草葉たる氷

/随想/瞑想/

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最近の記事

瓦礫の陰に咲く花

いつかは覚えていないが、かなり昔の話だ。道端に花が咲いていた。張り巡らされた金網に沿うように咲いていて、そこから顔を覗かせていたのだ。その側を通り過ぎていく私はその花と目が合ったように感じられた。その出逢いは偶然だったが、私はその花に引き込まれる感じを得た。私は花に詳しくないので、その花がどういったものかは知らない。だが、とにかくそれに惹かれたのだ。 誰かが育てたわけではないだろう、その花は美しく思えた。近くに同じような植物が見られない中で、特別に存在を誇示するわけでもなく

    • 本棚整理

      新しい本を手に入れれば、それは当然、床や机の上に投げ置かれたままであってはならず、どこかに収納しなければならないと思うのですが、しかし本が増えると限りある置き場所に困るものです。新たに本を並べようと思っても、分類にまず迷います。例えば、思想書、文芸書、歴史書などの内容での相違、あるいは新書であるか文庫本であるか単行本であるかなどの出版形式での相違、その他にも出版社や作家名での分類など考えれば考える程に分類の項目が増え、本棚の統一性を保つことが難しくなっていきます。それまで既知

      • 初期衝動

        自らに湧き起こる衝動を飼いならそうとして、抑えようとしても、その反発のために自分自身がとても摩耗していく感じを得ます。何か既成の型に当てはめようとしても、結局のところ、その衝動は都合の良い形に沿ってくれることがないために、自分自身の中で暴れ出す力を感じます。その力を落ち着かせるために束縛しようとしても、無意味なことのようにしか思われず、初期衝動と呼ぶべき、その情熱は常識も礼儀も知らない───ただ剥き出しの自己主張が光っているのみに感じられます。 私の内にこのような衝動が生ま

        • 余命

          ときどき私はあとどれだけの時間を生きることができるのだろうと不安な気持ちになることがあります。聞くところによると、健康な人間は百年とそれ以上ものあいだ生きることができるといいます。対して動物の場合、犬や猫などは十数年、兎は五~十年、ハムスターならば二~三年ほどらしいです。人間よりも長く生きられる動物もいるらしいですが、人間に身近な動物は大体この程度のようです。比較すると、とても短いように思えますが、生物の一生というものは実感としては測れないような不思議な思いを私は抱きます。

        瓦礫の陰に咲く花

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        • 「風の寄り道」
          24本

        記事

          散文表現

          いつの間にか月日は流れて、私が自分の思いを文章として発信し始めて、半年が過ぎました。他の人にとって、半年という、この時間がどれだけの意味をもつかはわかりませんが、私は、自らが何らかの物事を継続して行うことの喜びや充実を感じているとともに、もうそれだけの時間が経ってしまったのかと驚く思いです。時の巡りは、それに気づいた時には、いつでも自分の手の内にはないということを身を以て感じ、恐怖の念すら抱いています。 これまで私はいくつかのまとまった随想を公にしてきました。思い返せば、自

          静かな生活

          可能ならば、静かで落ち着いた生活をしたいものだと私は思います。争いごとがなく、淡々と過ぎていく時の中で焦る必要もなく、ささやかな豊かさに喜び、呼吸が乱れることのないような生活に浸っていたいです。 静かな生活といっても、例えば部屋の中に何もなく、音もせず、暦もないような、まっさらとした空間で暮らすことを望むわけではありません。意識せずとも様々な音に満ちたこの世界にあって、無音で生活しようものならば、私はむしろ騒々しい心の音のみを聴き続けることになってしまうのではないかと恐ろし

          静かな生活

          ささくれ

          食器を洗っていたら、冷たい水が指に沁みた。寒く、肌が乾燥する時期には、特に覚えのある、この感覚───。作業を止めて、その部分を確認してみると、爪の生え際の皮が薄く、細くめくれている。めくれた部分は少し赤くなっているが、血が流れる様子は見られない。刺激を感じつつも、洗い物を続け、やがて終えた私は付いた水気を拭いて、改めて確認してみる。めくれた皮はまるで、小さな花びらのようで、その部分に触れてみると、刺激が走り、人間の痛覚はこうも細かい部分にまで生きているのかと少し驚かされる。

          日没

          夕陽を浴びながら、無意味な一日を過ごしてしまったと思うことがあります。太陽が地平線の向こうに沈んでいくにつれて、その日がまだ過ぎていないにも関わらず、どこか懐かしく感じられて、もっと良い一日の過ごし方があったのではないかと漠然と悔やむことがしばしばあります。目に映る物が黄昏の色に染め上げられて、私自身の手も足も既に遠い思い出の中にあるかのようなころ、もう少しもすれば暗い闇が辺りの風景を飲み尽して、いよいよ太陽の明かりに頼ることができなくなるようなころ、一日のことをつい考えてし

          同語反復

              いつか自己紹介の場面で、座右の銘は何かと問われたことがあります。当時、私は答えに窮してしまったのですが、後から再び考えてみても、それらしい言葉を見出すことは叶わず、これが座右の銘だと言えるだけの言葉が私にはないのだと気づいた覚えがあります。現在に至っても、そのことに変わりはなく、これまで大事に思っていた言葉がないわけではないのですが、改めて今、その言葉の意味や意義について考えさせられています。     どのような場面に際しても、自分自身を導いてくれる言葉を有している

          細密画

          私は視力が弱く、普段から近い距離の物しか見えないのですが、鮮明に見える視野が狭いと、それだけで自分の意識や思考そのものがぼやけてしまうように感じられるときがあります。眼鏡をかけようか悩むところですが、私は眼鏡を装着した状態で生活することが苦手で、眼鏡を所有してはいますが、ときどきしか使用しません。眼鏡がなくとも、日常生活の中で困るほどではなく、目に何かを入れることにも抵抗感があるので、今のところはこのままでよいと考えています。物が見えないことには問題がありますが、細部まで物を

          殖産興業

           新しい本を読もうと探すと、世の中の危機について訴えている作品に出遭うことが増えました。それは世の中の危機が以前よりも増大しているせいなのか、あるいは私が無意識の内にそういった内容を求めていて、そのような本ばかりを追ってしまうためなのか、それらとは違う別の理由があるのか、私自身でもわかりませんが、ともかく最近はそのような書物を手に取ることが多くなり、そこで主張されている思想や時代の雰囲気などに感化されてしまっているように思うところがあります。  世の中の危機と一口に言っても

          解体の芸術

           街を歩けば、いつのまにか見慣れた景色も変化しつつあるのだと感じます。ふと思い出した大きなお店も少し見ない間に建物ごとなくなってしまいました。今のところ、その土地に新しい建物ができるようには見受けられませんが、いつかまた目を離している間に大きな看板を立てるお店ができあがっているかも知れません。私が注意を他に向けている間にも、身の回りの風景は変わっていくのだと分かります。何かが作られては壊されて、確かに思い返してみると、自分が行くところでは何かしらの工事の音が響いているように思

          解体の芸術

          黙過

           日頃から様々な情報に接していると、 毎日どこかで何か大きな過ちが起きていることを知ることができます。 私が楽しく笑っている間にも、就寝している間にも、そして、こうしてこの文章を書いている間にも、 何かしらの過ちが起きています。それらの出来事に対して真面目に向き合おうとするならば、そのあまりの数の多さから心身の不調を負いかねず、そのため私はそのような報に接しても、あまり深く考えることはできません。     そして加えて、一つ一つの出来事について報道からは断片的な情報しか知り

          幼少の頃の遊戯について

           ふと時折、私は自分自身のことがよくわからなくなります。何を求めているのか───それは今の私の思いに本当に適っているのか───実はそれとは別の何かを求めているのではないか───考えても考えても永遠に答えなど出せないと知っていながら、私自身の性質について悩み続けています。自分自身を騙しているような感じに囚われて、私自身という得体の知れない何かを確かめたいという思いが強まっていきます。しかし、それ自体が欺瞞に陥りやすい倒錯的な課題であるために、私はただただ漠然とした散漫な思考に耽

          幼少の頃の遊戯について

          形のない偶像

           薄暗く狭い部屋の中に寝転がって天井を見つめる───暫くその体勢を維持していると、その天井はまるで物言わぬ人の顔のように見えてくる───私は自分の思考が行き詰っているのを認めて、それを解きほぐしていきたいと願い、枕に頭を載せて、目を閉じて、ゆっくりと呼吸することを試みる───横たわって目を閉じてみると、自分がそれまでどれだけ気張っていたのかが良く分かる───手のひらを開くと自然と身体全体の力が抜けていくように感じられる───。  私は自分の方法にもう少し意識的になれたならと

          形のない偶像

          感情の追伸

              日々の随想を綴っていると、しばしば書き上げてから、どうしてもその内容に収まり切らない思いが湧き起こってくることがあります。それは、その完成した文章のまとまりの後にそのまま連結させられるわけではなく、間に挿入すれば良いわけではなく、場合によってはつい先ほど書き上げたばかりの内容に反するような感情であることもあり、私は遣り切れない思いを抱えることになるのです。すぐにまた別の稿として書き始めることができるならば、この感情も居心地の良い場所に落ち着くことができるのかも知れませ

          感情の追伸