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1つのクラスター内で完結しない、越境していくメディアを理想にして

いわゆるメディア媒体について、「デジタル」か「紙」かという2者選択の議論も広まっているように思う。だが、現状の社会は、この2つがまだら模様に広がっているのが現状なのだろう。実際、本や雑誌など紙の出版物は、産業としてはかつての勢いはないのかも知れないが、世代間の差こそあれ、多くの人々の生活の中に、浸透している。

今年6月、このnoteに書いていた文章と写真を、紙の上で編集して印刷し、冊子にして販売するという試みを始めた。冊子のタイトルは「カフェバグダッド アンソロジー」。アンソロジーは「選集」といった意味だ。こうした小冊子は、マガジンから派生した言葉である「ZINE」と呼ばれていて、自分の世界観、嗜好などを自由に表現するための「手作りのメディア媒体」ととらえられている。

販売のルートは、①boothというオンラインショップ②書店などの店舗での委託販売--の2つ。

店舗での販売は、書店としては東京・渋谷の「SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS」という店に置かせてもらっている。

また書店以外では、東京・荻窪の中東ワイン・食材店の「エインシャント・ワールド」さんの店内に置かせてもらっている。

店主の田村公祐さんとは以前からの友人。イスラム圏としてくくられがちな中東地域を、イスラム教徒以外のいわゆる「少数派」の視点からもとらえようという立ち位置で、共通点があると感じている。冊子を置かせてもらうのにぴったりの「親和性」があると、こちらは勝手に思っている。

また、飲食店としては、東京・浅草にこの夏オープンした「tsukino」という中東料理を出すカフェレストランの棚にも置かせてもらっている。

店を切り盛りする上田エリカさんは、中東の少数民族クルド人に関心がある。クルドの歌をクルド語で歌ってYouTubeで発表したり、イラクのクルド地域を舞台にした日本の小説をクルド語に訳すというプロジェクトも進めている。

中東のクルド人たちの視点から中東を見ようという視点に、面白さを感じる。こちらも「親和性」があると感じている。

さらに、パレスチナの伝統刺繍を使った和服帯を製造し、日本各地で展示会を開催している山本真希さんのイベントにも、小冊子を置かせていただいている。

社会の「クラスター化」という言葉がよくつかわれるようになった。人々の嗜好・好みが多様化・細分化していて、興味・関心を抱いてもらうためには、ターゲットにすべき「クラスター」をしっかり見据えることが必要な世の中になっているのかも知れない。新型コロナウイルスの出現とともに、「クラスター」という言葉が別の文脈で一気に普及したが、ここでは単に「同種のものや人の集まり」という意味で使っている。

こういう言い方をすると、ビジネスの「マーケティング」の話のような感じになってしまいそうだが、商売という観点に限らず、現代の社会で人間と人間の関係を取り結ぶものとして、「クラスター」が存在感を増しているということなのだろうと思う。

「カフェバグダッド・アンソロジー」という紙媒体を製作し、販売を始めたことで、そうした社会のあり方を意識するようになった。これは、noteというデジタル(SNS)媒体上の活動ではそれほど強く実感しなかったような気がする。その違いは、なぜ起きるのか、自分としては今ひとつはっきりわからないのだが。

もっとも、社会のクラスター化の進行は、自分の生活圏をクラスター内に限定するということが「良いこと」だという意味ではないと思う。

「アウトリーチ」という言葉がある。これも「クラスター」と同様、かなり広範囲で使われる言葉だ。広告の世界では、より多くの顧客にメッセージを届けるための働きかけのことを言っているようだ。

個人的には、現代のメディアはクラスター内に閉じこもるのではなく、自分の思いなどを届けるための「アウトリーチ」をより重視すべきだと思う。クラスター化が進む現代では、クラスター間に橋をかけるという意味も持つ「アウトリーチ」が以前に増して重要になっているからだ。どうすれば、もっとアウトリーチできるのか、そこも考えていく必要があるだろう。

そんなふうに、社会のあり方にも思いを向けながら、今後も「カフェバグダッド・アンソロジー」の刊行を続けていけたらと思っている。とはいえ、中身は、気楽に読める中東地域に関わるエッセイなので、ぜひ、上記店舗や、boothというオンラインショップで購入していただけたら、と思う。




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