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「頼む、伝われ……!」と願う話(2024.5/21の日記)

 昨日遅くまで本を読んでいたけど、昼寝もしていたので早起きができた。昼寝というか、夕方の寝落ち。目が覚めたら外が真っ暗になっている。最近寝落ちが多い。睡眠のリズムぶっ壊れ。

 すっかり暑くなったと思いながら学校に行く準備をした。扇風機を手放せなくなっている。今年本当に日傘を買おうかな……。直射日光ってアツすぎる。半袖を着ていったけど、日よけのアームカバーがなかなか外せなかった。暑すぎる。外すときの擬音は「ズルズルズル……」って感じ。汗でちょっと湿っている音。
 今「暑すぎる」と言ってたら真夏に言える言葉がなくなってしまう。自粛します。

 今日読み終わった本は、昨日の日記にも書いた好きな小説家のエッセイで、再読したものだった。1年ちょっと前に読んだときと記憶が違っていて、「あれ、こういうこと言ってなかったっけ?」となった。言ってないなら言ってないでいっか~と思うのだけど、じゃあその記憶はどこから来たの?と疑問が浮かぶ。何かと読み間違えたのだろうか。時々再読してみるものである。

 今日はゼミの授業だった。議論がヒートアップする。でもみんな穏やかだから不快な感じが一切無い。お互いの言いたいことをちゃんと聞いてる感じが心地良いなと思った。他のゼミの友人に聞くと、やはり当たり外れの感覚があるらしく、自分はかなり恵まれているなと思った。自分が疑問に思っていることを投げかけて、一緒に考えてくれる人がいるというのはかなり嬉しい。

 でもこういう議論の場があると、自分の思っていることを言葉で言い表しきれない不快感はどうしても出てくる。相手が何を考えているのか考えると、それって全然わかんないじゃん!と気づいて怖くなる。読み終わった本でもそういうことが言われてたな。

 この本を読むまで、他人の思考や意識がどうであるかまで考えていなかったことに気がついた。この作者はいろんなところで「他人にも意識があるの怖い~!」と言っている。ずっとピンと来ていなかったのだけど、改めて読んで、最近の経験と合わさってなんとなく分かってきた気がする。この「分ってきた」という言葉の暴力性とか。他人のこと、「分かる」ときって来なくね?と思う。そのくらい他人の思考って膨大で不可解で計り知れない。それって激烈怖くない!???

 「自分の思っていることを言葉に表してしまいたい」というのは、自分の考えていることを齟齬なく、全部そのまま伝えてしまいたいということだと思う。私の中ではの話。ちょっと前の日記にも書いた気がするけど、それだけを表す言葉がこの世の中にないことを不思議に思う。逆に言うと、言葉に表せない気持ちや思考がたくさんあるのが不思議。この不思議をと語彙を埋めるために、私は本を読んでいるのだと思う。それってカッコイイから。

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