世界史幻想

 歴史を学ばない者には未来がないとしばしば言われますが、世界史の記述を辿るならば、現在でさえ過去の時代を振り返るのに数行で要約されているところをこれから更に百年、二百年、千年と時代が経て行ったとして、すると過去の時代はもっと要約されていくのでしょうか。学ぼうとするならば、殆ど固有名詞の羅列のような世界史を追うだけで人の一生などは終わってしまうのではないでしょうか。また、このようにも思います。もし過去の歴史を学ぶために誰かの人生の軌跡を追おうものなら───歴史上の人物の感じた思いや経験なども捉えようとするなら、私はたった一行の歴史も理解できないのではないかと───。


 世界史に接する度に、私はこの歴史にその名が刻まれている人物はどれだけ私と異なるのだろうかと考えることがあります。世界史には偉人ばかりでなく悪人とされる人もいて、未だにその評価について議論が尽くされないままの人物が多くいますが、これらの人物は私よりも何が偉大で、何が悪かったのか、考えを深めようとすればするほど、問いも答えも私自身にはないことが難しく感じられます。かといって私と全く関係がない人物とも考えられないところに、歴史観によって遠い時代である私の立場が左右される由縁を知るように思います。歴史上の人物をどう考えるか───評価するかによって、その人が問われてしまうことが特に政治の場面ではよくあります。


 決して完璧とは言えず何らかのそしりを免れないような思想を唱えたのは何故なのか───その時、何を考えて何を目指していたのか───どのような状況に身を曝していたのか───本当にそのような選択しか考えられなかったのか───もし時を遡ることができたなら、実際にその歴史の当事者に問うてみたいものです。


 私は彼らのことを真実には理解することができませんが、彼らが、今の時代を生きる私と何らかの関わりを持ち、繋がれていく遺産の一端を築いたことは否定できません。しかし突き詰めて考えても謎が深まるばかりの歴史において、その歴史と私との接点すら見出すことができなくなっていくのも私の率直な感慨です。私自身は何らかの歴史に名が刻まれることなどないだろうと思います。ましてや世界史という大きな領域になど考えることができません。そのように考えると世界史上の人物はやはり並外れた特別な人物なのだと思うようになります。私は何か世界に影響を与えるような大それたことを成し遂げるわけではなく、あったか無かったかよくわからないような、彼らほどには目立ちもしない人生に終始するに違いありません。ですが、ここまで考えて無名、匿名の私は世界史のある問題に突き当たることになるのです。それは世界史上の人物ではまだこの世界の問題が解決されることなく、今も生き延びているということです。今も彼らが発端となったとされる問題、それから長い時を経ても克服されていない課題がたくさんあります。私は自分がそのような課題や問題を通してのみ、彼らとの距離を実感できるのではないでしょうか。


 私は世界史の意味とは実は世界史上に登場しない私自身にこそ価値を見出すものなのではないかと思いました。世界史上において裁かれたこともなく、これからも裁かれることのない私にこそ世界史上の先人たちから遺されたものを見出すことができるはずなのだと感じます。世界史が無名の私の中に息づいて、そしてそれが続いていくことを世界史に登場することのないままの私がどれだけ向き合えるのか───それが世界史の謎であると私は想像します。それは私にとっての課題や問題に違いないと思うのです。