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捲り、重ね、

和泉式部日記が、昔から好きだった。

この本を最近、改めて読み返すことがあった。


私はあの人と会うまで、久しく恋らしき恋をしていなかった。いや、恋といえば、「硝子の小箱」で書いたものは、曖昧で、恋であったか否か分からないのですが。それはまた別の話だとして。

少なくとも、素肌に、唇に触れたい、触れてほしいというような、そんな想い人は居なくなって久しかった。いや、そんな存在はいたことは無かったのかもしれない。そう思えば、もしかすると、初恋だったのかも。

初めて和泉式部日記を読んだのがいつだったかは判然とはしないけれど、当時もそんな想い人は居なかった。
そんな人、あの人が現れてから読み返すことになったわけで、それはなんとも驚くほどに、以前と見え方が違っていた。

恋をすると世界が輝いて見える、だとか、ありがちで使い古しの表現もあるが、それ以上に、私には、知っていたはずの文章が、ちかちか、きらきらと、輝いて見えた。

周りに明かさない関係に、秘密の時間、あの人の身の不自由さ、甘い囁き、訪れの嬉しさ、二人が抱える孤独とその埋め合い。二人の間に流れる時間の、脆く、それでも暖かく柔らかい言葉の交わり。その時だけに生まれる、閉じられた世界。
その全てに、つい、あの人と私を重ねてしまうのです。


人の恋、恋の詩、映画、小説、エトセトラ、そのどれもに、つい誰かの影を重ね、陶酔してしまうこと、それが恋なのかもしれないと思うのでした。


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