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自分軸の作り方#33 ~【不登校】安全な場所を作ること~

 中三の長男が一時期、アトピー性皮膚炎と全身の蕁麻疹に悩んだ時期がある。コロナ渦で日本中に不安感が蔓延していた、夏の終わり。ひどくイライラしていたので、何があったのだろうと思っていた。

その後、その理由と思われることを、進路相談の三者面談で知った。

 担任は他の学校から転勤してきたばかりの若い男性で、なんとなく自信なさげな様子。それでなくても慣れない学校、新型コロナで学校のシステムも大混乱していたであろうことは、予想できるし、高校受験がどうなるかも不確定要素が多く、大変だったとは思う。

三者面談で、担任が「最近〇〇先生と、ちょっといろいろあって泣いたりもしたけど、ちゃんと謝りにいけたよね。」と、長男が先生に謝罪したことを褒めていた。その場では、長男が詳しいことを言いたがらなかったので、何かあったんだな、でも謝ることができたんだな、と思っていた。

その後自宅で、長男が何があったのかを教えてくれた時に、私は驚愕してしまった。

 長男が給食当番だった日の、四時間目のこと。

専門科目のため、5階にある教室で、授業が終わった後に先生と話し合う必要があり、話が長引いたため給食当番に遅れてしまった。

その時、担任がいなかった為、代わりの先生が教室にいて、当番の時間に遅れたことを咎められた。長男は、「先生と話をしていて」と遅れた理由を説明しようとしたが、聞く耳を持たず。

「走ってきたらよかったじゃないか」

と言われたので、

長男は両手に教科書や道具を持っていた上、昼休みが始まって、階段に生徒がたくさんいて、二階の教室まで急いで降りてくることも難しかった、と返答したのだが、先生に対して「廊下を走るなといつも言っているのに矛盾している」と思ったので、語気が強くなったようだ。

長男が言い訳したことに先生がキレて、言い合いになった。

 放課後だったか後日だったか忘れたけれど、担任にその経過を説明しなければならなくなり、話をしたが、担任は長男に非があるような言い方をした・・・らしい。

「わかりました。僕が言い返したことが悪かったんですね」と長男が涙声で言ったところ、

担任からは「そうだね、謝ったほうがいいね」との返答。

担任から「一緒に行こうか?」と言われたが断り、悔し涙を拭いて、一人でキレた先生に謝りに行ったそうだ。

 私はなぜ長男が謝りにいかなければならなかったのか、全く理解できなかった。


ちなみに、生徒は毎日、担任の先生に、その日の出来事や考えていることをノートに書き提出することになっているが、夏休み前に、長男が自分の悩み事を書いていて、

その後体調を崩して休み、担任から電話が入ったとき「ノートに書いたことなんですけど・・・」と言ってみたら、

「ごめん、全員のノート、把握できてないんだよね」と言われたようだ。

長男は「文科省のカリキュラムだから生徒に書かせているだけで、何の意味もないノート」と言って、その後ノート提出をやめた経過がある。


 長男が言うには、

ある時 授業中に豆知識を披露したある先生に、生徒が「先生、その話は試験に出ますか」と質問したら、先生がキレて「はああ?先生は試験に出ること以外話したらいけないんですかあ???」と生徒に詰め寄り、「いえ、ちょっと聞いてみたくて」「だーかーらあ、先生は試験に出る以外のことを、話したらいけないんですかああ?」「・・・いえ。そうでは・・・」

この問答で、その時の授業は終了したらしい。

その他、授業中に生徒に、言われたことで急に泣き出す先生、宿題の提出率が悪いと言って怒って授業をしない先生、など 出てくる出てくる。(長男の印象なので、全てが真実ではないと思うけれど)


学校、大丈夫か。

真剣に不安になった。

長男はアトピーと蕁麻疹で、それまで見たこともないほど、ひどい皮膚状態になり、夜中に全身をかきむしる音がずっと聞こえていた。

そして長男は受験恐怖のような状態が見られ、塾をやめ学校を一カ月休んだ。

この時の葛藤の様子を書いた記事はこちらです。

私はそのころポリヴェーガル理論入門を読み、「安全である」と感じることが、人間にとってどれほど大切なことであるか学んでいたところだったので、養護教諭に、朝瞑想をするなど、先生達のメンタルヘルスを保てるよう、お願いしに行った。

また、担任と学年主任の先生にも事情を話し、私は長男が謝る必要を全く感じなかったことや、おそらく謝る意味がわからず矛盾に耐えられずに自律神経のバランスを崩してしまっていることも伝え

全てが本当のことかどうかは、わからないことだし、親として、できる限りの長男のケアはするけれども、あまりにも不安定で、闘争逃走反応を見せていると思える先生たちの行動は看過できないので、先生たちが安心できる職場環境作りのために対策を立ててほしいと依頼した。

(コロナ渦で、マスクを着用して 互いの表情が見えないことも、不安感と無関係ではないような気がしている。)

以下、「ポリヴェーガル理論入門」から引用する。

 私たちの文化における教育や社会化のプロセスは、環境に対する身体の反応を無視させようと躍起になっているように見えます。学校の教室にいる子供たちを観察したら、様々な行動に気づくことでしょう。安心して落ち着いて座っている子供もおれば、同じ環境にいても危険を示唆する信号を察知して、過度の警戒と思われる行動をとっている子もいます。さらに教室において、慢性的に危険の合図を検知しようとしている子供は、同時に学習困難を抱えていることが多いのです。「安全である」と感じている子供は、教師に注意を向け効率的に学習できます。そうすると、従来の学校教育の考え方では「きちんとできる子もいるのだから あなたもきちんとしなさい」という姿勢で、すべての子供に一律に成果を期待します。私たちの社会では、すこしでも違う刺激が加わると、行動面で、あるいは内臓面で敏感に反応してしまうことは「悪い」ことであり、欠陥があるとして扱われます。こうした道徳観は、発達的に「障碍がある」精神的に「遅滞がある」または注意力に「欠如がある」とレッテルをつけることでさらに強化されています。社会は子供たちは、自発的に行動を抑制できるものだと考え、それができないなら欠陥があると見なされます。・・・(P235)

 要するに、学校では教師が子供たちを学習する機械のように扱っている、学校教育の成功は、どの機械にどの情報をプログラミングできたかで判定される、と著者は語る。

 また、実は一人ひとりの内臓状態を調整することが大切であり、これが学習を促進し、社会行動を望ましいものへ導く前提条件であり、人としての必須の能力だとしている。

「生理学的状態の神経による調節能力を向上させる神経系のエクササイズを行えば、やがて社会的行動が豊かになっていきます。(p227)」

学校の先生の労働条件の劣悪さに関しては、想像に難くない。この学校の状態で、「社会的行動が豊かな生徒」を育てられるとは思えない。

不登校の子供や、自死を選んだ思春期の子供たちを思うとき、

受け皿となる学校が「安全である」と、自信をもって言える場所であってほしい、と切に願う。


長男が中三の秋に一カ月休むことで心を休められたことは、彼の人生にとっても、家族にとっても、必要なことだったと思っている。コンプリメントで心を落ち着けることと共に、信頼できる皮膚科に出会うことができ、アトピー性皮膚炎は劇的に改善した。


お子さんの不登校に悩む保護者の方に、想像してみてほしい。

こどもの通う学校は、もしかしたら子供にとって「安全」と感じられる場所ではないかもしれない。

子供は、自分の心を守るために、どんなときにも最善の方法を選んでいるのだと、知っていてほしい。

おうちにいる時間、親子で過ごす時、

「家は安全である」と、子供が体の隅々まで感じることができるように、

お父さん、お母さん自身の心を安らぎで満たし、

君が存在してくれるだけで、私は幸せなんだよ、と

全身からそんな空気が流れ出て、黙っていても漏れ出て子供に伝わってしまうくらい、親自身がリラックスできる方法を見つけてほしい。

もし不安を抱えているなら、心を許して相談できる誰かをみつけてほしい。行政の相談機関でも、親の会でもいい。自分の安心できる居場所を、見つけてほしい。

人は誰かとつながっていることで、幸せを感じる生き物だから。

この世の中に、安全な場所がある と、子供が魂の奥底まで感じることができたなら、子供の心に「誰かとつながりを持ちたい」という思いが湧いてくるのだと思う。

心に「自信の水」が満ちたら、子供は社会交流を求め、学校や社会に、一歩踏み出せるようになるのだと思う。


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たくさんの出来事を乗り越えて、長男は今年、中学校を卒業する。

受験が終わってからは毎日毎日、友達と遊び歩き、楽しそうに過ごしている長男を見ていて、本当にうれしい。

長男に心から、お祝いの言葉を送りたい。

卒業、おめでとう。


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