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いらっしゃいませ、ではなく、こんにちは。「対等なお店づくりの心得」

ショップスタッフや、飲食スタッフの特徴的な口調や会話の内容をモノマネする芸人さんをよく見ます。


あるある、”なんか変だから”、面白いのかもしれません。

友人等との普段の会話では、ありえない口調です。

なぜそんな対応になっているのか。
・お店のルールだから(スタッフ思考停止)
・本音じゃ、とても売れないから。
・仕事モードONのスイッチが入るから。
・自分なり、お店なりのおもてなしの一環として。
・様々なお客さんがきても対応できるように、無難に。
・もてなされたい(にお金を払う)人をターゲットにするお店で、実際もてなしに関して値段がついているから。
色々な理由があると思います。

慣れて来てしまっている部分もありますが、違和感もなきにしもあらず。
そんなことを考えているうちに、お客さんを(お金をもらう)お客さんとしてではなく、人としてコミュニケーションする方法について、カフェトリエのコンセプトの先に、言葉に整理して見ました。

血の通ったコミュニケーションにたどり着く方法は、一人一人、相手と向き合うしかありません。
「相手を喜ばせる会話術」
「もてなし上手・褒め上手になる方法」
「誰からも好かれる人になる方法」
「人が集まるひとの法則」
などの本などで、小手先のスキルだけ学んで楽しようとしても、
本心かどうかは、よほど浅いコミュニケーションに浸かった人でない限り、すぐわかるものですし、言葉と人に薄っぺらさ(と気味の悪さ)が増すだけ。
そもそも、人は一人一人異なる彩があって、相手の中にしか正解はないのに、相手と向き合わずに、楽になりたくて最大公約数のような正解にたどり着こうとすることに、効率化や無機的な心なさを感じます。
※個人的には、この世で読んでよかった仕事本は1冊(かろうじて2冊)しかありません。あとは全て内容記憶なし。小手先だけで気持ち悪い本でした。

人と人。
例えば、まずは、いらっしゃいませ〜ではなく、こんにちは〜。
かもしれない。

そういうことは、教えてもらうことでもなく、学ぶことでもなく、思考停止して言われた通りにやるようなことでももちろんなく。
相手を知ろうとして、相手から逃げず誤魔化さずに人として向き合っていれば、自然に出てくることなのかもしれません。

その気持ちは、お客さんも、お店側も「完全に」「対等である」、という思想がないと、そもそも始まりにくいものです。
お金を払う側も、もらう側も、完全に対等。
お金と、商品やサービスを、お互い納得して等価交換しているわけですから、どこにも貸しや借りはありません。
スタッフは、自ら決めた値段と等価交換するために、「商品」に、「対等で誠実なサービス」に切磋琢磨します。
優しい人は、そこに恩を際限なく感じてしまうので、自ら下に下に行くようは言葉を発してしまいますし、お客さんも悪い気はしないことがあるので、マイナススパイラルに迷い込みます。

私のお店には、”お金を払う方が偉い””選んでやっている”という考え方人には、ひとりも来て欲しくありません。
他のお客さんの居心地にも大きく影響します。

人と人が、人と人として、時間をともにする。

カフェトリエは、そういう場所でありたいと思っています。


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