【偏見】東京噺

21歳の都内の大学に通う大学生。4年生に進級したと同時に地元茨城に帰ってきた時の手記。
🌾見せるつもりもなくまとまりのない文ですが、感情のまま書いてます。 
 

疲れる前に考えるのをやめるようになってきている気がする。以前の自分ならば睡眠時間や疲れも省みずに納得のいく答えを求めて思考を続けていたのに。そう思うようになったのはちょうど東京の一人暮らしが始まった頃だろう。特に、大学3年生の後期に入ってからは休む間もなくやりたいこととやらなくてはいけないことに挟まれて、考える時間がなくなってしまっていた気がする。考える体力がなくなったと言ってもいいのかもしれない。いずれにせよ、ここしばらくの生活では「深く考えないこと」を意識しなければやってこれなかった。自分を見つめ直す時間がない。これまでは「愛とはなにか」「幸せな人生とはなにか」「生きる意味は」というような哲学的なトピックを中心に考えることが多かった。それもだいたい落ち込んだ時に。それがなくなったということは、落ち込むことがなくなったことと、世界を浅く見るようになったことが理由なんだと思う。そしてこの2つの理由はとても密接に関わっていると言える。まず、世界を浅く見ることについて。具体的にどうするかというと、感性を殺して惰性で生きることだ。もっと詳しく言うならば、何が起きても何をされてもなんとも思わない感性を持つことである。ではどうしてこうなったのか。簡単だ。東京で生活することが俺には合わなかった。充分以上にモノとヒトに溢れているくせに、またはそのせいもあって、なにもない。ヒトのつながりが薄くて呼吸がし難い。線路に飛び込んで死んだ人にも迷惑としか思えない人、倒れているおばあちゃんを無視できる人しか東京には住んでいられないんだと思う。中野に住んでいて、駅から家までの帰り道。いつものように過剰な数の人間に煩わしさを感じながらあるいていると、道端に血を流して倒れているおばあさんがいた。俺は声をかけて、意識があることと血流以外に酷い外傷がないことを確認した。急に飛び出した車を避けたら転んで頭をぶつけたそうだ。幸いひどい怪我じゃなかったので自身で家族に電話をして迎えに来てもらっているところだったらしい。それでも立っていられないおばあさんをそのまま放っておくこともできずに、俺は持ってきたポケットティッシュで止血の手伝いをして、無理に動かないこととはやめに病院で検査をすることを勧めた。しばらく雑談しているとおばあさんの息子が飛んできたので状況を説明して帰った。わずか15分ほどの時間だった。帰り道、おばあさんへの心配よりも倒れてるおばあさんを気にせずに歩き続けられる「東京人」の精神性を軽蔑していた。元恋人を含め、これまで俺が接してきた東京育ち、または東京に住んで長い人は心の中の「隣人愛」が不具合を起こしているように思える。別に自分だって他人に過干渉する方でもないし、他人に優しいわけでもない。それでも、倒れている人や困っている人がいたら少し手を貸すくらいには人の心はある。その夜少し寂しくなった。なんで東京人は他人に興味がないのか考えた。全員がそうではないと思ってるしそう願っているけど、東京で長く暮らしている人ほどその傾向があるから寂しく思う。きっと人口が多すぎて他人を見ないようにしないと疲れるのだろう。一人一人と関わり続けることは疲れるんだろう。それは大人になったからなのかな。それが大人になるってことなら、子供のままでいたい。あとは、東京人、偏見が強い。危ない人も多いから、自分が嫌いそうな人がいると内面の全てまで否定してしまう。寂しい病。俺が振られた理由も、バーで働いていることと、タトゥーを入れたいってぽろっと言ったことだった。そういう人は無理らしい。学校で理由もわからずに髪型をチェックする先生たちを憐れんだ時と同じ気持ちになってしまった。俺には分からなかった。友達がタトゥーを入れても水商売をしていても、個性の1つとしか思えなかった。職業や見た目の嗜好は素行や品性にそこまで関わっているとは思えなかった。人が多いから、信用できない人も多くて、偏った価値観で判断する癖があるのかな、と思った。もちろん、東京の人が全員そうってわけじゃないけど、地元で出会った同級生や見知らぬ人と関わってたときに、人間性の地域差は絶対にあると思うようになった。日本人はシャイくらいの気持ちで書いてる。東京人が悪いわけではないんだけど、それが当たり前になって気付けなくなる前に逃げ出したかった。理路整然もできずに感情のままに書いてしまって申し訳ない。ただ俺にとっては耐え難い現実だった。彼らと同じように思考停止しながら生活するしかなかった。このままだと完全に彼らと同化してしまうという危機感がずっとあった。どうかしそうだった。茨城の「人と人が繋がって町ができている」感が凄い好きだ。しらないおばちゃんも当たり前のように挨拶してくれるし、悲しい時に海で泣いていたらお茶を出して話を聞いてくれたおばちゃんもいた。人の温もりが直に伝わってきて、好きだ。それと同時に、そういう人になりたいと思う。東京はたまにでいいや、

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