灯火の幻影

    これまで私は日々の中で何か自分にとって大切なものを通り過ぎてきたように感じます。過ぎたものは返りませんが、その残り香を辿りたく、今この随筆を始めようと思います。


    一日の活動が終わりに差し掛かり、日が沈んだ暗がりの中で、一息ついて体を横にしようとすると、よく昔のことを思い出します。昼の緊張から解き放たれて、何も思い遣ることがなくなった時にふと、かつて交流のあった人、親しかった人の姿が瞼の裏に浮かんできます。その思い出される人の表情は多くの場合が笑顔であり、どこか楽しい出来事の一場面から切り取られたかのように蘇ってくるのでした。当時の私にとっても喜ばしいものだったはずの笑顔ですが、今の私にとってはどこか気まずく他人行儀な思いにさせられてしまいます。
    その親しかった人々とお別れをして、もうどれだけの歳月、関わりがないだろうかと考えます。お別れと言っても、しっかりとした線引きがあったわけではなく、徐々に蝋燭の蝋を失っていく火のようにか細く、小さな風に揺らめいて、最後には焦げた香りをほのかに残して消えていきました。あの頃、私たちはかすかに蝋燭の灯火を育てていました。けれども、その明かりも今となっては思い出の中だけのものであり、ただ暗がりの中にその人の面影を浮かび上がらせるものでしかありません。無くなってしまうと、それまであったはずのものが幻想に思えてしまうのは何故なのでしょうか。そのようなものなど始めから存在していなかったかのようです。
    思い返せば、私たちが親交を結ぶきっかけは大したものではなかったと記憶しています。それは思い出そうとすると気恥ずかしくなってしまうようなもので、些細な冗談やすれ違い気味な純真さ、情報の共有による連帯、そういった遣り取りから交流が始まったのでした。互いに笑い合ったとしても開かれる口元にそっと手を遣ったり、相手の意向を訊ね合った末に互いの意ではないだろう場所に出掛けたり、和やかな関係の背後には常に遠慮が隠れていました。
    それから私たちは次第に心の距離を近づけていったように思います。頼み事をし合っては互いの不都合を埋めて、貸し借りやどちらか一方の負担がないような関係を築けていたのではないでしょうか。また、そのように取り決めていた訳ではありませんでしたが、秘密の思いを共有するようにもなりました。その思いは私にとって確かに秘密であることに違いなく、周囲に明かされたならば自らの傷となるような弱みであり本心でした。
    ですが今となっては、それは最早遠い過去の記憶でしかありません。かつての思いを辿って手を伸ばしてみても、それは暗がりを掴もうとするようなものです。私が掴んだと思えたとしても望んだ感触を得ることは叶わず、自分の感覚を疑ってみたくなるような錯誤そのものです。私が託したはずの思いも託されたはずの思いも今はどこへ向かっているのか───私たちの関係にはもう何の証も見出だすことができません。もし現在、何か私たちを引き合わせる風が吹いたとしても、その際に私はどのように接したら良いのかが分からなくなってしまいました。元から取り立てて線引きもなかったのだから、初めて出会った時のように、また新たに関係を始めることができるでしょうか。それとも、ただ会釈をして通り過ぎるだけでしょうか。
    静かな部屋の中でかつての記憶を辿りながら、どれだけの時間が経ったのか───記憶を辿ることに没入することによって、自分がその当時の頃に戻ったかのように感じられた───しかし、その時もやがて過ぎ行くことを知り、改めて私は自己の現在に引き戻されています。私は暗がりの中に灯火の幻影を見たのです。その朧気で懐かしい色をした姿は私には触れることのできない現実の記憶なのでした。