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天国のラジオ vol.2



毎週土曜日 AM9時
天国で放送中のラジオ番組

タイムチャンネル

あらゆる優しさと幸運が重なったとき
まれではあるが地上の人も
その放送を聞くことがあるという



窓辺のソファに腰掛けて
窓を流れてく雨を見ていた
通りを走る車を見ていた

悲しい夜 どうしようもない悲壮感

今日ぼくは
愛も金も夢も希望も失って
なにもかもを無意味に思う

だからこそいま
自分を棺桶にしまうみたいに
この店に足を踏み入れて
ぼくは扉を閉めたのだ

この小さく湿っぽいカフェ・バーに

ワインレッドの革張りソファ
なんとなく頼んだラム入りココア
まろやかな水面が揺れている

カウンターには古いラジオが
ぽつんと置かれ

小声のように小さな音が
スピーカーから流れてる


なにもかもを失ったぼく
一生懸命に生きているだけ
なのにこんなのひどすぎる

ため息とともに
ぼくはココアから顔を上げ
ふと目の前の空白を見た

そして一瞬 思考を止めた


なにもない場所
だけどぼくはそのときたしかに
間違いなく目が合ったのだ
目には見えない誰かの瞳と

その人はぼくを見つめてた
ぼくが生まれてから今日までずっと

たえまなく たえまなく
ぼくだけを見つめ続けていたんだ

あたたかな瞳で
そんな気がする

きみはいったい誰なんだ?


ぼくは不思議な感覚の導くままに
じっとその〝誰か〟 を思った



それから数分あとのこと

ふいにラジオからかすかなノイズ
カウンターの上のラジオを見やる

周波数は777MHz

トライアングルの音がした



「みなさん、こんばんは。天国のラジオ、タイムチャンネル。パーソナリティの天使です。今日は放送時間を変更してお届けしております。それは一体なぜなのか? 理由を正直に申し上げましょう。それは今朝、私の目覚まし時計が鳴らなかったからなのです。実は、昨夜は遅くまで幸運の女神さんとお酒を飲んでいましてね。いや、ちゃんと目覚ましはかけたんですよ。あれ? ひょっとすると、かけていないかもしれません。まあこういうこともあるでしょう。ちなみに幸運の女神さんと飲むお酒はとっても美味しかったです。ああ、楽しかった。それではタイムチャンネル、始まります」


陽気なボサノバ調のウクレレが流れる
ゆっくりと ゆっくりと続く音の粒

ぼくはこぶしを握らずにはいられなかった

なんてふざけた番組なんだ
なんて不謹慎極まりないパーソナリティ

ぼくは真面目に生きてこんな目に遭ってるんだぞ

なのにこの天使とかいうやつは
不真面目に生きてぼくより人生を楽しんでいる

あんまりだ こんなのあんまりだ

かくなる上はこの番組を粗探しして
あとで苦情の電話でも入れてやろう

ぼくは怒りに震えた瞳のまま
カウンターの奥のマスターを見た

彼はまったく無関心な横顔で
静かにワインボトルを磨いてる


「さあさあ、今日もお便りをたくさん頂いておりますよ。我々の仲間、天使のひとりから頂いたこちらの一通をご紹介しましょう。ついさっきメールで届いたお便りです。お名前は〝地上でハムスターに噛まれた〟さん。あらまあ、災難でしたね。動物に噛まれるというのは、天使なら誰でも一度ならず通る道です。避けられない運命です。めげずにやっていきましょう」


ぼくはそのとき アパートで飼っている
ハムスターのタケシのことを思った

ぼくのタケシ 可愛いタケシ

たとえタケシと引き換えに
ぼくが失ったものが
もう一度この手に戻ると言われても
ぼくはコンマ一秒も迷わず
それを断ることだろう


「それではお届けします。〝こんばんは。ちょっと聞いてください。さっきすごいことが起こりました。数分前のことです。興奮してうまく文章を構成することができません。どうしたらいいですか? もし可能でしたら、お電話で説明させていただきたく思います〟 ふむふむ、なるほどです。ということで、さっそくお電話が繋がっています。地上でハムスターに噛まれたさん、聞こえますか?」

「はい、はい、聞こえています」

「お便りどうもありがとうございました。それで一体、どんなすごいことがあったんですか?」

「それが、あの、信じてもらえないかもしれませんが、地球時間でいうところの27年前のこと、天使全員で我々の世界から地上へと送り出し、私がずっと見守り続けていた人間と、さっきたしかに、目が合ったのです。本当です」

「なんということでしょう。うらやましい」

「びっくりしました。世界がひっくり返るかと思いました。嬉しくって、涙と震えが止まりません。この27年間で初めて、彼と心が通じたような気がします。ラジオをお聞きの皆さん、覚えておいででしょうか? 27年前に我々が天国で見送った、ミスミ君のことです」

「もちろんです。誰もミスミ君のことを忘れるわけがありません」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。ミスミ君はその逞しく高尚な魂ゆえ、地上において非常に過酷な運命を自らに課しました。そんなにつらい思いをする必要はないと我々がどんなに止めても、彼はその運命を必ず乗り越えてみせると固く決意していました。そして我々天使が彼の人生に介入する機会も、その人数も、最低限にとどめてほしいと言いました。そして私が、彼を見守る天使としてたったひとり、代表に選ばれたのです」

「覚えていますよ。我々天使たちはずっと、一日も欠かすことなくミスミ君の人生を気に留めておりました。しかしミスミ君は、あなた以外の天使が自らの人生に介入することを許しませんでした。我々も涙を呑んで彼とは距離をおいていたのです。しかし心はいつもひとつでした」


まったくさっきからなんの話だ

これはなんの番組なんだ
ラジオドラマか
だったらはじめにそう言うべきだ

しかしぼくの名前もミスミというが
同じ名前のミスミでも
ぼく以上の馬鹿もいたもんだ

魂が高尚だかなんだか知らないが
自分で人生を決められるなら
もっと幸せな生き方を選べばよいものを

ぼくは呆れてため息を吐き
すっかり冷めたココアを飲んだ


「それで、地上でハムスターに噛まれたさん、本当に目が合ったのですね?」

「もちろんです。嘘をつくわけがありません。私は天使です。正直さが取り柄なんです。皆さんにつらいお知らせをしなくてはなりません。ミスミ君は今、とても傷ついています。悲しい出来事が重なって、本当の自分を忘れてしまっているのです。もちろん私としてはミスミ君を信じています。きっと立ち直ってくれると信じています。だけど、私、私、ごめんなさい。彼のことが心配で、不憫でならなくって、さっき、彼に向かってウインクをしてしまったのです。それで目が合ったのだと思います」

「なんですって。人間に向かってウインクをすることは、固く禁止されているはず。神様と天使の約束ですよ」

「わかっています。ごめんなさい。我々がウインクをすると、人間は我々の存在を察知し、状況によっては姿が見えてしまう場合もあります。だから動物にしかウインクしてはいけないと決められている。それはよくわかっているんです。でもさっき、ミスミ君には私の姿は見えなかったはずです。それなのに、私とミスミ君はたしかに目が合ったんですよ。これこそ、本当に心が通じ合った証ではないでしょうか? 目に見える体同士で目が合うこと以上に、これはすごいことですよ」

「たしかにそうかもしれません。しかし、このことは全知全能の神様も当然把握しておいででしょう。どのように対処されるおつもりなのか…」

「その点についてはもう相談済みです。この番組にお便りする前に神様にお話させていただきました。祈りを通してです。神様いわく、まったく心配しなくてよろしいとのことでした。私を罰することもないと。それどころか、この世界には間違ったことなど起こりはしないと、力強く仰ってくださいました」

「さすがは神様」

「しかし、神様は私をお許しくださる代わりに、私にひとつ指示をくださいました。それはこの番組で、ミスミ君が心から愛している、ハムスターのタケシ君について報告せよとのことでした。だから番組にメールを送ったのです」


ぼくはココアを
向かいのソファにむかって吹き出した

ハムスターのタケシ
これはきっと きっとぼくのタケシにちがいない

ぼくのタケシ以外のタケシを
ぼくは想像することができなかった


「タケシ君は、ミスミ君のことを愛しています。ミスミ君の喜びも苦しみも、タケシ君はすべてを理解しています。ミスミ君が笑顔を浮かべるときも、涙を流すときも、そのありのままの姿を、タケシ君はいつもそばで見ていたからです」


そうとも ぼくはいつもタケシの前で
嬉しいときは笑顔を浮かべ
悲しいときは涙を流し

ぼくがどんな姿でも
いつも変わらないタケシの瞳に
何度も何度も救われてきたのだ


「タケシ君は覚えいています。ペットショップのケースの中で病気にかかり、ストレスから自らの足を血が出るほど齧ってしまっていたぼろぼろの自分を、ミスミ君が喜んで選んでくれたこと」


そうとも 初めて出会ったとき
タケシはぼろぼろだったんだ

今にも消えいりそうな
小さな光のようなその命

ぼくが守ってあげたいと
幸せにしようと思ったんだ


「タケシ君はある夜、私と真剣に話をしてくれました。タケシ君が語ったのは、こんなお話でした。『命の短いおれを、こんなに愛してくれるミスミが心配でならない。だってミスミは、長くてもあとほんの数年でおれを失ってしまう。仕方ないよな。それがおれたちハムスターの寿命だから。でもミスミは繊細だから、傷つかないか心配なんだ。だから、おれは毎晩神様に祈ってるよ。〝神様、おれは毎日一生懸命走って、ケースの中の回し車を1000回転させるから、どうかおれの気持ちをミスミに伝えてください〟って。まあ、人間でいうところのお百度参りみたいなものだよな』」


ぼくはついつい笑ってしまう

タケシ

お前そんなつもりで

毎晩大きな音を立てて
一心不乱に走り続けていたのか

ぼく 眠れなくて困ったよ


「『で、おれの気持ちってのはこういうことさ。ミスミ、お前は最近おれの近くで、死にたいってしょっちゅう呟いているよな。枕がびしょびしょになるくらい、毎晩泣いているよな。大切なものが次々と消えていくんだろ。でもミスミ、お前が本当に死んじまって、お前がお前自身を失うことに比べたら、ほかの何を失ったって、そんなのモノの数にも入らねえよ。命あっての物種だぜ。金が何だよ、夢が、愛や希望がなんだよ。そんなもん、お前が生きてさえいれば、何度でも手に入るものなんだよ。死んだら何にもならねえよ。おれを見てみろよ。笑っちまうくらいちっぽけな存在だよ。自分でもやんなっちまうよ。でもお前が生きているから、おれも生きていられるんだぜ。お前はいつか必ずおれを失うけど、でも、それでおれがいなかったってことにはならないだろ。おれが生きてたことに意味がなかったってことにはならないだろ。そんなふうに思われたらおれが困るよ。ほかのぜんぶもそうなんだよ。お前がなにかを手に入れて、それを大切にして、愛していたなら、それを失ったって、それに意味がなかったってことにはならないんだよ。むしろ意味があるんだよ。お前が生きてる限り無意味なことなんてひとつもないんだよ。だから元気だせよ。おれはお前のために毎晩走ってるんだぜ。こんなにお前を愛してんのに、悲しい顔ばかりされちゃあ、おれだって悲しくなっちまうよ……。こういうことをミスミに伝えてほしいんだよ。それを神様に祈ってんだ。毎晩な』」

「素敵なハムスターさんですね」

「噛まれましたけどねえ。本当にいいハムスターさんなんです。タケシ君は」


顔を覆って泣き出したぼく

マスターが一言も発することなく
ぼくがココアで汚してしまった
向かいのソファを拭いている

タケシ タケシ
ぼくも愛してる

天使のみんな 神様
ありがとう

このラジオがぼくの幻聴だとしても
べつにかまわないような気がするよ


「あのう、それじゃあ、私、もうおいとまします。神様の指示も果たしたことですし、そろそろミスミ君のところへ帰らなきゃ。こんなに長く彼から離れてしまって、心配なんです。番組をお聞きの皆さん、最後までお聞きくださりありがとうございました。皆さんの愛する地上の人間たちに、天の祝福がありますように。さようなら」

「地上でハムスターに噛まれたさん、ありがとうございました。皆さん、今日のお便りも素敵でしたね。私も、ミスミ君の様子を窺い知ることができて嬉しかったです。今はつらい時期かもしれませんが、彼なら必ずや運命を乗り越え、晴々とした笑顔で、いつかこの天国に帰ってきてくれることでしょう。我々は彼を信じ、その日がくることを楽しみに待っていましょうね。最後になりますが、天使のウインクは強力です。ウインクのパワーを使う時は、TPOを弁えることが大切です。しかし、すべては神様の手のひらの上。あまり気負わず、安心して日々を過ごしましょう。最後までお付き合いいただきどうもありがとう。来週もこの番組をお聞きくださいね。さようなら」


穏やかに流れる終わりの曲

少しずつ小さくなっていくボリューム

そして最後にもう一度
トライアングルの音がした

ふいにラジオからかすかなノイズ

それ以外もう何も聞こえない


ぼくはお店を汚したことをマスターに謝り
そのカフェ・バーをあとにした

雨で濡れた夜の道路を
車や人々が行き交っている

テールランプや街灯の光
まるで地上の夜空のよう


ぼくはあたりをぐるっと見渡す

なぜか一箇所だけ
たしかにピンときた空白の場所

そこに向かって
ぼくはウインクをしてみせた


毎週土曜日 AM9時

天使の寝坊によってはPM9時

天国で放送中のラジオ番組
タイムチャンネル


遊び心をもって
耳を澄ましてみてください





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