見出し画像

【雑学】日本のオリンピックの歴史

皆様こんにちは、静香です。
東京オリンピックスタートしてますね!

私はテレビ観ないのでリアルタイムで情報取ってないのですが、日本は現段階で既に金メダル8個も獲得してるんですね!
メダル獲得順位でいうと3位‼️

今回金メダルを獲得した方々は下記を見たらわかりますが、日本は肉体的な面からメダル取りにくいのかな、と勝手な印象あったのですが、世界から見てもメダリストが多いです!
それには歴史的背景があったんですね!色々調べてみました。

▼オリンピックの歴史

講道館柔道の開祖・嘉納治五郎のIOC委員就任(1909年=明治42年)によって始まった日本のオリンピック運動は、1932年ロサンゼルス大会(金メダル7、銀メダル7、銅メダル4)と、続く1936年のベルリン大会(金メダル6、銀メダル4、銅メダル10)での水泳・陸上競技を中心とした活躍で、まずは世界の仲間入りをし、そして東京が1940年の第12回オリンピック開催権を得ながら、日中戦争の進展など、国際情勢の悪化によって、これを返上せざるを得なかったことはご承知の通りです。
続く太平洋戦争で欧米主要国を敵に回したことから、日本スポーツ界IOCをはじめ、すべての国際競技連盟から除名または資格停止されました。再び仲間入りできたのは、いずれも戦後4、5年以上経ってからであり、このため戦後初のオリンピックである1948年(昭和23年)ロンドン大会には参加できずじまいでした。

こうした事情で、日本は戦前戦後を通じて10年余もスポーツ国際交流に空白をつくりました。そこで、この立ち後れを解消し、再び世界に雄飛する起爆剤として、日本体育協会(体協。日本オリンピック委員会=JOCは、当時体協の一組織)は、東京都の同意を得て、今度こそ東京オリンピックの開催を実現しようと考えました。


そして、日本が復帰できた戦後2度目のオリンピック、1952年(昭和27年)7月の第15回ヘルシンキ大会に先立ち、1960年の第17回大会開催地に立候補。これは時期尚早で根回しも十分ではなく、失敗に終りましたが、続いて1958年(昭和33年)、今度は1964年の第18回大会に立候補、翌年5月にミュンヘンにて開催されたIOC総会で首尾よく宿願を達成しました。

この時まで日本は戦後2度オリンピックを経験しましたが、取った金メダルはヘルシンキ大会1個、続く1956年(昭和31年)メルボルン大会でも4個でした。開催まで6年足らず。
東京大会で開催国として恥ずかしくない成績を収めるにはどうしたらいいか。各スポーツ団体の全国組織を統括する体協が打ち出した秘策は『選手強化対策本部』の設置でした。 
それまで、いわゆる選手強化は各競技団体が思い思いの方法でやっていましたが、それでは抜本的効果は期しがたいとして、体協はJOCの中に東京大会実施20競技の団体代表、文部省、学識経験者、中体連、高体連など、スポーツ関係者の総力を挙げて取り組む体制を1960年1月からスタートさせたのです。

 選手と指導者の育成強化を並行して進めるために、海外遠征、強化合宿、海外からの指導者招待、研究、研修会などを活発に行い、特に技術の改善体力トレーニング等の分野にはスポーツ医科学ノウハウを積極的に導入しました。スポーツ医科学は日本が最も立ち遅れていた分野なので、その活用は強化に多大な成果をもたらしました。

外国人選手や指導者の参入など「自由化」も始まり、外国人の投入は日本の強化につながらない等の議論も起こりました。
バブル経済の破綻で、企業のスポーツからの撤退が始まるまで、東京オリンピックから約4半世紀にわたり、日本リーグは国内トップスポーツの前進を支える大きな力となりました。 

なるほど!戦前戦後、歴史的政治的背景からスポーツにもかなり影響があったんですね。
今回の東京オリンピックはこの背景を知ると日本人の努力によって創られたものなんだなと感じます。

まだまだオリンピック続きます、頑張れ日本!


※参考URL:
https://www.joc.or.jp/sp/past_games/tokyo1964/story02/index2.html

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?