身の回りに何を置くか
最近、水滴が増えました。
一つは頂戴したものです。
重心の低い、ぽってりとした丸いフォルムに、一本の釉薬の筋がすぅっと流れるようにかかっていて、その色の変化が景色として楽しめる上野焼の水滴。
上部には葉がありますので、作者の方は柿をイメージして制作されたのかな。という印象を受けました。しっかりとした高台もついています。
ありがとうございます。
そしてもう一つ。
「水滴が欲しい」とおっしゃる成人の方が居たため、業者さんに連絡し、幾つかお店の在庫を持ってきてもらい一旦預かることにしました。
一つ一つ開封し確認していくうちに最後に「これは…」というものを見つけてしまいました。
まさに鳥っぽい。目玉付け加えたい。倒したらすぐくちばし折れそうだけど。
ひっくり返して、値段見て、見なかったことにする。
とりあえず買い取るかどうかは、この水滴を購入する希望者が誰も居なかった場合です。
私はプライベートなものに関しては「必要だったら買う。欲しいのは買わない」と決めているので買い物で迷うことは無いのですが、書道関係のものは「いつか使うかも。使えるかも」この要素が入ってくるので、即座に決められないことがあります。
身の回りの生活空間はできるだけ単純明快にしていたい。しかし仕事が関わってくると簡単に割り切ることができません。
東京の師匠の稽古場には必ず文人墨客の名跡(明清時代が多い)が掛けてあります。師は蒐集家でもありますので、博物館に収蔵されているような作品がお稽古場に展示されています。
しかも定期的に展示替えがあり、楽しみの一つであるのと同時にしっかり勉強しなさいよ。と言われているようでした。
先生は言います。
「いい作品からは気が出ているんだ。その気に満ちた場所で書くといい字が書けるんだ」
また別のある日、こうおっしゃいます。
「いい作品にはな、墨気があるんだよ」
私もその通りだと思います。心手が一体となった作品というのは、向こうから訴えてくるんですよね。
みて!こっちいるよー!!って。
そんな作品には気が宿っている。書には、技術的なものだけではない精神世界もあります。
先生は田黄や鶏血といった印材も触らせてくれました。
「落としたらベンツ一台分。ははは。」
何という世界でしょうね〜。
飴色の田黄を慎重に握って、親指で下から上へ触った時のあの、ぬめ〜っと纏わりつく触感。官能。
石が瑞々しく、ねっとりしているのです。つるん。ではなく。
あぁ、これが潤というものかと。
師から学ぶことは字だけではなく、学書の姿勢もありますね。
うちでは名跡を飾れませんので、お花を置くようにしています。
一輪の花の生命を預かることのありがたさを考えることが大事。
こちらはお茶で学んだこと。
「気」についてはいずれしっかり取り掛かりたい。というかやらねばならぬ分野です。
周りにお気に入りものを置いて精神を豊かにすることもまた、字が良くなる一つの要素だと思います。
気は日本語の中に沢山ありますね。
そういうことで、これらはご縁があったのでしょう。ようこそ。