見出し画像

7月の詩

今は一年の高潮のとき、
引き潮でさらわれた人生の一部は
楽しげな泡の満ち潮とともに戻ってくる
満たされた心は、あと一滴でこぼれるほど、
今は喜びにあふれている、
なぜならこれが神の御旨ぎょしなのだ


アメリカのロマン派詩人であり、批評家・外交官でもあったジェイムズ・ラッセル・ローウェルは、夏の始まりをこんな言葉で讃えました。

そこにあるのは翳りがなく明るい、どこまでも展望が開けていく人生の夏のイメージです。

◇◇◇


夏の無い一年は、愛の無い人生と同じ

スウェーデンにこんなことわざがあるように、特に寒い国では、皆が夏の訪れを待ち望みます。

デンマークで貧しい家庭に生まれ育ち、数々の人生の苦難を経験した作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンも、こんな一文を書いたほどです。

幸せな家庭生活は、さながら美しい夏の夕べのようだ。心は平和な気持ちで満たされ、周囲のどんなものも独自の栄えを得るのだ。


作家としての揺るぎない地位を確立したのち、アンデルセンは金銭的な安定や好きな場所を旅する自由を得ましたが、人生の伴侶はとうとう得られませんでした。
自分には手に入れられなかった安らぎを、夏の夕暮れの美しさに例えたこの文章は、透明な悲しみを感じさせます。

◇◇◇


同じように、天才の名を欲しいままにしながら不幸な生涯をおくった芸術家に、アルチュール・ランボーがいます。

enfant terribleアンファン テリブル──恐るべき子どもたち”の代表そのものであったようなランボーは、15歳で書き始めた詩により社会に強い衝撃を与え、20歳で完全に筆を折りました。

以後は一遍の詩も残さず、植民地の武器商人として、37歳で波乱の人生を閉じました。


その詩はシャルル・ボードレールポール・ヴェルレーヌの世界を踏襲する“毒の花”さながらの棘を持ちつつ、きらめくように美しい詩も存在します。

私のお気に入りは『Sensationサンサスィオン──感触』で、毎年、夏になるとふと口ずさんでしまう作品です。


Sensation
Arthur Rimbaud

Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers,
Picoté par les blés, fouler l'herbe menue :
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.

Je ne parlerai pas, je ne penserai rien :
Mais l'amour infini me montera dans l'âme,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la Nature, — heureux comme avec une femme.


青い夏の宵々よいよいには

小径をゆこう、小草を踏みに
足は麦の穂に刺され
夢見る額は風のむに任せよう

何も語らず、想うことなく
ただ大いなる愛が沸くのを感じ
遠くずっと遠くへ、さまようように
天地の間を──二人連れのように幸せだ

(訳・ほたかえりな)


◇◇◇


夏の宵を美しく思う感性は日本の芸術家にも共通しており、遡ること1500年以上も前に、『枕草子』で清少納言が書いています。

夏は夜 月の頃はさらなり 闇もなほ 螢の多く飛び違ひたる またただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くもをかし 雨など降るもをかし


清少納言が生きた頃は、今の世界とは比べ物にならないほどに夜の密度も濃く、闇に輝く月や蛍の美しさはどれほどのものであっただろうと想像します。

けれど時代が変わっても、平安の夜の暗さとは異なる情緒でもって、現代にも夏の夜の蛍にまつわる名歌があります。


『 ゆるやかに着てひとと逢ふ 蛍の夜 』

───桂信子


『 死なうかと 囁かれしは 蛍の夜 』

───鈴木真砂女


どちらも胸が騒ぐような情景であり、無粋な解説は不要でしょう。

◇◇◇


このまましっとりと終えるのも良いのですが、雰囲気を変え、夏の明るい夕刻を描く中原中也のレトロポップな詩をあげておきます。

どうぞ今年も素晴らしい夏を過ごされますように。

初夏
中原中也

扇子と香水──
君、新聞紙を絹風呂敷には包みましたか
夕の月に風が泳ぎます
アメリカの国旗とソーダ水とが
恋し始める頃ですね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?