見出し画像

アメリカ版のジャイアンの出来がひどい件

ども!
世界と人間のすべてに興味があるひと@シリコンバレーです。

いきなりですが、まずはこちらの写真を見てください。

カリフォルニア州で放映されていた謎のアニメ

こっちのホテルで初めてテレビをつけたときに、目に飛び込んできたアニメです。

正直これが何のアニメなのかはさっぱりわかりませんでしたが、一つだけ分かったことがあります。

やっぱり日本のアニメのクオリティは高ぇ!

一体、こいつは誰なんでしょうか。
オレンジ色の服を着て、取り巻きに演説をぶちかます姿から、日本でいうところのジャイアンみたいなキャラクターだろうと勝手に想像しています。
(誰か知っていたら教えてくださいw)

溢れ出るジャイアンみ。ファッションセンスは皆無

途中でしずかちゃんみたいなのもいたが、笑顔で友達と別れた後にものすごい悪そうな顔をしていた。

ダークサイドに堕ちたしずかちゃん?

つけるアニメ、見るアニメ、絵のタッチがなかなかに雑だ。

この企画を通した人のプレゼン力がすごい
間違った方向に追求したリアル

こうして見ると、日本のアニメってすごいんだなーって思いますね。

鬼滅の刃が一層光る

僕はあまり、ナショナリティとか、日本人としてのアイデンティティーとかないタイプだと思っていましたが、こうして比較すると、やっぱりちょっと嬉しく思う心があって、

あぁ、やっぱり自分もナショナリティを持っていたんだな、と思いました。

アメリカの人気アニメと日本の人気アニメで画像検索した結果を比べても、その絵のクオリティに随分差があるように思って、ちょっぴり謎の優越感に浸ります。

全体的に黄色いやつと、おちゃらけたやつが多い
まさにCool Japan

だけどこうやって比較して、優れているって思う感覚が、行き過ぎると差別になったり、排除になったりするから、人間の心とは厄介なものです・・・。


ここから少し、真面目な話。

最近この、

他者より自分が、あるいは自分の属するコミュニティが優れていると思う感覚が、僕たちの幸せの源泉であり、また同時に、不幸の源泉だなぁって思うんです。

確かに心理学者・アドラーの言うように、優越を求める心があるから、僕たちは努力をするし、努力をした末に獲得した勝利に、幸福を感じる。

受験でいえば、落ちる人がいるから、受かって嬉しい。

出世でいえば、自分だけがするから、嬉しい。

金メダルは一人しか取れないから、取れたら一層、嬉しい。

だから、優越感はモチベーションの源であり、幸せの源泉。これは間違ってない。

だけど同時に、それは不幸の源でもあって、

SNSで幸せそうな友人を見ると、ちょっと落ち込む。

同僚が先に出世すると妬ましく思う。

常に他者より優れていようと頑張り続けることに疲れる。

みたいなことがあったりする。

だから、人と比べることが本質である以上、幸せと不幸って表裏一体で、そこに本当の安心とか満足はあるわけがないよなと、思うんです。


また、雑にいえば、この比べる心が悲惨な戦争の原因になったりもする。

本当は"国"なんていうものはなくて、僕たちが幻想しているに過ぎないもの。領土問題って、本質的には単なるお互いの幻想の食い違いなんですよね。

国や領土なんてものは戦争で奪ったり、奪われたりを繰り返してその都度、変わっていくものだから、要は歴史のどの時点を切り取るかって話で、最初から「ここからここが日本です」と決まっているわけではない。

実際、数百年前までは、今でいう"県"みたいなものが、一つ一つある程度独立した国のようなものだったわけです。

民族だって同じ。
元はみんな猿から進化したに過ぎない、同族のお仲間です。

だけどそれが、だんだんと地域性を持つようになったり、思想性を持つようになったりして、歴史の中でグループ化されていって、民族紛争とかがあるわけです。

そうして出来上がった国や民族といった自分の所属するコミュニティが、他と比べてちょっとでも優れていたいと思う心。

これが愛国心とかアイデンティティーとか、そういったものになっていって、行き過ぎれば敵対心とか民族差別になったりする。

過去を振り返っても、現在を見ても、常にそうした紛争の背景には、人間のそうした優越心みたいなものがあったりします。

これは大なり小なりどんな人間も持っているもので、避けられない人間の業であり、これからも絶対に変わることがないものだと思います。

僕の尊敬する浄土真宗の祖・親鸞聖人が言われる通り、

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常(かたくむじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もって、空事・たわごと・真実(まこと)あることなし

『歎異抄』後序

欲や怒り、妬み嫉みの心ばかりの人間が、

いつどうなるかわからない不安な世の中に生きているのだから、

この世の一切のことは、そらごとであり、たわごとであり、まことはない。

他人に勝ったとか負けたとか、儲けたとか損したとか、有名になったとかならなかったとか、結婚した、離婚した、戦争だ、平和だ、正義だ、悪だ・・・

そういったすべては、本当は「そらごと・たわごと」でしかない。

だけど、僕たちは、その空言やたわごとのために、自分の命を投げ出したり、他人の命を奪ってしまう、愚かな存在です。

長く生きても100年。

いつ拳銃で後ろから撃たれるやら、いつ事故で命を失うやら、病気で動けなくなるやら、大切な人を亡くすやらわからない。

そんな無常の世の中だから、

他人と比べ続け、渇き続ける人生よりも、

他人からどう思われようと、

自分の信ずる大切なことを、大切に思うだけ、ちゃんと大切にできる。

そんな人生を生きていたいなと思いました。

最後に、20世紀最大の哲学者と言われるハイデガーが、歎異抄を読んだ晩年の日記を紹介します。

今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の『歎異鈔』を読んだ。
『弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり』とは、何と透徹した態度だろう。
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。
だが、遅かった。
自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が三十名近くも留学して弟子になった。ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
二十一世紀文明の基礎が置かれる。

(中外日報 昭和38年8月6日)

(追伸)

ちょっと暗いトーンになってしまいましたが、僕は元気なので安心してください笑

病んでいるとかでは全くなく、元気すぎて倒れるくらいに働いています!

ちなみにアニメはイマイチですが、こちらのテレビ番組やCMは、明るく前向きになれることが多いです。

テレビに出てくる人物たちは皆、自分に自信を持って、楽しそうにしています。

この間やっていた、ヨガの先生のレクチャー

ヨガの先生だけど・・・もう少し"ちゃんと"やった方が良さそう

楽しげなCM

この表情好き
全力でパンを吹く女性
背後の情報量が多くて全く頭に入ってこない商品の紹介

以上!皆さんも楽しくお元気で!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?