檸檬の刺繍

美しかったことの覚書、または、美しかったものとしてしまっておくための修辞。

檸檬の刺繍

美しかったことの覚書、または、美しかったものとしてしまっておくための修辞。

最近の記事

決別、遺る物

※一部北村薫『太宰治の辞書』のネタバレが含まれます。 積読していた北村薫『太宰治の辞書』を漸く読んだ。 以前、呟きで『女生徒』の中のこんなセリフを引用したことがあった。 今回の『太宰治の辞書』の「花火」中で登場する、「近代文学とロココ」という組み合わせで、すぐに『女生徒』が浮かんだ。ついでに言うと、芥川の作品で『舞踏会』は私も非常に好きな作品だった。孫引きになるが、「わたし」が引用する三島が書いた『舞踏会』についての文章に、このようなものがあった。 もしこれが真だった

    • 離れぬ幻影

      欲しかったのはごめんねじゃなくて、楽しかったの一言でいいのよ ーーーーーLaughing Hick「カシスオレンジ」ーー この歌の他の部分に歌われているようなひどい人じゃなかったけれど、なかったから、別れを告げた時、本当に、そう思った。微塵も、「こんなに辛いなら最初から会わなかったなら」なんて思うことはない。そんなふうにさせてくれたあの人はすごい人だ。 さよならした、あの人の話。 つい先日、あの人が夢に出てきた。 夢にまで出てこないで、お願い、と懇願したくなった。 も

      • 思い出の欠片

        私は、思い出とか過去を、人以上に大切に抱えている気がする。 「あなたはたくさん優しくされて来たから、そんなに優しくできるんだね」と言われたことがある。 総じて私の人生は幸せなものだと思っている。もちろん、諦めた憧れや夢もあるし、届かなかった想いもある。1人で涙を流した夜も人並みにはある。けれど、それが絶望だったことは無いし、いつも誰か、もしくは何かに支えられていた。感謝してもしきれない。 だから過去を、思い出を、残したくなるのかもしれない。辛い過去の方が多い人には疎まれ

        • 夏の宵闇、小さな灯

          好きな人の好きな小説を読んだ。 透明な水のような、素直な小説だった。 好きな人の好きな音楽を聞いた。 少し変わっていると思ったけれど、彼らしい実直さを感じた。 私の好きな音楽を聞いてくれた。 私の好きな映画を見てくれた。 貴方の瞳にどう映ったかな。 遠く微かな祭囃子、静寂の中の風鈴の音、湿った夏の風、宵闇、そこだけが周囲に取り残されたように人気の無い境内。 予感がした。胸が高鳴った。 遠慮がちだけれど、本当に真っ直ぐな貴方の言葉に、敵わないと思った。選ぶ言葉の美しさが、

        決別、遺る物

          巡る季節

          「私がどれだけ幸せだったか、あなたには分からないでしょ?」 『恋備忘録』ー海恋 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ほんとは僕が幸せにしてあげなきゃいけなかった。幸せにしたかった。」と言ってくれたのが、こびりついて離れない。 まだ思い出してばかりだけど、涙を流すことは少なくなった。 愛されていた、幸せだった記憶として、思い出せるようになってきた。 別れ際に「もう嫌われようがどうせ変わんない立場になったから言うけどさ」なんて言うから、ど

          或る小説に栞を

          「君が生きてるだけで、君の髪が伸びるだけで 余喘を保った人間がこの世にいたこと 砂塵程度の記憶を抱き締めて寝る私が 君の中の東京でありますように」 ーーーーー「東京ロンリープラネット」35.7ーー 私たち、ひとつも間違いは無かった。 ただ、貴方が貴方でなかったら、結末は変わっていた。 だけど、貴方が貴方でなかったら、神様はプロローグも始めなかった。 貴方が貴方であったから、そこには最も美しいエピローグだけが残った。 貴方の愛の大きさに、私は結局敵わなかったらしい。 だけど

          或る小説に栞を

          美しい幻

          ※三秋縋『君の話』のネタバレが含まれるかもしれません。 「私の死後、その死を嘆き悲しみ、一生消えない傷として心に刻みつけて欲しかった。私を死に至らしめた病を憎み、私に優しくしなかった人々を恨み、私のいない世界を呪ってほしかった。」 『君の話』は否応無しに自分の涙脆さを思い出させた。物語の終局にかけて、とめどなく涙が出てきた。一人で読んでいたから、抵抗もしなかった。小説、映画、音楽。現実世界で悲しいことがあっても人より涙を流さない割に、創作物には人以上に滅法弱い。情が厚いの

          曲、絵、文章。

          澤田空海理さんの「遺書」を聞いて数日が経った。 「遺書」についての受け答えも読んだ。 「あなたが好きだと言ってくれていた歌詞は、今ではあなたを傷つける道具になった。独りで生きるには困らないお金をあなたの歌で稼いでいる。」 曲、絵、文章。 いろいろな創作で、創作することとお金に変えることの葛藤を見ることがある。特にそれが、愛する何かに対してであればなおさら。 それが愛する何かを傷つけることになるのか。何かをすり減らすのか。純なもので無くしてしまうのか。それは様々だろう。

          曲、絵、文章。

          恋しい手

          私の手を取って、その甲に口付ける。 あの人は私といるときに、なんでもない時に、何も言わずに、不意にそうする。初めてされた時には驚いたけれど、今はその仕草がただ嬉しい。そしてその手の大きさ、私の手を見つめる瞳、静かな横顔、その全てが愛しくて、映画みたいだ、と、思った。時間が止まってしまうみたいだ。 あの人がそうするとき、私はいつも、このままこの時間を閉じ込めてしまいたいと思ってしまう。 飼い猫を撫でる手元の動画を送ってきてくれたことがある。あの人が愛おしげに小さく笑う声も乗

          光が降る夜に

          二人、夜の雨に歩いた。 花火を真下で見たことは、思えば物心ついてからは記憶になかった。 散る火の花のもとで、降る光のもとで、肩を寄せた。空にあった目をふと横に向る。視線が交わった時の、優しくて静かな微笑みが嬉しかった。雨に濡れたあの人の輪郭をなぞる光に、目が眩んだ。心も眩んだ。睫毛に乗る水滴で光が滲む。 月並みな言葉しか紡げないけれどあの日あの時間、確かに二人の世界があった。花火が上がるたびに起こる歓声を背景に背負っていても、花火が終わった後の雑踏の中にあっても、世界に

          光が降る夜に

          捲り、重ね、

          和泉式部日記が、昔から好きだった。 この本を最近、改めて読み返すことがあった。 私はあの人と会うまで、久しく恋らしき恋をしていなかった。いや、恋といえば、「硝子の小箱」で書いたものは、曖昧で、恋であったか否か分からないのですが。それはまた別の話だとして。 少なくとも、素肌に、唇に触れたい、触れてほしいというような、そんな想い人は居なくなって久しかった。いや、そんな存在はいたことは無かったのかもしれない。そう思えば、もしかすると、初恋だったのかも。 初めて和泉式部日記を

          捲り、重ね、

          腕の中に

          いつか、私が自分でふざけて笑いを堪えられなくなっていたとき、あの人が、 「愉快だねぇ。」 と、それはそれは優しい目をして微笑んだことがあった。 愉快だ、なんて、日常生活ではあまり馴染みがなかった。彼が使いそうな言葉だとも思っていなかった。 ただ、このとき、やっぱり彼のことをひどく好きだと思った。 あの人は、不安げな私や、はしゃぐ私を見るとき、幼い少女とか、動物とか、そんなものを見守るような目で微笑むことがある。そんなものと対峙する時のような優しい物言いで、言葉を紡ぐことが

          花橘の香

          古歌に、花橘の慣例がある。 花橘の袖の香で、昔の想い人が蘇る。 香りって、あまりにも重い。 記憶との結び付きの強さの点で。 塩素の匂いは、遠い青い日々、キラキラした太陽、暑い炎天と涼やかな校内、まだ今より少し高かった私たちの声を呼び覚ます。 雨の森の匂いは、幼い頃、母の腕の中に守られた森で、家族との談笑の昼下がりを呼び覚ます。 金木犀の匂いは、金色の星々に彩られた足元、それを踏み歩き、ときに摘み上げる、秋だねぇ、という同級生の微笑みを呼び覚ます。 人混みで一瞬香る匂いが、

          詩、欠片

          私は歌を好きになる時、ほとんど歌詞で好きになる。もちろん音も愛しているが、歌詞の言葉自体、フレーズ、捉え方、ストーリー。好きになるきっかけはほとんどそうだ。自分の中では何となく、真に音楽を楽しめていないのではないかと感じてしまうのだが、言葉が好きなのだから仕方がない。 言葉の方が、音よりずっとわかり易い。 いくつかその欠片を。 「花のようだった。 ピークは一瞬だった。 見世物にもならない恋だった。 水が足りなかった。 花のようだった。 なんてのは美化し過ぎか。」 (「水で

          硝子の小箱

          失ってから綺麗に見える。 というか失う前、そのただ中にいても、過ぎた昨日が美しかった。 それを綴った記録があったら、喪失感が少し少なくなって、宝物みたいに抱えてこの先も生きていけるからいいなと思う。 でも、温度とか、匂いとか、音とか、そういうものを、忘れるのが、取りこぼしてしまうのが、すごく勿体なくて悲しくて寂しくていやだ。 振り返って美しかったと思えればいい。 こんな青春送りたかった、とかよく見るけれど、中学生から高校生にかけての期間、ほぼ男の子とのそういう関係を持たず

          硝子の小箱

          春が満ちて

          幸せに溺れていて、春だ、と思った。 本当に一瞬だった。蕩ける甘い蜜というよりは、透ける桜の花弁が重なって一層桜色が濃い、そんな恋。 いわゆる意味での好意なんて、真の意図で伝えようと口に出した最後はいつだったか、無邪気さを全身に纏っていた頃が最後だった気がする。 ドラマチックな神様の悪戯が、私に初めて行動を起こさせたのだ。病が、死の匂いが、肌を刺す空気の冷たさが、街灯の冷たい光が、静まり返った公園が、夜の闇が。走ったせいか、風呂上がりのせいか、あるいは別の理由で、体は熱を持

          春が満ちて