世界中の陽だまりを

18歳の頃、神社に勤めていた。年末だけのアルバイトのつもりが、当時私が高校を中退して半分ニートだったこともあってか、そのまま続けていいと宮司さんが言ってくださって、結局そこから一年近くお世話になった。

出勤したらまず巫女装束か作務衣に着替えて竹箒で境内を掃除する。そのあとほかの巫女仲間や神職の方とお茶をして、御守りを作ったり、御札所で参拝客の対応をしたり、御祈禱に参加したり、事務仕事をしたりして、夕方にはまたみんなでお茶をする。

振り返ってみると仕事中の雰囲気があまりにもゆっくりまったりしすぎていて、私はいつもぽかんとしていたし、もっと奉仕の心をもって精力的に仕事するべきだったと今は深く反省しているところ。考えれば考えるほど本当に申し訳なくて、去年同じ神社を訪れて、謝罪の気持ちを込めて摂末社もすべてじっくり時間をかけて参拝した。当時は申し訳ございませんでした。

ところでその神社に勤めていた頃、私は稲荷神社の祭礼の最中に不思議な体験をしたことがあって、今までそのことをちゃんと文章にしたことはなかったのだけど、なんとなく気が向いたので今日ここに書き残しておこうと思う。


祭礼の当日は空が気持ちよく晴れていて、陽射しもほどよく照っている過ごしやすい一日だった。祝詞奏上の間、私は宮司さんと参拝客の方々から少し離れたところに立って、ぼんやりと陽射しの心地良さを感じながら、暢気に今日はいい日だなあなんて思っていた。

するとその時、ふとまわりの木々がさわさわと嬉しそうに揺れはじめて、とても不思議な風が私のまわりに吹いた。それは足元からふわっと巻き上がって全身を抱きしめられるような、何かに包まれるような、明らかに普通とは違う風だった。

当時、私は神社で仕事をしていながら目に見えない世界についてあまり真面目に考えたことがなかったし、不思議な体験をすることがあってもそれはストレスで頭がどうかしているせいなんだと思っていた。今もスピリチュアルなことに関しては半信半疑で、信じたいと思う反面で胡散くさいと思ってしまうこともある。

でもその時の風は、本当に特別な感じがした。世界中の陽だまりを一点に集めたような、それまでに感じたことのない、言葉にできない優しさを感じる風だった。

温かい波が胸に押し寄せるようなその強烈な優しさに、風が去ったあと「今のは一体何だったんだろう」と私はまたぽかんとしてしまったのだけど、祭礼が終わる頃には一応頭をしゃんとさせて片付けに取り掛かった。するとそこに宮司さんがにこにこしながらやってきて、

「さっき風が吹いた時、静馬ちゃんのまわりを狐さんがぴょんぴょん飛び跳ねてたよ」

と教えてくれた。本当にそんなことあるの?と私は心の中で驚いたけど、どこかでやっぱりねと妙に納得している自分もいた。

あの風の温かさを思い出すと、もしかしてあれが愛なのかと思う。本当に狐さんが私の近くにいたのかはわからないけど、どっちにしてもあの日は本当にいい一日だった。

不思議な体験といえば子供の時、祖父母の家の中で白蛇を見たこともあった。

私はテーブルを挟んで祖母と向かい合って座っていて、ふと廊下のほうに目をやると、フローリングの上にとぐろを巻いた白蛇がいた。怖さは少しも感じなかった。ただ蛇も私もぽつねんとそこにいるだけ。

「蛇がいる」と私が言うと、祖母は廊下をちらっと見て、「本当だねえ」となんでもないことみたいに言った。それでおしまい。大騒ぎしたり、捕まえて逃がしたりした記憶がない。あれも一体何だったんだろうと思う。

祖母は昔、何年も会っていない知人の男性が家の窓の外に立って自分に手を振っている夢を見て、翌日にその男性が亡くなったという話を聞いたことがあるらしい。

もしかしたらあの白蛇を見たのも、そういう何か神聖な、特別な出来事だったのかなと最近になって私は思ったりする。祖母はそれをわかっていて、否定せずに「本当だねえ」とだけ言ってくれたんじゃないかって。

小さいおじさんを見たこともあった。夜中にこたつに入って横になっていたら、法被を着て髷を結った小さいおじさんが、物干し竿の上をつたって欄間の穴から仏間に消えていった。あれはさすがに寝ぼけていたのかなあ。


私には霊感なんてなさそうなのに、何年かに一度、特別に不思議な感覚を覚える出来事に遭遇することがある。ものすごく怖い時と、温かい気持ちになる時と、両方ある。

なんだか変なことをたくさん書いたかもしれないけど、私はスピリチュアルや霊的なものを盲信してそれに埋没するつもりはなくて、なんていうかただ、自分はこの世界では何が起こってもおかしくはないなというニュートラルな気持ちでいるようにしているんだということを、こういう体験を書き残すことで表現しておきたかった。(たぶん)

だからもしも明日、死後の世界なんてないんだということが証明されても、宇宙人がやって来ても、神様が降臨しても、まあそういうこともあるだろうと私は思う気がする。

でも何を信じるかで人生は変わってくるよね。信じること自体が救いになるから。

私は何が起きても一番信用できるのは自分だって思える人になりたい。私がストレスが原因でたまに変なものを見てしまうことがあるのは事実だけど、あの風の温かさは信じたいと思うから、それを信じる自分を信用しよう。

そして私も狐さんの風みたいに、世界中の陽だまりをそこに集めたみたいに温かい心で、いつかは誰かを包みたいと思う🦊



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