見出し画像

中東前線が日本列島をゆっくりと北上している予感

文化や文明が、必ずしも都市からやってくるといえないが、インターナショナルな食文化は、やはり、東京のほうからやってくるのではないかという気もする。

日本の移民社会を追いかけている映像作家のヒロケイさんに誘われ、東北地方の最大都市、仙台に行ってきた。

別名、杜の都。ヒロさんのリサーチによれば、中東料理の店がいくつかあるという。ヒロさんは最近、茨城県や栃木県、群馬県に多く暮らすパキスタン人コミュニティーを熱心に取材している。この3県の南部には、パキスタン料理を出す店がかなりあるらしい。ただ、そこから少し北方に来ると、その密度はがくんと落ちる。

私が現在暮らす岩手県では、その影すら見えない(と思っていた。後日談はまたあとで)。ただ、ヒロさんによると、宮城県には少なくとも1軒、パキスタン料理店があるという。その店のほかにも、いわゆる中東料理の店があるらしい。それなら行ってみよう、というのが、今回の仙台訪問の出発点だった。

訪れたのは以下の3店。

①宮城県大衡村のパキスタン料理店「シャハジー」

②仙台のアラブ料理店「ざいとぅーん」

③仙台のイスラエルダイニングバー「ミリス」

結論から言うと、失礼ながら宮城県にこれだけハイレベルな中東料理の店があるとは想像していなかった。文化はいつも南からやってくるとは思っているわけではないが、「中東(料理)前線」は、思ったより早いスピードで北上しているのかもしれない。

大衡村は、トヨタ自動車東日本の本社と工場をはじめ大規模工場が集積している工業地帯だ。ここにパキスタン料理店があることも、そうした地理的条件と無関係ではなさそうだ。

仙台駅から宮城交通の路線高速バスで大衡村役場まで行き、そこからタクシーに乗ってシャハジーまで行く。国道4号線沿いにぽつんとある店だが、店内は結構賑わっていた。シシケバブやビリヤニ、チキンティッカマサラを食べたが、どれも美味しい。

最近パキスタン料理を相当食べているヒロケイさんの評価は「まずまず美味しい」。小鍋に入って出てきたチキンカダイは、大鍋で作ったほうが断然美味しいらしく、そのあたりが若干残念だった様子だった。その日の調理は副シェフだったようで、メインシェフとともにパキスタン人。店のオーナーはインド人だそうだ。店長の太田さつきさんがやり手だった。店長になった数ヶ月前から店のインスタをはじめて、今や相当な割合がインスタ経由の若い日本人の客なんだそうだ。

この手の店は、近在に住むパキスタン人が主要顧客という場合が多いから、異色といえるかも知れない。ぜひ現地の味を守りながら、幅広い人達にパキスタンという国を知り、料理を楽しんでもらう機会を提供し続けて欲しい、と思う。

シャハジーをあとにして、ヒロさん情報によると近くにあるというモスクを目指す。大衡村にはタクシー会社がないらしく、隣の大和(たいわ)町からタクシーを呼ぶ。今度は別の国道沿い、自動車関連会社の隣に「大衡モスク」があった。

パキスタン・ペシャワールから来たというイマームの許しを得て、モスク内を見学。日本語や英語はあまりできないようだったが、アラビア語で、いつ来た、どこから来たとか、そんなことを話す。毎週金曜日に行われる集団礼拝には50人ぐらいは集まり、イードなど特別な祭日などには150人ぐらい集まるという。岩手県内など、「遠くから」やってくる人もいるという。

首都圏に比べると、当然、イスラム教徒の人口密度は薄いのだろう。モスクの数は限られることになり、近くにモスクがない人は、遠路はるばるやって来ることになるのだろう。北国で暮らすイスラム教徒たちの苦労が想像できた。

大衡村役場から再びバスで仙台市内に戻る。市内中心部のバス停で降り、別の路線バスに乗り換える。今度は、ここもヒロさんが教えてくれた、「仙台イスラム文化センター」という名称のイスラム礼拝所を兼ねた施設。事実上のモスクだ。

この日は、インドネシアから来た「学者」が講演する日らしく、東北各地からインドネシア人男女が数十人ほど集まっていた。

センター代表の佐藤登さんに話を聞く。佐藤さんによると、センターは、東北大学のエジプト留学生2人と日本人ムスリムにより1977年に設立された。毎週土曜日にイスラムに関する勉強会を行っている。センターで使用する言語は英語だそうだ。

現在は広い礼拝場所がある戸建ての建物だが、最初はアパートから出発し、その後ビルの一室を借りたりして、時には住民との摩擦が生じて、一時閉鎖を余儀なくされたこともあったという。佐藤さんは、センターが行なっていたアラビア語教室に参加したのがきっかけで、関わり始めてかれこれ40年になるそうだ。

講演会が始まる時間も近づいてきたので、センターを辞して仙台中心部、地下鉄南北線の五橋駅近くのアラブ(パレスチナ)料理店「ざいとぅーん」へ向かう。

店名は、アラビア語やペルシャ語やトルコ語で樹木のオリーブを意味する。道路に面した窓ガラスにオリーブ の木のイラストが描かれているなど、おしゃれな雰囲気の店。

店はそれほど広くなく、お客さんも多くはなかったが、店長のハーテムさんが1人で切り盛りしているのには驚いた。聞くと、父はガザ地区のエジプトとの境界に近いラファという町の出身。本人はサウジアラビアの東部州の都市ダンマームで生まれ育ったというが、自身はパレスチナ人という意識がある。ダンマームの隣町には、サウジアラビアの石油会社アラムコがあり、ある意味、大産油国サウジアラビアを象徴するような都市だ。

シリア・アレッポ風というケバブ、パセリとひきわり小麦ブルグルを使うタッブーレサラダ、エジプトでよく見かける中東のハンバーグの「コフタ」と野菜のトマト煮込みを注文。ビールはヨルダン川西岸のタイベビールが品切れで、オーストラリアのペールエールとイタリアワインを選択。

料理はどれも工夫が凝らされていた。ケバブには、ニンニク味のディップ「トウム」が添えられていたし、コフタの煮込みには、フレッシュトマトが使われていたようだった。

日本のアラブ料理店として、手を抜かずかなり真面目に作っている、という印象だった。その「ざいとぅーん」のハーテムさんとの会話の中で、仙台最大の歓楽街・国分町に、「イスラエルバー」があり、店主のミリスさんと仲がいいという情報をヒロさんが聞き出した。そこで我々は、仙台・国分町の「イスラエルバー」を目指すことにした。

随分と久しぶりに足を踏み入れた国分町は、若者の街に変貌。雑居ビルの3階に入居している「ミリス・ダイニングバー」という店が、その「イスラエルバー」だった。


 イスラエルの最大都市テルアビブ郊外ホロン出身のミリスさんが昨年5月に開業した店。ミリスさんは20年ぐらい前に日本にやってきて、露天商などを経て、念願のバーをオープンさせたのだという。店内は、エルサレムやテルアビアブの町並みがプロジェクターで映し出されたり、イスラエル各地の名所の写真が飾られていたりと、イスラエル感満載。ケバブを焼くにも使う備長炭で水たばこも楽しめるという。

カウンター席に座り、ミリスさんが店内を忙しく動き回る合間に話を聞く。

驚いたのはひよこ豆のディップ「ホンモス」(フムス)。舌ざわりがとてもなめらかなのだ。ミリスさんは作り方の秘訣を惜しげもなく披露してくれた。なめらかにするには、ひよこ豆の皮を除去することが大事とのこと。ゆであがったひよこ豆に流水を当てて、皮を分離させて丹念に取り除くという方法だそうだ。

ホンモスのメニューは一つではない。焼きマッシュルーム、ゆで卵、ケバブなどが添えられるものなどのバリエーションがある。マッシュルームをイタリア・フィレンツェ風のオイルで焼いたものは、ホンモスにもとても合う。下のインスタ写真がそれ。

ホンモスという料理の可能性を思い知らされた。今回は2軒目の訪問だったため、残念ながら、ホンモスしか食べられなかったが、ケバブやファラーフェル(ひよこ豆のコロッケ)などもかなり期待できそうだ。

ミリスさんの話によると、来年のイベントで、「ざいとぅーん」のハーテムさんと合同の屋台を出す構想もあるそうだ。パレスチナとイスラエルの飲食店経営者の間に生まれた交流が育っていき、杜の都・仙台と中東との縁が深まっていくことを願っている。

さらには、日本列島を確実に北上を続ける「中東(料理)前線」が、血なまぐさい紛争と対立が続く中東に暖かな風を吹かせることができたなら、と夢想する。現実には、そう簡単なことではないと思うが。

*筆者注*以前、「おそらく本州最北のパキスタン料理店」と書いた宮城県大衡村のシャハジーだが、その後、ツイッターによる情報提供者(ナンシーさん)によると、その約200キロ北の盛岡市郊外な、パキスタン料理店があるようだ。

やはり、前線はどんどん北上しているのかもしれない。今後、その動向から目を離せそうもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?