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ずる休みのしわ寄せを受けた話(2024.7/7の日記)

 アルバイトの後輩が無断で欠勤した。その子は昨夜遅く、インスタグラムに出かける様子をアップしていた。同じようにインスタで繋がっている別の後輩が、あえてその事実を言わないと言うので私も一緒に黙っていた。社員さんたちは「(体調不良で)倒れていないといいね」などと言っていた。なぜ電話で欠勤の連絡をしてこないのだろうと思った。

 今日一日激務だった。午前中落ち着いていてそのままいけるだろうと思っていたが、午後から爆裂に忙しくなり、てんやわんやの一日だった。よっぽど「アイツはずる休みです」と言おうと思った。後輩が「もしチクって、その子を敵に回す派閥に入ったと思われたくない」と言ったのでそのまま黙っていた。なぜ自分たちだけこんな目に遭わなきゃいけないんだと思った。社員さんは昼休憩に行けなかった。後から「熱が出た」と電話が掛かってきた。

 やっと終わって、なんとか落ち着いて、部屋に帰ってインスタを見たら、その人が焼き肉を食べている様子をアップしていた。今からでも報告しようかと思った。でもせっかく後輩が黙っていようと言ったのを無駄にしたくなかった。でも自分たちだけがその気持ちを抱えていなきゃいけないのはどうかと思った。
 仮病でアルバイトを当日欠勤して、友人と出かけに行くのは百歩譲っていいとして、それを当日シフトが被っている人に見えるようにするのだけはやめてくれと思った。知らないところで進んでいるのはどうでもいい。報告するかどうか悩んだり、どうしてこんな鬱屈と思わなきゃいけないんだと腹を立てたりしている自分が嫌なのだ。そうなる余地を与えないでほしい。私がインスタを見なきゃよかった話か?なぜ他者である私が悩まなくてはならないのか?

 インスタで事情を知った後輩はとことん大人で、「本来知ることがない社員さんたちにわざわざ教えなくていいと思う」とか「逆に本当のことを知ってる自分が、知らないであたふたしてる社員さんを見て笑うのが丁度いい」とか言っていた。
 その場ではこういうふうに落ち着いて考えられるようになりたいと思った。私は0→100ですぐ怒りを爆発させるエネルギーを持っているし、知っていることはなんでも話してしまいたい。だから言わない選択をできる後輩を尊敬したし、そうやって落ち着いて考えたり、他者からの自分への評価を下げない思考は立派だと思った。

 しかし、改めて考えるとどちらが正しいのか分からなくなってきた。自分を守るために後輩の選択は賢いと思ったが、アルバイト先の組織として上手くやっていくためにはどうなのだろうと思った。体調不良を心配していた社員さんには、その子は安全ですよと伝えるべきだと思った。「本来知ることがない」話ではある。だけど知らせるべき話だとも思った。
 一方、報告するとしても私のイライラを発散させることにしかならないと思った。自分のせいで他者の評価が下がったり、その子を攻撃したい人の餌になったりするだけだと思った。だけど、欠員の中この激務をこなした私の気持ちをどこに向けたらいいのとも思った。その子を罰してほしいのかなと考えた。そうかもしれないと思った。

 一つマズかったのは、その子が私より高い時給だと昨日知ってしまったことだった。後輩に言われた。「先輩、知ってますか、パートって私らより時給高いらしいっすよ」知りたくなかった。今日欠勤した子や、時々noteの話題に出すパートさんの一部は、私たちと雇用の形態が違い、同じ業務をしても発生する賃金に大きな差が出るらしい。こんなに頑張ったのにと思って、それが無駄になるように感じた。

 この知りたくなかった気持ちは、今日の出来事を社員さんたちに報告したときに発生していたかもしれないと今考えた。言わなくて正しかったかなと今やっと思えている。こうやって考えを整理できる場所が必要だ。0→100で怒りを起こさなくてよかった。後輩がいてくれてよかった。いつかアルバイトを辞めてやろうと思った。

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