恋愛中心に進路を決めること
就活や卒業、新天地で歩き出す人たちが多くなる、もしくはその事について思いを馳せる機会の増えるこの時期は、「恋愛中心で進路を決めるなんていけないことだ」みたいな文言をよく見聞きする。でも、本当にそうかしら?
進路の決定に恋愛事情を持ち込むのはご法度?
“恋愛中心の選択”がいけないのではなくて、自分の中で1番大切にしたいものを、犠牲にした選択をすることがダメなんじゃないかしら。世の人々の大部分は、夢と呼ばれる、“なりたい職業”や“目標”、“キャリア”みたいなものと、恋愛を天秤にかけた時、少しだけ、若しくはかなり、“ ”で括られるものたちの方が重いらしい。だから、(それらの、1番大切なものよりも、恋愛を優先して進路を選ぶのはご法度だ、)みたいな風潮ができている。だってその人たちのプライオリティは“夢”なのだから。ただ、恋愛の方が沈む人間は、恋愛優先で選択したって良いと思う。
夢=職業じゃなくたっていい
「夢は必ずしも職業でなくても良い」
これは私が出会った中でも、大切にしている言葉であり、長いことかかったままの靄が一気に晴れるように救われた言葉。幼い頃から、大きくなれば、その頃合が来れば、夢と呼ぶにふさわしい、自分の憧れる職業が、見つかるものだと思っていた。だけど、高校を卒業する時にも、大学3年生になっても、あれやこれをかなぐり捨ててまで、なりたい職業など見つからなかった。
私は少し複雑な家庭環境だったこともあって、幼い頃からずっと、愛を育むことが、人生の中で最優先事項だった。人を愛すること、自分を愛すること、そうやって築かれる関係を大切にすること。暖かな家庭を築くこと。ずっとずっと憧れだった。だから、当時の恋人と一緒に暮らすことや、結婚へスムーズに運ぶことが1番大事で、仕事は、『理想の生活のために稼ぐ手段であり、こだわりはない』という位置付けだった。周りには「考えが甘い」だの、「恋愛依存」だのと言われて、理解されづらいのだけれど、何と言われようと、私の中には、大好きな人と離れる苦しさを心に持ってまで選びたい道などない、という強い想いがあった。そんな調子だったから、いつまでも、進路希望調査に書けるような“将来の夢”は見つからなかった。「大好きな人のお嫁さん」と、書きたいくらいに何もなかった。そういう訳にもいかず、適当に書いて提出し、普通科の高校だったこともあり、とりあえず得意科目を伸ばせるような大学へ進学。そこで、「夢は必ずしも職業でなくても良い」、この言葉に出会った。皆と同じような“夢”のない私はおかしいのだろうかとも思っていたけれど、確かにそうだと深く深く納得した。長年の違和感が払拭された気がした。そう遠くない未来の、小さな夢や、数年先の大きな夢。行きたかったカフェに行く、〇〇試験に合格する、大好きなお友達と会う、〇〇万円貯めて車を買う、そういう叶えたい事柄を夢と呼び、胸に抱いて、その為に働く。そんな生き方があっても良いと教えて頂いた。私は明らかにそのタイプだったので、今までクエスチョンマークを浮かべながら見ていた、周りとは異なる自分のことを、心から肯定できた気がしてとってもうれしかったのを覚えている。
何を選んでもリスクはある
恋愛は、一人ではなく、二人でするもの。だからこそ、恋愛を優先するというのは、自分だけが頑張れば関係が続くというものではない分、自分が頑張れば手にできる可能性の高いキャリアや、目標、なりたい職業に就く自分を1番に優先して歩いていくということより、リスキーな道にはなるかもしれない。
だけれど、リスクの話をし出したらキリがない。未来は見えないのだから。
大好きなあの人のいる所へ行って、そこで仕事をしたって、別れることになったら、そこには友達もいないし、1番大事にしたかった恋愛という中心が崩れたのでは、グラグラしてしまうだろう。適当に就いた仕事では、キャリアは築けないかもしれない。でも、本当にしたいことができたなら、いつから始めたって遅くないんだから、その時またスタートしたら良い。
逆も然りで、恋愛を選ばなくても、同じようなことは起こり得る。例えば、遠距離恋愛になったって良いと言って、転勤をする。転勤先の職場で問題があって辞めることになったって、同様にそこに友達はいない。逆に、1番大事にしたかった職で成功したからと言って、恋愛も上手くいくとは限らない。代わりに恋愛は犠牲になるかもしれないし、ならないかもしれない。そんな時にも、人生が終わるわけじゃない。どんなに大好きだと思っていた人も、時間が経てば顔も声も癖も、ハッキリとは思い出せなくなっていくし、もう二度とあんな恋愛は巡ってこないと思っていたって、また誰かを深く愛し、愛されることもできる。何がどうなるかは誰にも、全く、わからない。
ただ、どちらにせよ、リスクはあって、どんな結果であれ、自分が1番大事にしたいものを大切にすべく、最善の選択をした先での出来事なら、後悔は少ないんじゃないかしら。恋愛を選べば、最後まで恋に愛に全うしたという思いが残る。“夢”を選べば、未来に繋がる学びがある。
選択を迫られる時には
どちらも選べるのがベストだけれど、人生は難しく、時に厳しく、欲しいもの全てを、思い通りに選べない時がある。どうせどうなるかわからないのだし、もし、どちらかを選ばなければならない時には、自分が、より強く、大事にしたいと願う方を選べば良い。
人生において、大切にするものは、人によって違う。色んな意見で、色んな考えで、それぞれの道を歩めばいい。誰かの意見を気にしすぎて選択したって、その誰かは、自分の人生の責任を取ってくれるわけではないのだから。
少数意見でもいい、理解されなくてもいい。自分の魂を大切にするための理由が、多数意見である必要はないし、誰かの理解や許可も必要ない。自分が自分らしく生きることに力を注ぐこと、それが正解。そして、その先で、全てが思い通りに進むことではなく、もしもの事があった時にも、「最善を尽くしたんだけどね」って、苦笑できること、涙の理由が喪失感であって、選択の後悔ではないこと、それが正解。
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