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山田洋次監督『隠し剣 鬼の爪』

アメリカ人の知人に聞いたこと事がある。刀というものは異様な恐怖を伴うと。特に首切りや切腹が日常的だったとは野蛮としか言いようがないと。あなたたちは未だに拳銃を持ち歩き、撃ち合うではないかという質問には、それは防衛と家族を守るためであり、争いの手段ではないと言う。ましてや死ぬ道具ではないと。武士道という死生観の理解に苦しむ知人が印象的であった。

『隠し剣 鬼の爪』は、侍と人間との矛盾に直面する幕末の下級武士を描く。人を斬るくらいなら侍を辞め、好きな人と添いとげることを選ぶ。尊王攘夷といった概念や天下国家は語られない。上意討ち(藩の命令による決闘)の後に静かに秘剣なるものを使い、友人夫婦の仇を討つ。友人の妻を自害にまで追い込んだ権力に対する怒りは武士道から来ていない。決して武士道のために秘剣を使ったのではないのだ。

主人公は奉公人だった娘を救い出したのち、彼女を実家へと帰す。彼女は身分違いを自覚しながらも恋する主人の元にとどまりたい。実家に帰そうとする彼に「それは旦那さんの命令でがんすか?」とさびしげに尋ねる。後に主人公が求婚するさい、「それは旦那さんの命令でがんすか?」と愛らしく仕返しをすることになる。ここで2人は対等の女と男となっている。幕末の愛する2人にそのようなリアリズムがあったかとは問うまい。幕末の田舎侍の生き方は多様であって欲しい、侍を辞めれば2人は対等の女と男だという事実があって欲しい。映画に必要なのはリアリズムではなく、その当時の時代ならそうしたに違いないというリアリティを細部に創造できるかどうかであるとは山田監督の弁だ。


ローアングルによる相似形の映像が静かに移動して松たか子に移る。2人で話し合う場面は愛する者の喜びを観ている私たちに迫る。必ずしも「美人女優」ではない松たか子さんが可憐に美しい。野良仕事姿の松たか子さんを飾るのは小さな赤い花のみという色彩が光る。

映画の最後、画面は突然終わり、暗くエンディングクレジットとなり、冨田薫の旋律が重なり、庄内平野の月山が浮かぶ。望遠での映像が鮮やかである。黒澤明の開いた映像世界は、まだまだ進化し続けているようだ。

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