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自分軸の作り方#8~【不登校】朝、パニックで動けなくなる息子。聴覚や触覚が過敏な子への寄り添い方・後編~

 いろいろ過敏な次男について、少し説明したいと思う。
 次男は、対話が好きではない。幼い頃から図鑑、農業雑誌など動植物に関する本を黙々と読むのが好きだ。テレビ番組では、ドラマ仕立てよりも「ダーウィンが来た」や「ピタゴラスイッチ」のような番組が好き。デュエマカードや、ポケモンについては、ものすごく詳しい。クラスメイトの顔と名前の記憶は、怪しい。学校の持ち物の忘れ物が多く、よく紛失する。何かに集中している時は話しかけても気づかない。作文が苦手である。「自分の気持ち」を表現することが苦手で、質問に答えることが好きではない。

 次男の発達が心配で、小4の時に教育センターに相談に行き知能検査をしてもらったこともある。
彼の、知識でいっぱいの脳みその中の、
記憶をちょっと置いておくテーブルが一般的な人より狭く、興味のないことを記憶に留めておくことができないらしい。そのため、「持っていくんだよ」と母が手渡した体操服バッグを、靴を履いてる間に忘れて玄関に置きっぱなしで登校してしまう。

そのほかにも、不器用で、体を動かす時も思い通りにできなくて、ボールを使う競技などは、手がすごく痛いから苦手。ハサミで真っ直ぐ紙を切るのも、苦手である。
ザワザワうるさい教室は、全部の音が耳に入ってくるから不快で、休み時間は本を読むことに集中したいと言う。
教室で、隣の人と話し合いましょう、という時間には、教室の全部の音が聞こえて、隣の人が何を言ってるかを聞き取ることが難しい。

 段取りを考えて行動することが苦手、わからないことがあっても質問をすることはない。
 四年生の時、学校の調べ学習で、観光地を調べてパンフレットを作る課題に取り組んでいたときに、
何をやればいいか分からず、
他の人が作業をしている間、学級文庫の本を熟読していて、みんなが作業を終える頃に彼の手元には、まだ真っ白な紙が残っている、ということがあった。
本から得た知識が脳にギッチリ詰まっているけれど、パンフレットを作るために、何を調べて何を書くかを決めて、写真や絵を貼って、自分の考えを文章にする という作業を、想像しながら進めることは、できないようなのだ。

低学年の時には、そのような複雑な行程の課題が少なかったことと、動物の生態などを語り始めると驚くほどの知識を持っていて、賢い子だと思っていたので、日常の彼の困り事には、気づけなかった。

それよりも、なぜ宿題をサボってるのか、と怖い顔で問い詰めていた。

#9で紹介した「されと愛しきお妻様」の冒頭で著者が、妻の、朝起きてから朝食を食べ始めるまでの1時間半を越える行動を、イライラしながら見ていて、小言を言い始めると妻が別室にすーっと移動する場面があるのだが、これ、すごくわかる。

私も次男の行動を、いつもイライラしながら見ていたし、
かなり口うるさく、こうしろああしろと指示を出していた。そうでもしないと忘れ物がひどいし、宿題がなかなか進まないので、横で厳しく注意しながら無理やり、勉強させていた。

 それが彼の恐怖心を高め、何かやりたいという意欲も、誰かと繋がりたいという気持ちも、生きる喜びさえも奪っていたことに、その時は気づいていなかった。

私は「直そうとしないで、わかろうとする」のモットーで仕事をしてきたはずなのに。仕事で出会った人にはできるのに、我が子には出来ていなかった。


 私は、挑戦しないで逃げる次男をなんとか動かそうとしていた。
 洋服についても、肌触りの悪いものを着られない体質を、少しずつ訓練して、慣れさせることが出来ないかと思って、嫌がっているのに無理に着せたりもしていた。

 でも、ある時。「肌触りの悪いものを着ると、一日中ゾクゾク寒気がするし、痛い」と次男が教えてくれた。それはまるで、黒板を爪でキーってやった時に感じるような、不快な寒気。反射で起こっているため、訓練で慣れるレベルのものではないのだとわかった。
これについても、本人の辛さに寄り添って、肌触りがよく着やすいもの、もしくは肌触りの良い裏地を問屋街に探しに行って、服の裏に縫いつけるようにした。母と一緒に、たくさんの生地の中から肌触りのいい布を探す次男は、すごく、嬉しそうだった。

 小5の6月頃から、次男は五月雨登校をしはじめた。音楽、体育、図工などの専科を特に苦手としていて、その授業がある日は行きしぶりが激しい。
  
 親にできることは、子供をよーく観察して、
本人が出来たことと、持っている力に気づかせること。それしかなかった。


 登校できなくなった次男を理解しようと思えたのは、やっぱり、子供の持つ力、いいところ探しをし始めたことと、
 「されど愛しきお妻様」との出会いが大きかった。


 この本の著者の、もともとポジティブな健常者だった鈴木氏が、一転して高次脳機能障害に悩まされる描写は、当事者の辛さ、困り事をわかりやすく教えてくれて、もし我が身に起こったら…と、胸を打ち、深く考えさせられる内容だった。そして、自分が脳機能障害で苦しんでいるようなことを、妻は生まれた時からずっと経験してきたのだと知り、心から妻に共感し、妻の大変さを思いやるようになっていく。夫が妻に感謝するようになり、妻が劇的に家事のできる女性に成長する姿は、読者に希望を与えてくれる。

 大人の発達障害の方にはもちろん、子供の発達に悩む保護者の方に、是非手に取ってもらいたい一冊だ。


 長男が10月から中学に登校し始めても、次男の五月雨登校は続いていた。2人で家で、学校のある時間帯は一緒に「学校タイム」に取り組んで、勉強をしていた。

 小学校には、月一回程度、他学年交流の日があった。給食を低学年の児童と一緒に食べ、下級生のお世話係をするのだが、次男は、これをとても嫌っていた。いつもと違う状況で、何をしていいのかがわからないことと、ザワザワとうるさいのが耐えがたかったようだ。他学年交流が嫌だと言って休んでいた日。学校でするはずの「川の流れと浸食を学ぶ理科の実験」のために、バケツを持って次男と近くの公園に行った。

 少し勾配のある地面に枝で筋をつけて川に見立て、上からバケツでそっと水を流す。どこに泥が溜まり侵食されるかを話し合ったりした。
次男は楽しそうに、浸食される場所や泥が堆積する場所を分析していた。

「おおっ、どこに泥が堆積するか、予想する力があるね」「うまく水を流す力があるね」次男の力や、できたことを気づかせるコンプリメントだ。一緒に作業をすると、こんな声掛けがたくさんできる。

その後次男はブランコに乗ったり、リラックスした様子だった。
バケツを片付けている時に、しばらく黙っていた次男が、急に
「俺は、なんもできねぇ」とつぶやいた。

 「何も出来ない?」とだけ聞き返して、私は次男が話し始めるのを、じっと待った。

「5年生になったら、兄みたいになれると思ってた。

でも、全然なれない。俺は、ダメだ。
兄がいれば大丈夫と思ってた。兄がどんどん離れてく」

と、大粒の涙をこぼしたのだ。

 この子はずっと長男が大好きで、ついて歩いていた。私が働いてた頃、少し怖いおばあちゃんの家で、この子はきっと、長男を心の拠り所にして、過ごしていたんだと思う。


長男は何でも器用にこなす。いつも友達がいっぱいで、おしゃべりも得意で、ドッヂボールも上手く、休み時間は友達とドッヂボールをして遊ぶ兄。
 次男は、触覚過敏があるから、
ドッヂボールは手が痛くて、ボールをキャッチすることが、できない。
(私と練習したこともあったが、手が痛いと言って、癇癪をおこして泣いてしまうので、私はいつも「練習しないとうまくなれないよ、根性ないなあ!」と、呆れていた)
 運動協調性障害もあり、握力がすごく弱くて、思ったように体を動かすことも難しい。クラスでドッヂボールをするときは、逃げても何故か顔にボールが当たったりするし、
次男の過敏や、運動苦手の理由を知らないクラスメイトからは、体育の時間に「ちゃんとやれよ」と怒鳴られることも、あったようだ。

 段階を踏んで物事を進めることや、見通しを立てるのが苦手なこの子は、高学年になれば。5年生になれば一足飛びに兄のように何でもできるようになれる、そんな期待をしていたようだ。

 ずっと兄と自分を比べて、生きてきたんだ。
 そして兄が年齢とともに自分から離れることが想像できずにいたから、離れていくことに、ひどく戸惑っている。

 そんな悩みを心の中で処理できず、苦しんでいた。それでも、この子は学校に通っていた。持ってる力を振り絞って、通っていた。
だけど今日、自分の思いを言葉にして
私に伝えてくれた。

 私は、次男が思っていることを言葉にしてくれたことが嬉しくて、涙をこぼした。

「君は、お母さんに、思ってることを話す力があるね。
話してくれて、お母さん、嬉しいよ。
君の思ってることが、すごくよくわかったよ。」
 流れるようにコンプリメントの言葉をかけることができた。

コンプリメントで子育てすると決めて、半年が過ぎていた。







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