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自分軸の作り方#22~やる気スイッチはどこにある~

 「みつけてあげるよ きみだけのやる気スイッチ」

というコマーシャルが流れ出したのは、何年前のことだろう。子供にはやる気スイッチがあって、そのスイッチを押すと、急にやる気がみなぎるようなイメージを持つようになった人は多いのではないかと思う。

同時に、「うちの子のやる気スイッチはどこにあるのかしら」とスイッチを探し始めて悩んだ保護者も、一定数いそうな気がする。私もそうだった。罪深いキャッチコピーだと、つくづく思う。

  コマーシャルが流れ始めた当時の私は、子供には勉強ができる子になってほしいと思っていたので、どこかにあるであろう、やる気スイッチを探そうとしていたし、勉強をやる気がない子供を見ると「私の何が間違っているんだろうか」と、真剣に情報収取をしていた記憶がある。

 自分の人生を振り返って、やる気スイッチが入ったのは、どんな時だっただろうか。と振り返ってみた。

 中学二年生の頃、私は漫画家を目指していた。学校でも家でも、漫画を読むこと描くことが大好きだった。月刊少女漫画雑誌の、新人漫画家を目指す人たちが投稿するコーナーに投稿しようと決めた。当時、私は友達の中では一番絵を描くのが上手で、「描いて」と頼まれて絵を描くことも多かった。口下手で運動苦手な私が、唯一みんなから注目され、褒めてもらえるのが「絵を描く」ことだった。

中学生でデビューできたら、けっこうすごくない!?しかも、入選したら50万円もらえるかも。準入選でも15万円もらえる。佳作で5万円。私ならいける!最低でも5万はゲットだ!と根拠のない自信に満ちた中2だった。

 私は画材屋さんに行き、持っているお金をはたいて画材を買い、渾身の漫画、16枚を描き上げ、応募した。

結果は、佳作の次の、Aクラス。賞金はもらえなかった。ストーリーが全く面白くなかったことは、実は自覚していた。

 中学生でデビューして、話題をかっさらいたい。世間に認めてほしい。そして、賞金が欲しい。私のモチベーションは、そこにあった。私はその一回でやりつくした感を味わい、漫画を投稿することはやめた。私が身を立てるのは、漫画ではなさそうだ。と、自分の限界を知った感覚を得たのだ。

(この後、高校2年生の時に看護師を目指すと決意し、急に猛勉強を始めて看護学校に進学した。)

 もう一回、すごく頑張ったことがあった。二十代の頃、当時とても悩み苦しんでいた大切な友達に、元気になってほしくて、その人の大好きな「パッヘルベルのカノン」を、仕事から帰って深夜までピアノの猛練習をして、とりあえず見ないで弾けるまでになった。私の腕前はというと、小学校三年生まで、ピアノは親に行くように言われて、いやいや習いに行っていただけで、本当に初歩的な曲しか弾けなかった。その後は、好きな歌手の弾き語り用の楽譜を買ってきて、気が向いたら弾く程度だった。

 友達に聴いてもらうと、すごく喜んでくれた。私がたどたどしく練習しているところを見たことがあったので、「すごいね、感動した。それに、こんな早く弾けるようになると思ってなかった」と言ってもらえてうれしかった。

そのやる気はどこから出てきたか、というと、

友達を大切に思う気持ちを伝えたい、喜んでもらいたい、元気になって欲しいという私の内なる思いが湧き上がってきたものだ。

 親が子供に勉強を頑張ってほしくて、やる気スイッチを探しても見つからないのは当然だろう。なぜって、「やる気」は、自分の内側から湧き上がってくるものだから。それは、自分が心からやりたいこと・好きなこと・大切にしたいことだから、情熱を傾けられる。

 中2の時、漫画賞に応募したのは、親には内緒だった。気恥ずかしかったからだ。でも、私の親は私が絵を描くのが好きなことを、認めてくれていたし、絵がうまいね、漫画家になれるよ、とよく褒めてくれた。母の仕事で使う子供向けの紙芝居を頼まれて、作ったこともある。
 受験生だったら、「そんなことより勉強しなさい」と言われていたかもしれないけれど、そうやって好きなことを応援する姿勢でいてくれたことに、とても感謝している。

そして私の子育ての話に戻る。

長男も、わたしによく似て、幼い頃から絵が好きだ。暇さえあれば絵を描いている。
この子は、10歳の頃、作文にこのようなことを書いていた。
「僕は絵が好きで漫画家になりたいと思っている。でもお父さんが絵で食べていくのは大変だからやめとけ、というので、僕は大人になったら会社員か公務員になって、趣味で絵を描きたい。」

 教室でその作文を読み上げる長男の姿をみて、私は
とてもやるせない気持ちになった。

実際に、なれなくてもいいから、
夢は持っていて欲しい。好きなことを思い切りやってみて欲しい。    情熱を傾けてみて欲しい。そう思っていた。

そして、中3になった彼は、
受験生になって、塾に通ってみたけれど、
どうしても勉強をやる気になれず、宿題をやらなければと思えば思うほど焦り、 眠れなくなり、
塾に行こうとすると体がすくむようになり、
どうしよう…と、私の膝に頭を乗せてすがってきた。
中3の秋、長男は塾を辞め、学校の先生とのトラブルも発生して学校を1ヶ月休んだ。

 中1の時に休んだ時とは、長男も、私も違っていた。

長男は、自分の内なる声を聞いていた。
「俺はもうダメだ」
「学校いかないとか、もう社会的に終わってる」「生きてる意味わかんね」そう言って

苦しそうにもがく長男を
私はただ、見守ることに徹した。

苦しくてどうしようもなくなった時には
どうしよう、どうしよう
と、夜中に私の手を握りに来たこともある。

苦しいんだね と、静かに頭を撫でながら
私の気持ちは、不思議なことに、無風状態。
凪だった。

思春期のこの時期に、こんなに悩み苦しむことは、
どれほどこの子の心を鍛えてくれるだろう。
自分の心に向き合う貴重な経験をしている。
きっとこの子はこれからの未来にも、何度も自分と向き合っていけるだろう。
自分と向き合うことから逃げないって、すごいね。
辛いけど、乗り越えられるよ。
大丈夫。
大丈夫。

そんな思いと、湧き上がってきた愛おしさ。
私は何も言わずに長男の頭を撫でた。

そのころ長男は、時々散歩に出かけた。歩いて行くこともあったし、自転車で出かけることもあった。

学校を休んで1ヶ月たつころ、
長男はふいに
「俺、絵を描いて、散歩して、生きていきたい。」
と言った。
私は、うっかり泣きそうになった。

10歳のあの日、自分のやりたいことより、お父さんの意見を優先しようとしていたこの子が、


5年経って、自分の本当にやりたいことを、
言葉にできた!胸が熱くなった。
「そっか。君は自分のやりたいことを、はっきりと言葉にする力があるね」心からの笑顔に、なれた。


長男は、また学校に通い始めた。
それから2人で、
「絵を描いて散歩して生きて行く」を実現するために
どの高校にしようか、話し合って、
いくつか説明会に行って、
長男がここに行きたい、と決めた高校に受験することにした。
必要書類は、自分で準備した。入学願書は、一度落ちてももう一度トライできるよう、2部もらってていた。担任にも自ら書類を依頼し、願書は一人で提出に行った。

中1の時に「俺、自分軸ないわ、他人軸で生きてる」と言っていた子は、
自分のやりたいことに正直に向き合う15歳に変化していた。

 我が家では、学校を休んだ時は脳を休めるために電子機器もお休みにしている。中1の時にトレーニングを受けて、このルールを決めてよかった、としみじみ思う。もしも逃避して電子機器にのめりこんでいたら、この子は自分の気持ちと向き合うことが、多分できなかったと思うから。

これからの道のりはどうなるかわからない。
やるだけやってみて、これじゃないって思えば、違う道を探したらいい。
他人に流されずに、自分軸で生きていたら、
きっと道は開けるし、何度だってやり直せる。

親にできることは、
自信の水を注ぐこと
見守ること
本人の苦労や経験を、奪わないこと。

辛くてどうしようもなくなった時に、
帰りたくなる場所であり続けること。それくらいだ。

この子はきっといつか自分の力で
夢中になれる何かを、やる気スイッチを、見つけるんだと思う。


Special Thanks!

タルイタケシ@あなたのキャリアを失敗させないコンサルタント 様の、上の記事からインスピレーションをいただき、この記事を書くことができました。マズローのピラミッドが崩壊した今、自分の中で再構築しております。

敬愛するタルイタケシ様、感謝いたします。


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