが閻魔相手だろうと胸を張って死んでやる。
若い内から、こんな発想になって得かは知らん。
まあ、死にかける経験が山ほどあったので「死の恐怖」が無い事だけは確かだ••••••果たして喜んで良いのか謎だが、普通の人間が抱く筈の恐怖、社会迎合だの死の恐怖だのあるいは戦争でさえ、別段恐怖に感じない。
そんなのは、いつものことだ。
第一、私の場合別に天災が有ろうと無かろうと平気で死にかけるし、世界が平和であったところで作家は経済的に安定しない。私に言わせれば、貴様らが思い悩んでいる文字通り「全て」が「人間社会の作り出した空想」の類に映るのだ。
学歴とか、ああいうのも同じだ。私は平気で偽造した。
冗談だ。証拠は無い。何にしろ、拘泥する価値が無いとだけ言っておく。
当たり前だが価値観というのは時代によって移り変わる。私に言わせれば現代社会そのものが100年も続いていないのだから、何を根拠に年金の支払いまで信じられるのかが不思議だ。価値観の根底を疑う発想を持たないのか?
その時点で「読者」であり、作家を名乗るには程遠い。
一つ確実に言えるのは、最近歴史作家でそういう奴を見かけたが「己自身の執筆に絶対の自信を持つ」ことは第一前提という部分だ。私は恋愛だのBLだのは知らんがジャンルが何であれそう言い張れ!!
並ぶ者、一切無し!!!
それくらいも言えなければ、創作者たる資格は無い———ちなみに、その歴史作家の書籍では「織田信長はイエズス会に爆殺された」とのことで、かなりの自信家として明言した。
面白いものだ。実際、歴史の実態など有り得そうだしな。
歴史の実態でさえそれなのだ。現代社会とやらにそこまで自信を持つ方が異常だと言える。第一、この国が民を主人と書いて民主主義であり、まして国民に仕事で答えたことがあるのか?
今やっている万博はどうも線路を走らせ交通の便にも金を使い、結果IRだかを実現する為にするらしい。税金の無駄遣いだけでは線路までは出せない、だから万博をということか。
いずれにせよ、行く奴がいるのか?
豊洲にしてもそうだが、現実問題日本国民に「人権」など存在しない。話し合いで解決するのは子供だけで、政治家がつけあがるのはその為だ。実際、何をやろうと大した罰がないならそりゃやるだろう。
逆に、中国であれば命懸けだ。平気で殺す奴がいるだろうしな。
この辺りも「建前だけで良い」見本例だと言えるだろう。物語も、日本の政治も、建前だけで誤魔化してきた結果がコレだ。だのに、そこには向き合わない。
まあ知らん。作家として、私は私でやったからな。
確実に言える事は、どれだけ利益を積み重ねたところで「死」や「自然」は人間に合わせないという事実だけだ。実際、環境問題とどれだけ向き合わず誤魔化そうとハリケーンに賄賂は通じない。
いつか死ぬ。どれだけ栄華を重ねてもだ。
そんな、当たり前以前の話すら分からないのが現実らしい••••••まあそれらと向き合い私が何か利益を得たかと言えば金にはなってないので、死ぬ寸前や環境汚染に後から後悔しても良いなら良いかもしれない。
私は死を恐れた事も、自然の脅威に晒された事もないので、そこは知らん。
少なくとも、生きていて死を恐れるなんて分からない話だ••••••••••••お前ら生まれてくる時に怖かったのか?
生きてる内に、やるべきことはやっただろう?
誰に何を言われようとも、自分で信じられる「何か」をすればそれでいい。
後の事など知らん。やるべき事は、やらねばならぬと信じた事だけはやったのだ。
ならば、死んだところで、何の問題があるんだ?
むしろ、せいせいする!! これ以上仕事、執筆をしなくて済むからな!!!
あの世なんて無ければ仕事をこれ以上しなくて済むし、あるならあるで「今までの成果分の利益を寄越せ」と、この世での執筆成果を突きつけ当然の報酬を求めるだけだ••••••結果、偉そうな何かに拒否されても同じだろう。
何を言われようと、どう思われようと。
するべきことは、成し遂げた。
であれば、死ぬ事を恐れるなんて意味不明な話だ。私に言わせれば貴様らの方が、死生観が狂っているぞ!!
私に言われたらお終いだぞ!!?
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