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美しい幻

※三秋縋『君の話』のネタバレが含まれるかもしれません。

「私の死後、その死を嘆き悲しみ、一生消えない傷として心に刻みつけて欲しかった。私を死に至らしめた病を憎み、私に優しくしなかった人々を恨み、私のいない世界を呪ってほしかった。」

『君の話』は否応無しに自分の涙脆さを思い出させた。物語の終局にかけて、とめどなく涙が出てきた。一人で読んでいたから、抵抗もしなかった。小説、映画、音楽。現実世界で悲しいことがあっても人より涙を流さない割に、創作物には人以上に滅法弱い。情が厚いのか薄いのか自分でもよく分からない。言葉に弱いのかもしれない。

(松梛ではなく)夏凪灯花、彼女のように掴み所のなく、完璧な可憐さと美しさと儚さを兼ね備えた女の子になりたい、と幾度となく思ったことがある。今もその望みが蘇っている。

理由はわからないけれど、私はいつからか男性が女の子(または女性)と同じような恋心を持つということが、信じられなくなっていた。恋する相手に対する殊勝さであったり、相手のことを想って振り回されて困惑したり、病のように物思いに沈んだり。一言で言えば純で真っ直ぐな恋心。これらが確かに現実に存在しているであろうことは、歌が、詩が、小説が、遡れば和歌でさえも物語っている。それでも、どこか自分からは遠い世界に住むひとたちに思えてしまうのだ。特にそう感じさせられる経験をしたわけでもないが、この世界に溢れるメディアや体験談を耳にする内に思い込まされているのだろうと思う。あの人のことを度々疑ってしまうのもきっとそのせいだ。

主人公の千尋が夏凪灯花の存在を希求すると同時に、欺かれ傷つくのを恐れる姿が、自分に重なった。馬鹿みたいに騙されて、彼女の掌の上で幸せに踊らされていれば良かったという彼の後悔さえも、後悔にしないまま現実に私は想像していた。

純で真っ直ぐな恋心を男性も持つと信じられるとき、その思いを馳せる対象として想像できるのは第一に、夏凪灯花のような、私が夢見てきたような少女だった。

空想するのが好きな子供だった。今もそうだ。果たしてそれは、妄想と呼ぶべきものかもしれない。そんなに美しいものではない。
特別現実世界に不足を感じているわけでもないから、何故そのような習慣が自分に備わったのかは分からない。「恋人」の文字が目に映れば思い浮かぶあの人がいて、夏の音や温度や香りや感触の描写があれば、蘇る記憶がある。しかし、いつでも伏流水のように逃避願望が心に流れていて、定期的に顔を出す。心臓の音を意識せざるを得ない焦燥感もある。それから逃げる手段なのかもしれない。もしかすると、特別でも何でもなく、誰にでもあることなのかもしれないと思う。

灯花の語りから、私が過去に描いていたさまざまな空想が思い起こされた。誰かにとっての理想の少女になる話。理想的な少女に出会う話。この世界から逃亡する話。楽園に連れ出して誰かを救う話。夢物語ばかりだった。

その夢物語の中で出てくるもう1人の少女は、いつからか名前に「凪」という字を含むようになっていた。なんということはない、ある名簿を見る中で、心惹かれた名前に「凪」が含まれていたというだけの理由で。『君の話』を手に取ったとき、あらすじにある「夏凪灯花」という名前と「架空の夏」の組み合わせを見て少しばかりの運命を感じたのは、否定できない。美しい名前、美しい少女、夏。珍しくはない組み合わせだけれど。

人間の本質は、何かを残したいということなのではないかと考えたことがある。生物の本能の究極は、生きること、突き詰めれば結果として自分の遺伝子を残すことだ。それが生きることより優先されるのは、産卵や出産を命懸けでする生物がいることが示している。けれども、人間は子供を残すことに執着しないことがある。そんな彼らであっても、誰かの記憶に残ることを望むのではないか。記憶に残らなくても、作品か、言葉か、何かの生きた証を残すことを望むのではないか。少なくとも私にはそう思えた。

自分と美しい思い出を共有し、その思い出がその人にとっての美しい記憶の全てで、自分との別れを惜しみ、毎日死の際までそばに通い詰めて受容してくれる人がいる。その膝で眠りにつく。それ以上幸せなことはないかもしれない。灯花の末期の描写を読んで、そう思った。

こびりついて離れない、幻想と見紛うような記憶になりたい。あなたにとっての。

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