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自分軸の作り方#24~【不登校】子供を主役に!かんしゃくの傾向と対策~

 次男は個性的だ。

 保育園のときから、あまりお喋りをすることなく、質問には答えない子だった。祖母宅で農業雑誌を読み、植物の成長の仕組みについては、ものすごく詳しく、自分の持つ知識については、流暢によく喋るし、疑問に思うことは質問してきた。

 小学1年生の宿題で漢字ドリルが始まった時、その漢字を使った熟語を、(たとえば「森林森林森林森林・・・」)一行にずらっと書くのだが、次男は漢字ワークに例として載っている熟語を使わず、国語辞典で自分の知らなかった漢字をさがしてノートに書く、という作業を、毎日時間をかけてやっていた。

 見ていて「効率が悪いなあ」とも思ったけれど、国語辞典が好きなのは、すごく良いことだし、探求心があるなーと思っていた。

本人は知らない言葉や見たことのない漢字を見つけることが楽しそうだった。

小学四年生になった時に、漢字のワークの出版社が変更になったのか、書く漢字が決められて、うっすら書かれた熟語をなぞるスタイルになった。

次男はこの「なぞる」という動作がすごく苦手で、漢字の宿題を嫌がって癇癪を起すようになった。それだけでなく、漢字ドリルは「熟語を国語辞典で調べて書く」という彼の知的好奇心を満たすものではなくなってしまったのだ。

 漢字ドリルは今までのスタイルをキープしてくれていたら良かったのになあと思う。でも宿題は宿題としてやらねばならない。その頃は厳しく言って、怖い顔で横に張り付き、無理やり宿題をやらせていた。

思えば、そんな出来事の積み重ねが、彼の中のもやもやした気持ちを増幅させたのかもしれない。

人がやる気をなくす時、それは「やろうとしていることが、中断される時」や「自分の力でコントロールできないことが繰り返される時」じゃないかなと思っている。内なる欲求が満たされないのは、つらい。

 たぶん、子供たちが夢中になるゲームは、ちょっと苦労しても工夫したら乗り越えて達成感が得られる仕組みになっているはず。絶対にクリアできないものや、やろうとしたことが、ことごとく中断されるようなものは、イライラしすぎるので売れないだろう。

 やる気を継続するためには、「やろう」とする自分の欲求が、自分の行動によって「出来た!」と、満たされることを繰り返す作業が必要なのだと思う。それプラス、誰かにそれを認めてもらうこと(フィードバック)を受け取ると、それが自信になっていくのだと思う。

そういう意味では次男にとって、「学校」というシステムそのものが、やる気をそがれることの繰り返し要素が多い場所だ。

 気持ちの切り替えが難しく、本を読み始めたらハイパーフォーカスで、名前を呼ばれても気づかなくなる性質の次男。

45分の授業、10分間の休憩、時に移動教室、着替えて体育、という、切り替えに次ぐ切り替えのスケジュールは、自分のやりたいことが中断されまくる修行の日々だったと思う。休み時間に本を読むことが楽しみだけれど、本を読める時間が短く、のんびりしていると「早くして」「次はこれやるよ」と、めまぐるしく次々追い立てられる。授業中には、いろんな音が耳に入ってきて、先生の声に集中できない。

「ざわざわした教室は、うるさくていやだ。本に集中できない」そう言っていたことがあり、休み時間は図書室に通っていた。この子は集団生活に向いていないんだろうか・・・と感じていた。

 高学年になると、クラスメイトの中で、だんだん口の達つ子が増えてきて、とっさに言葉が出ない次男が、意地悪の標的になったこともあったようだ。

 運動協調性障害もあり、思ったように体を動かすことがしにくいのだが、体育の授業で、運動好きで負けず嫌いの子供と同じチームになると、

「ちゃんとやれよ」「あいつと同じチームになりたくない」「来るな」と、はっきり言われることも出てきたようで、人格否定された次男のプライドは傷つきまくっていた。

そのうえ自宅に帰って「もうやだ!」と愚痴を言っても、母親からは「そんなの、君がちゃんとやればいい話でしょ」と切り捨てられ、やれ宿題だ塾だと追い詰められたら、学校に行くエネルギーが失われるのは必然だった・・・と今となっては思う。

 登校前に頭をかかえて「嫌だ、嫌だ、嫌だ」と動けなくなるパニック発作のようなものが起きたり、宿題をさせている最中に癇癪を起こしてドリルを投げ飛ばしたこともたびたびあり、私は次男のワガママと思える態度に、怒り心頭、怒鳴ったことが何度もある。

 小5の五月。次男が長男に続き「登校しない」という方法を取った時、私の中には正直許しがたい思いがあった。長男は進学塾で辛い思いをした、きっかけとなる出来事があったけれど、次男にはそれがなかったし、次男はもともと集団が苦手なので、長男と一緒にサボりたがっているとしか思えなかった。初めの頃は、無理やり靴を履かせて腕を引っ張って学校まで連れて行ったが、次男がだんだんキレたり、腕を振りほどいて逃げるようになり、私は根負けして、無理やり登校させるのをやめ、コンプリメントをかけることにした。

 遅刻したり、休んだりを繰り返す理由を聞くと、体育が無理だと言ったり音楽は怖いと言う。触覚過敏も加速して、四年生まで着用できていた体操服を、着ると痛いと言いだした。嗅覚も味覚も過敏さを増し、食べられないものが増え、外出時にも、すごく遠くの屋台から流れてくるネギの匂いが臭いと言ったりしはじめた。

きっと彼の扁桃核(脳の、恐怖心を司る部分)が暴走状態にあり、

集団内地位チェック回路が危険信号を示し、全身にSOSサインを発していたのだと思う。(自分軸の作り方#11「【不登校】嫌われるのが怖い・を科学する」参照)

 コンプリメントで自信の水を注ぐことと同時に、過去記事でも紹介した「されど愛しきお妻様」やニキリンコ氏の「自閉っ子シリーズ」「ポリヴェーガル理論」など、脳や自律神経の仕組みに関するいろいろな本に巡り合って、私の考え方も行動も変化していった。


学校のシステムに無理やり合わせるのではなく、

次男を主役として物事を考えるように、私の気持ちを切り替えてみた。

漢字については、運動協調性障害のある次男は、「お手本をなぞる」という作業に、ものすごくストレスを感じるようだ。

将来はキーボードを操作して文字を書くことになると思うので、漢字のドリルの宿題は、しなくてもよいことにした。もともと本を読むのが好きな子なので、漢字の勉強はそれで充分。本を読んでいる姿を見たら、集中力があるねとか、一冊読み切る力があるねと声をかけた。

算数の繰り返し計算も、「将来的にはコンピューターに計算してもらうから必要ない」と言うし、私も「確かにそうだ、もっと違うことに労力を割いたほうがいい」と思ったので、しなくてもよいことにした。宿題は全面的に先生に任せると決めた。

学校を休んだ日は、料理を一緒に作ろう、と誘った。次男は料理は割と好きなので、よくお手伝いをしてくれた。そうすると、持っている力を見つけやすくなり、「野菜を炒める力がある」とか「皮むきの力があるね」と言葉をかけることが増えた。

お風呂掃除も、お願いするとやってくれることが時々あった。

頼んでみて、嫌がるときは無理強いしない。本人がやると決めたときだけやってもらうようにした。

 親が子供への口出しをやめると、子供は何かやろうとした時に中断されることなく、自分のやりたいと思うところまで、やりきって達成感を得られるようになる。

そして、そっと子供の観察をし、何かできたときに「君には力がある」と、親が笑顔でフィードバックすることで、「満足感」や、「安心・安全」を感じることができるようになるのではないだろうか。

 そんな日々の小さな達成感や、安心感を得ることの繰り返しで、次男の扁桃核の暴走がゆっくりブレーキを踏むところまで、落ち着いてきたのだと思っている。小6になってからは、朝から登校できるようになれた。(私のママ友のお子さんが、毎朝一緒に登校しようか!?と言って迎えに来てくれたことも、すごく励みになった。感謝!)

癇癪を起す頻度はだんだん、減ってきた。2~3日に一回起こしていたのが、週1回になり、2~4週に1回になり・・・

気がつけば、今年度のひどい癇癪は、コロナ休校開け1カ月後、慣れない制服・重いリュックでの電車通学がつらくなって、「もうやだ行きたくない!!!学校に行けっていうなら電車に飛び込む!!」と感情が爆発して、その後五日間休んだだけで、その後は一度も癇癪を起こしていない。毎日登校するし、体育は、バスケットボールやバレーボールもこなしている。小学生のころぷっくりとしていた次男の手は、運動しているためか、だんだん細くなってきて、本人も嬉しそうだ。

言葉に関しては、次男は発達がゆっくりだ。なぜかというと、聴覚過敏の彼にとっては、大勢の中で目の前の人の言葉を聞き取ることが難しく、必然的に対話も少なくなるので、他の子供より経験値が少ないのだ。

 小5の一年間、登校したり休んだりの五月雨登校をしていた間、私と次男は2人きりで話す機会がすごく増えた。そして学校を休んだ日は電子機器を使わないルールにしていたので、時間を持て余した彼は、本を読む、ブロックなどで一人で遊ぶ、家族に話しかける、トランプなどをするしか暇をつぶす方法がなかった。そしてお互いの表情を見て対話したり遊んだりする機会を持てた。

 それが神経エクササイズとなり、脳内の社会交流システムが成長し、扁桃核の暴走も治まったのではないだろうか。

登校をしたりしなかったり、本人のペースで教室に行き、段々教室に慣れて、ざわつきにも耐えられるようになったんだと思う。

何より、「思ったことがスッと言葉にできない」という状態は、本人にとってとても苦しいものだったと思う。これは舅が脳梗塞で言語障害の後遺症に苦しんでいた時に強く思った。

お喋り好きな舅は、みるみる意欲を失ってしまったのだ。

次男も、頭の中では言葉が渋滞しているのに、外に出せない苦しさをずっとかかえていたように思う。

でも、私が見守る姿勢になってから、彼は口を開き始めた。

学校での出来事、それで自分がどう思ったか。

 自分の心の中を 少しずつ言葉にできるようになって、癇癪を起す前に、自分の気持ちを処理できるようになってきたんだな、と思うと、とても感慨深い。

子供が癇癪を起すとき、私は自分が何か悪いことをしているかのように、責められているような、たまらない気持ちになる。

特に外で癇癪を起された日には、周りの人にどう思われるかと焦るあまり、子供の気持ちを考える余裕もなく、イライラして怒鳴ってしまうこともあると思う。

願わくば、癇癪を起している子供を主役にして、その苦しさを思いやれる人が、その子の周りに そして通りがかる人々の中に、増えてほしい。

その子を安心感で満たすことだけが、その苦しさから解放する手段だと、知っていてほしい。

そう願いながら 今日のnoteを閉じたいと思う。





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