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詩、欠片

私は歌を好きになる時、ほとんど歌詞で好きになる。もちろん音も愛しているが、歌詞の言葉自体、フレーズ、捉え方、ストーリー。好きになるきっかけはほとんどそうだ。自分の中では何となく、真に音楽を楽しめていないのではないかと感じてしまうのだが、言葉が好きなのだから仕方がない。
言葉の方が、音よりずっとわかり易い。

いくつかその欠片を。

「花のようだった。
ピークは一瞬だった。
見世物にもならない恋だった。
水が足りなかった。
花のようだった。
なんてのは美化し過ぎか。」
(「水でもやるか」 澤田空海理)

「このまま嘘をつきあって、 なんとなくのままで付き合って、 甘い生活には相応の砂糖が要る。 浮腫んでしまうのは嫌だなぁ。」
「もう、なんで好きかもわかんなくて、 でも、好きだけで十分じゃないですか。」
(「曖昧に甘い」 澤田空海理)

澤田空海理さんの歌は、確かに実感ができる感覚を言い当てているのに、言葉遣いがあまりに美しくて好きです。

「ひたすらに根をはって 雪どけを待つ繭玉は
魂の行方も知らないままの あたたかい恋だった」
(「ヘブンズバグ」 いよわ)

いよわさんの歌は音も相まってキラキラして、聞いていると目の前がチカチカする気がする。

「さようなら
愛をもぎ取って 真っ赤な頬をして裸になる
淑やかに 淑やかに」
「『私はね知ってる。永遠の幸せなんてないんだよ。花も枯れるでしょ?』」
(「さようなら、花泥棒さん」 メル)

華やかで儚くて、薄い花びらの花吹雪のような曲だと思う。少女らしい表現が好みです。

「震える手で手紙を書いた その喉はもう二度と震えないのに」
(「君が夜の海に還るまで」 キタニタツヤ)

死の表現が美しくて大好きです。「震え」を重ねているところも。語り手にとっての、相手の大きさが響く歌。

「うまくいかなくても君と居れる それ以上なんて有る訳無くて」
(「心臓と絡繰」カンザキイオリ)

「大人になったら うまく飛べたら 君より高く飛んで 空から見下ろして 『ばか』って それで終しまいにしよう」
(「雛鳥」 カンザキイオリ)

カンザキイオリさんが作った花譜ちゃんの歌の歌詞は、少女の叫びをそのまま歌にしたようなところが好き。勢いがある。

「大きな鞄持って出かけよう 最果ての知らない街まで
私と君と壁と机が 生活と一緒にさ全部傷ついちゃう前に」
(「すももドロップ」 35.7)

語り方の口調に可愛らしさがあるのに、必死に訴えかけてくる感じがある。世界がある女の子という感じが好き。この部分については前にも綴った、私の逃避願望が現れているのかもしれない。

「君だけだったと書いてる この音楽だって終わっていく 縋った想いで摘んだの 最後の息だって飲ませてよ」
(「シュノーケル」 文藝天国)

映像と声も合わさって、透明さ、壊れてしまいそうな静かな美しさ、愛しています。

「君が後生抱えて生きてくような思い出になりたい
見るだけで痛いような」
(「夜紛い」 ヨルシカ)

「どうだっていいことばっかりだ
関わり合うのも億劫だ
言葉に出すのも面倒だ
結局君だけだったのか」
(「六月は雨上がりの街を歩く」 ヨルシカ)

「寿命を売るなら残り2年 それだけ残してあの街へ
余った寿命で思い出を漁る」
(「詩書きとコーヒー」 ヨルシカ)

「夏が終わった次の空はきっとまだ青いままだから 
今日も生きるしかないじゃないかって」
(「ずっと空をみていた」 n-buna)

n-bunaさんの書く歌は総じて語彙の美しさへのこだわりを感じる。一つ一つの言葉の選択が、そして相手を半ば崇拝するような愛し方に、つい自分を重ねて聞いていた時期があった。今でもそういう歌が好き。


また、欠片を取り出して並べて眺めるかもしれない。


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