私の好きな人。

私には好きな人がいる。憧れの人で、見るとドキドキする。私は四六時中誰かにときめいているのだ。今思えば私が何事においても依存体質なのは3歳のときからだった。幼稚園に通っていた私は2歳上の男の子に恋をした。名前をかろうじて覚えているだけで他のことは何一つ覚えていない。なんで好きだったのかも覚えていない。小学校に入って、毎年好きな人がいた。全部片思いだった。今好きなのは、アイドル。とそのオタク。変な話だ。オタクに恋するなんて。
しかも相手は女。私も女。これが恋なのかもわからない。ただの憧れかもしれない。でも恋と憧れってすごく似ていて、私が好きになる人はみんな私が尊敬している人だった。朝起きる時も、あがらない瞼にイライラする通学時も、眠たい授業にも、いつも思い出すのは好きな人のことだった。苦しいときにはその存在に助けられるけど、また私を苦しくさせるのは同じ人だった。
私が好きなそのオタクは、とても綺麗な文章を書く人だった。
言葉の一つ一つが輝いていて、全ての表現が新鮮だった。
それを「好き」って言うにはあまりにも淡くて、単直だと思った。こんな文章が書けるような人になりたい、そう強く思った。
私がその人の世界に踏み込んでしまったら、相手の世界を壊してしまうような気がして、極力関わらないようにした。その人は、私が思う「賢い」人だった。
3カ国語を話せて、言葉のセンスがいい。おまけにかわいい。
私のないところを全て持っている人。友達になりたい、そう思ったけど、無理な話だ。私の推しとその人の推しは一緒なのだけれど、推しとその人が同じ階段を進んでいるような気がしてならなかった。芸能界に出てキラキラしている私の推し。その人も、推しと同じ光り方をしていると思った。
今私は冬休みの宿題をしている。来週までに小説を2つ書かないといけない。
元々文章を書くのは得意じゃないのに。そういう部活に入ってしまった。私はバカなやつ。あまり考えもまとまっていない。人魚の話を書こうかな。ぼんやりと、ただそれだけを空想した。
大量のしなければならないことがあるのに、私はそれから逃げている。
好きな人のTwitterを見ている。一日があっという間にサラサラと溶けていく。
今日も私は好きな人のことを考えて、当たり前のように依存している。
その人がいない生活が考えられない。当たり前のように。
学校の休憩時間には自分がみんなに嫌われているのを実感する。でもそれを助けてくれたのはいつも私が好きになった人たち。
今日も私のための文章、書いてくれるのかな。
私はそれだけを楽しみに、今日を生きる。

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