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犯罪に追い込まれた少女たちの独白…心揺さぶられるイラン映画

少年院を舞台にしたイラン映画というと、1996年の東京国際映画祭で上映された「かさぶた」(アボルファズル・ジャリリ監督)を思い出す。反政府活動を行ったとして少年院に入った少年の生活を、薄暮のようなほの暗いモノクロ映像で描いた作品だった。

それから20年後、2016年に製作された「少女は夜明けに夢をみる」(メヘルダード・オスコウイ監督)。11月2日から、東京・神保町の岩波ホールなどで公開されることになり、試写会にお邪魔した。

こちらは、イランの首都テヘランにある少女専用更生施設に収容される少女たちのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー映画。メヘルダード監督は2006年と2011年にも更生施設の子供たちをテーマにしたドキュメンタリーを作っていて、これが3作目。監督みずからこの作品群を「更生施設3部作」と呼んでいるようだ。

映像のタッチとしては、からっとした明るさすら感じられる作品。それと対照的に、少女たちの口から直接、語られる体験は、壮絶としか言いようがない。強盗、殺人、売春、薬物使用などの罪で収容されている少女たちひとりひとりにカメラを向けていく。たとえば、母と姉とともに父を殺害し、収容された少女ソマイエは監督に対して以下のように語る。

監督「ソマイエはなぜここに?」
ソマイエ「父を殺した」
監督「何があったの?」
ソマイエ「父を殺すことはみんなで決めた」
監督「ここは”痛み”だらけだね」
ソマイエ「四方の壁から染み出るほどよ。もうこれ以上の苦痛は入りきらない。ここのみんなは同じような経験をしてる。だから一緒に過ごせるの。娘に売春させたお金で、クスリを買うような男が私たちの父親なの。全員よく知ってる。お互いの痛みを理解しあってるわ」

監督はこの3部作3作目のリサーチに7年をかけ、当局から3か月の施設出入りを認められ、20日間にわたり撮影を行った。少女たちの想像を絶する過酷な体験を受け止める撮影は監督にとっても精神的に辛いものだったようだ。監督はインタビューで、1日の撮影が終わり帰宅し、シャワーを浴びて、そこで泣き、すぐに「毛布の下にも繰り込む日々でした」と答えている。

さまざまな犯罪を犯して施設にいるイランの少女たちの独白をつづるこの映画をみて、是枝裕和監督のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「万引き家族」を連想する人は多いのかも知れない。私は「万引き家族」を見ていないので、なんとも言えない部分はあるのだが、罪を犯した人の背後にある過酷な人生とともに描き出そうとする「社会派」作品であるといえ、ある種の共通性を感じる。

たまたま、「少女は夜明けに夢をみる」を試写会でみたその日の夜、NHK総合テレビの「クローズアップ現代」で、是枝監督と英国の社会派映画の巨匠ケン・ローチ監督の対談が放映されていた。ローチ監督は、英国で弱い立場にある労働者や外国人のありようを写実的に描き、国際的にも高い評価を得ている監督だ。実は、個人的にも私はローチ作品の大ファン。20年以上前。東京・早稲田の映画館「早稲田松竹」で、「ケス」という、ヨークシャーの炭鉱の町を舞台に、孤独な少年とハヤブサの交流を描いた作品を見てはまって現在に至る。

丁寧にも、NHKのウェブサイトには、放映された対話の全文テキストが掲載されていた。それによると、両監督の間で以下のようなやりとりがなされた。

■是枝監督
日本で『万引き家族』が公開されたとき、犯罪を擁護するのか、という意見があったり、彼らは自己責任だろうという意見が、ネットを中心に言葉が飛び交ったりという状況があって。
■ローチ監督
私も『お前は国の敵だ』とかいう批判を受けています。なぜなら、社会を支配している者たちにとって、自分たちの利益こそが国益だからです。実際は、人々の労働力を盗んで豊かになっているのにね。
■是枝監督
今おっしゃられたように、実際に不正をして搾取をしている人たちは誰なのか、というところになかなか目が向かないように、イギリスもそうかもしれませんが、日本はなっています。それはメディアを巻き込んで、今の政府が非常に上手に自分たちに批判が向かないようにしているからだと思います。

ローチ監督が言っているように、自国内の社会問題を告発する作品は、「映画で国をおとしめようとしているのか」といった批判を受けがちだ。是枝監督の「万引き家族」に対しても、そうした非難があったことを憶えている。

だが、そうした批判に対しては、メヘルダード監督の以下の言葉が十分すぎるほどの力強い反論になりそうだ。

イランの物語の多くは普遍的だと思うんです。世界はそのことをまだ知りません。知ってもらえれば、私たちはもっと仲良くなれます。残念なことですが、たとえば性的虐待は世界中で起こっています。この作品に登場した少女たちはたまたまイランにいただけですが、イランだけで起きていることではないのです。

メヘルダード監督が作品で、イランの更生施設に収容された少女たちの心の奥に迫ろうとしたのも、自国の問題を提起するだけにとどまらず、世界中に存在する「普遍的問題」を提示しようという意図があったということなのだろう。

この映画を買い付けた日本の配給会社「ノンデライコ」の大澤一生氏や上映館の「岩波ホール」なども、テーマが普遍的であると感じたから、日本でも上映を実現しようと考えたのだろうと思う。

日本で中東の映画が上映される機会は欧米と比較しても決して多くはない。国や地域の事情や背景について、ある程度の知識がないと、理解しにくい映画である、ということが関係していることは確かだ。だが、少なくともこの作品については、イランのイスラム体制や司法制度、女性の置かれた立場などについて知識がなくても、映画が語ろうとしていることは理解できる。

今年に入って、中東を題材にしたドキュメンタリー、あるいはドキュメンタリータッチの映画が次々と公開されている。レバノンのナディーン・ラバキ監督作品「存在のない子供たち」、シリア人ジアード・クルスーム監督「セメントの記憶」、米国人アレクサンドリア・ボンバッハ監督の「ナディアの誓い」などだ。

特に「存在のない子供たち」と「少女は夜明けに夢をみる」は、経済的貧困による家庭のちょう落という同じテーマを包含していて、「万引き家族」が描き出したものとも共通するものがある。

こうした動きの背景には、「万引き家族」がカンヌでグランプリを受賞したことで、いわゆる「社会派ドキュメンタリー作品」への関心が全般的に高まっていることがあるのかも知れない。

また同時に、中東の映画作品の中に存在している「普遍性」について、もっと高く評価しようという動きが日本で進んでいるのかも知れない。これが、「物珍しい異国の作品」といった位置づけから中東映画が抜け出すきっかけになるのだとしたら、とても喜ばしいことだと思う。

メヘルダード監督も言っている。イラン人が作るドキュメンタリー映画の役割は、イランのイメージを「正しく映し出していく」とことだと。

監督はインタビューで、「世界中の映画を観る人の中で、ドキュメンタリーへの関心が増している」のでは?、との質問にこう答えた。

イラン、アジア、そしてラテンアメリカのドキュメンタリーが先例のない形で求められているということで、新しい声が参戦することでもあります。急激にグローバル化する多文化世界では、これらの国々が必要なんです。そうでなければ、権力のあるグローバルなメディア組織が『小さな』文化のイメージをゆがめていくからです

世界に存在する普遍的問題を映画を通じて示すこと。そして世界のイラン人に対する「類型的」なイメージを正すこと。メヘルダード監督が「少女は夜明けに夢をみる」の中で試みたことは、まさにイラン映画がこれまでも取り組み、イラン映画の高い国際的評価の一因となっているものでもある。

普遍的であり、かつ、多様な世界のありさまを示すこと。メヘルダード監督のような作り手がいる限り、イラン映画は世界の中で、そうした重要な役割を担い続けていくのだろうと思う。


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中東(オリエント)の奥行きの深さを、文化、歴史を交えて日本に紹介していきたいと考えています。近くて、遠い、両者の関係を深める助けになるんじゃないかと思います。サークルでは、トルココーヒーなどを飲みながらのおしゃべりで、中東のカフェの雰囲気を作り出していきたいと思います。