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思い出の欠片

私は、思い出とか過去を、人以上に大切に抱えている気がする。

「あなたはたくさん優しくされて来たから、そんなに優しくできるんだね」と言われたことがある。

総じて私の人生は幸せなものだと思っている。もちろん、諦めた憧れや夢もあるし、届かなかった想いもある。1人で涙を流した夜も人並みにはある。けれど、それが絶望だったことは無いし、いつも誰か、もしくは何かに支えられていた。感謝してもしきれない。

だから過去を、思い出を、残したくなるのかもしれない。辛い過去の方が多い人には疎まれるかもしれない。

一方で、過去に縋って生きているとも思う。


過去に貰った言葉を大切に大切に心に書き留めて、何かあるごとに読み返す。
中学校の頃、離任する先生がそっと声をかけてくれた言葉。
「偉い人になるのよ」
愛したあの人が、最後にくれた言葉。
「たくさんの人に愛されて、たくさんの人を愛して生きて欲しい」

文字を綴る行為は過去と強く結びついている。というより、本質的に「残す」ものは全て過去と強く結びつく。未来に残る文字は、過去の結晶だ。

緻密に、正確に、多くを残したい。記憶を鮮明に起こせるような言葉を綴って。温度も、湿度も、風の匂いも、全てリプレイできるように。それが未来の私の救いになる。

大学受験が終わり、止まっていた日記の更新で初めに取り掛かったのは、愛おしいあの子との日々の思い出を書き留めることだった。


だから、今もここに残していきたいのだ。

昨夏、「来年も一緒に」と言う人に、本当に1年後も一緒に居られるんだろうか、と思いながら、黙って微笑んだ。ずっと終わりの予感が影をさしていた。ずっと、諦めていた。
この夏、そう言っていた人とは違う人と、夜空に散る光の花を、見ていた。

歩いていて、電車に揺られていて、ときめきを共有できるのが嬉しかった。同じものに心惹かれる二人。
会場の全員が空の光に目を奪われているとき、遠くの電車の車窓の光、水面に反射する光、人の群れを浮かび上がらせる縁日の光にも目を奪われて、同じ美しさを分かち合った。

空いた左手の扇子をずっと私に向けてくれていた。暖かく湿った風が纏わり付くような宵なのに、その夜初めて握った手は、離さなかった。
私を庇うために肩を濡らしてくれなくても、上着を汚してくれなくても、たった一箇所で体温を共有しているだけで、貴方と私には十分なのだ。


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