檸檬の刺繍

美しかったことの覚書、または、美しかったものとしてしまっておくための修辞。

檸檬の刺繍

美しかったことの覚書、または、美しかったものとしてしまっておくための修辞。

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春が満ちて

幸せに溺れていて、春だ、と思った。 本当に一瞬だった。蕩ける甘い蜜というよりは、透ける桜の花弁が重なって一層桜色が濃い、そんな恋。 いわゆる意味での好意なんて、真の意図で伝えようと口に出した最後はいつだったか、無邪気さを全身に纏っていた頃が最後だった気がする。 ドラマチックな神様の悪戯が、私に初めて行動を起こさせたのだ。病が、死の匂いが、肌を刺す空気の冷たさが、街灯の冷たい光が、静まり返った公園が、夜の闇が。走ったせいか、風呂上がりのせいか、あるいは別の理由で、体は熱を持

    • 美しい幻

      ※三秋縋『君の話』のネタバレが含まれるかもしれません。 「私の死後、その死を嘆き悲しみ、一生消えない傷として心に刻みつけて欲しかった。私を死に至らしめた病を憎み、私に優しくしなかった人々を恨み、私のいない世界を呪ってほしかった。」 『君の話』は否応無しに自分の涙脆さを思い出させた。物語の終局にかけて、とめどなく涙が出てきた。一人で読んでいたから、抵抗もしなかった。小説、映画、音楽。現実世界で悲しいことがあっても人より涙を流さない割に、創作物には人以上に滅法弱い。情が厚いの

      • 曲、絵、文章。

        澤田空海理さんの「遺書」を聞いて数日が経った。 「遺書」についての受け答えも読んだ。 「あなたが好きだと言ってくれていた歌詞は、今ではあなたを傷つける道具になった。独りで生きるには困らないお金をあなたの歌で稼いでいる。」 曲、絵、文章。 いろいろな創作で、創作することとお金に変えることの葛藤を見ることがある。特にそれが、愛する何かに対してであればなおさら。 それが愛する何かを傷つけることになるのか。何かをすり減らすのか。純なもので無くしてしまうのか。それは様々だろう。

        • 恋しい手

          私の手を取って、その甲に口付ける。 あの人は私といるときに、なんでもない時に、何も言わずに、不意にそうする。初めてされた時には驚いたけれど、今はその仕草がただ嬉しい。そしてその手の大きさ、私の手を見つめる瞳、静かな横顔、その全てが愛しくて、映画みたいだ、と、思った。時間が止まってしまうみたいだ。 あの人がそうするとき、私はいつも、このままこの時間を閉じ込めてしまいたいと思ってしまう。 飼い猫を撫でる手元の動画を送ってきてくれたことがある。あの人が愛おしげに小さく笑う声も乗

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          光が降る夜に

          二人、夜の雨に歩いた。 花火を真下で見たことは、思えば物心ついてからは記憶になかった。 散る火の花のもとで、降る光のもとで、肩を寄せた。空にあった目をふと横に向る。視線が交わった時の、優しくて静かな微笑みが嬉しかった。雨に濡れたあの人の輪郭をなぞる光に、目が眩んだ。心も眩んだ。睫毛に乗る水滴で光が滲む。 月並みな言葉しか紡げないけれどあの日あの時間、確かに二人の世界があった。花火が上がるたびに起こる歓声を背景に背負っていても、花火が終わった後の雑踏の中にあっても、世界に

          光が降る夜に

          捲り、重ね、

          和泉式部日記が、昔から好きだった。 この本を最近、改めて読み返すことがあった。 私はあの人と会うまで、久しく恋らしき恋をしていなかった。いや、恋といえば、「硝子の小箱」で書いたものは、曖昧で、恋であったか否か分からないのですが。それはまた別の話だとして。 少なくとも、素肌に、唇に触れたい、触れてほしいというような、そんな想い人は居なくなって久しかった。いや、そんな存在はいたことは無かったのかもしれない。そう思えば、もしかすると、初恋だったのかも。 初めて和泉式部日記を

          捲り、重ね、

          腕の中に

          いつか、私が自分でふざけて笑いを堪えられなくなっていたとき、あの人が、 「愉快だねぇ。」 と、それはそれは優しい目をして微笑んだことがあった。 愉快だ、なんて、日常生活ではあまり馴染みがなかった。彼が使いそうな言葉だとも思っていなかった。 ただ、このとき、やっぱり彼のことをひどく好きだと思った。 あの人は、不安げな私や、はしゃぐ私を見るとき、幼い少女とか、動物とか、そんなものを見守るような目で微笑むことがある。そんなものと対峙する時のような優しい物言いで、言葉を紡ぐことが

          花橘の香

          古歌に、花橘の慣例がある。 花橘の袖の香で、昔の想い人が蘇る。 香りって、あまりにも重い。 記憶との結び付きの強さの点で。 塩素の匂いは、遠い青い日々、キラキラした太陽、暑い炎天と涼やかな校内、まだ今より少し高かった私たちの声を呼び覚ます。 雨の森の匂いは、幼い頃、母の腕の中に守られた森で、家族との談笑の昼下がりを呼び覚ます。 金木犀の匂いは、金色の星々に彩られた足元、それを踏み歩き、ときに摘み上げる、秋だねぇ、という同級生の微笑みを呼び覚ます。 人混みで一瞬香る匂いが、

          詩、欠片

          私は歌を好きになる時、ほとんど歌詞で好きになる。もちろん音も愛しているが、歌詞の言葉自体、フレーズ、捉え方、ストーリー。好きになるきっかけはほとんどそうだ。自分の中では何となく、真に音楽を楽しめていないのではないかと感じてしまうのだが、言葉が好きなのだから仕方がない。 言葉の方が、音よりずっとわかり易い。 いくつかその欠片を。 「花のようだった。 ピークは一瞬だった。 見世物にもならない恋だった。 水が足りなかった。 花のようだった。 なんてのは美化し過ぎか。」 (「水で

          硝子の小箱

          失ってから綺麗に見える。 というか失う前、そのただ中にいても、過ぎた昨日が美しかった。 それを綴った記録があったら、喪失感が少し少なくなって、宝物みたいに抱えてこの先も生きていけるからいいなと思う。 でも、温度とか、匂いとか、音とか、そういうものを、忘れるのが、取りこぼしてしまうのが、すごく勿体なくて悲しくて寂しくていやだ。 振り返って美しかったと思えればいい。 こんな青春送りたかった、とかよく見るけれど、中学生から高校生にかけての期間、ほぼ男の子とのそういう関係を持たず