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『体育教師を志す若者たちへ』 第5章   授業作り論


 夏休み中に4日ほど行っている水泳補習の受付場所(プールサイド)です。希望者が来ます。授業で見学・欠席してしまった分を自分で自由に泳ぐコースにするか、苦手な泳ぎ方を教えてもらうコースにするかのどちらかを受付で選択します。授業でできなかったテストに挑戦することもできます。1日に平均30人くらいは来ます。みんな泳げるようになりたいのです。        

 猛暑の夏でも体育館にクーラーはなし。厳寒期には0度近くになります。夏場に校庭で授業をする日は、雨が降った時にどうするかの計画まで立てておかなければならない。冷暖房完備の教室で日々授業をしている先生方がうらやましいですが、自分で選んだ体育教師の道です。
 さて、今回は1時間の授業をどう準備して進めていくかという話をします。

第5章 授業作り論

◇1時間の授業で勝負する
 当然のことながら、体育の授業は体を動かして運動さえしていれば良いのではなく、学習の場である。学習なのだから、教師の話を聞いたり、やることを自分たちで考えたり、そのために話し合ったりして、頭で理解したことを行動に移していく。体を動かすのだから準備運動もしなければならない。うまくなるためには練習時間はできるだけ多く確保したい。その上球技では練習したことを試合で試すことや楽しむこともしたい。そして学習の終わりにはそのふり返りをして次の時間につなげていくので、話し合ったり書いたりすることもしなければならない。
 これを小学校なら通常45分で、中学校なら50分で行うのだから非常に忙しい。従って教師にとっては1時間が分刻みの勝負の場になる。覚悟を決めて周到な準備をしておかなければならない。そして1時間1時間の積み上げで10~15時間程度の単元が構成されていく。バレーボールなどは中学1年生になって初めて体験する生徒も結構いる。その生徒たちが、ボールを落とさず、はじいて、仲間と協力してチームプレーができるようになり、しかもルールを覚えて試合を楽しみ、審判をもできるようにする。これは大変なことなのだ。

 教育実習の時や研究授業を引き受けたときなどは、だれもがその周到な準備をした上で授業に臨んでいるだろう。しかし、教師生活に慣れてくると、日々の忙しさを口実にだんだんと時間にルーズになってくる。校庭の授業の場合は移動に時間もかかる。授業が始まって生徒が準備運動をしている間にラインを引いたり、道具の準備をしたりしている教師は少なくない。準備運動も学習のひとつなのだから、それを教師は見て指導する義務がある。準備運動に手を抜く生徒がいたり、ふざけて人にちょっかいを出していやな思いをさせたりということも起きかねない。安全上この準備体操だけは丁寧にやってほしいという内容もあるはずだ。生徒たちには、「授業を大事にしろ、宿題はちゃんとやれ」と言っておきながら、教師が授業の準備を怠っているようではいけない。

◇授業の流れ
 ここで私が行ってきた1時間の授業の流れを例に、大事な指導ポイントをたどってみたい。小中学校の休み時間は通常10分程度しかない。したがって前の時間の授業が終わってから次の授業が始まるまでが忙しい。授業が始まる前に必要なラインが引いてあったり、道具の準備は完了していていること。そして開始チャイム前に教師は授業会場に先に行っていて、生徒が来るのを待つ。必要な板書や掲示物の掲示も先に済ませておく。そして早めに来る生徒は誰なのか、あるいは遅れてくる生徒がいるのか、それをチェックして声をかけて迎える。生徒に用具を出させたり片付けさせたりすることも大事なことではある。しかしそれは時間との兼ね合いで考えなければならない。早く来た生徒にボールカゴなどを出させることはあるが、それも開始チャイムまでには終了させておき、チャイムで教師も含めた全員で授業を始められるようにする。

1時間の授業の流れの例

 あらかじめ準備運動の仕方が生徒たちに説明されていれば、開始チャイムと同時に準備運動を一斉に始めさせることもあるし、あるいは校庭での授業の場合は、校庭に出てきてた生徒から早めにランニングを始めさせることもある。準備運動を班毎にまとまって行う場合は、集まって体操をしている時に出席の状況をチェックしてしまうとよい。そのためには班毎の名簿ができていなければならない。どんな準備運動をさせるにしても5分程度で終わりにしたい。ただし準備運動の中に基本練習を入れることもあるので、その際はもう少し長くなる。1時間の流れの例を表1に示した。これはあくまで一例、目安であり、単元によっても異なる。

 よく体育の準備体操の仕方が学校で決まっていて、〇〇体操などと名前がついている学校がある。それを毎時間係の生徒の号令で一斉行っているようだが、準備運動は活動種目によって異なると考えるべきだろう。そのほうが時間節約にもなる。このように準備運動ひとつとっても時間と内容を周到に考えておかなければならない。
 次に集合して挨拶をし、今日の学習の説明や課題の確認を行う。教師による全体への説明があり、それを受けて班毎に話し合いをする時間も必要になってくる。これを5分程度か長くても10分以内には終わりにして練習に入れるようにしたい。
 表1の例では2種類の練習①と②を行っているが、合わせて20分にも満たない。こうした短い時間内で、教え合いもさせながらうまくさせていかなけれぱならない。授業をしてみれば分かるが、練習を見ていると、「あともう一回やらせたい、そしたらできるかもしれない」と思う場面が時々出てくる。それができるようになる前に練習を終わりにしなければならないとしたら、教師は1分でも練習時間を多くさせたいと思うようになる。第1章で述べたように、授業は男女混合で、部活動で専門的に活動している生徒から日々運動不足の全くの素人まで混在している。授業内容をよく理解できていない生徒がいたり、つまづく生徒が出てきたりするので、ひとり1人にあった丁寧な指導が求められる。「体育授業の難しさと醍醐味」の指導がここで発揮される。

◇通り一遍の流し方では・・・
 しかしその指導法研究に挑もうとせず、通り一遍の練習を一斉に体験させただけですぐに試合に移っていくということがよく行われている。バスケットボールやバレーボールなどでは適当に2人一組を作ってパスやシュート、ドリブル練習などを一定時間行い、うまくなってもならなくても試合に移っていくパターンだ。これでは男女協力はできるようにならないし、みんなでうまくなる感動も体験できない。
 指導案はプログラムではないとよく言われる。生徒の反応がどうであろうと時間がきたら次へ流れていくようなプログラムであってはならない。生徒のつまずきをこそ大事にし、あらかじめその予想もしておいて、学習を深めていくのが授業なのだ。それでも予定外のことはよく起こる。
 具体的な指導ポイントの例をここで少し述べたい。例えば第2章のバレーボールの実践で紹介した1対1のオーバーハンドパス練習。適当にペアを組ませると、男子同士、女子同士になってしまう。そこで私は男女協力ができるように、最初は班内でのペアを意図的に男女で組ませる。そして数分したら相手を交代し、班内の全員とパスを体験させる。バスケットボールの基礎練習として行っているパスからのシュート練習も必ず班内の全ての仲間とそれを行ったかチェックする。そのことによって相手のことが分かり、相手に合った取りやすいパスを出そうとするようになる。
 集団マットの最初の時間では班内の男女でペアを組ませ、細長く狭いマットの上を男女並んでぶつからないように連続の前転をさせる。最初は恥ずかしがっているが、慣れてくるとだんだん笑顔が出てくる。そうした指導によって、男女関係なくだれとでも息を合わせて運動できるようになっていく。上手にできない人を大事にするということもこうした過程を通して意識化させていく。
 こうしたきめ細かな指導をしないとどうなるか、私は2名の同僚(1名は新卒、1名は50代のベテラン)の男女混合ソフトボールの授業を偶然遠くで眺めていた時に気づいた。両教師の授業ではキャッチボールの時にペアの組み方を細かく指示しない。自然と男女別になっていて、得意な者どうし、仲の良いものどうしで行っていた。そして苦手な女子はしだいにやらなくなっていった。男女混合は無理と決め込んだのだろう、結局試合は男女別になっていた。女子はルールも分からない。一部の男子は楽しく試合を進めているが、女子は次第に試合さえやらなくなり、男子の試合を観ているだけの時間になってしまっていた。そして教師は「男女一緒の授業は無理だ」と決めつけている。私の授業ではエラーやヒットに歓声があがり、男女混合チームで和気藹々、喜々として試合を楽しんでいた。私はこれは「指導力」の問題ではないと気づいた。1人は50代、生徒指導主事も務めるベテラン教師で生徒たちからも好かれていた。指導力の違いではなく、指導の仕方をどう考えるかよってこんなにも違うものかと驚かされた事例だった。

◇バレーボールの指導で
 話をバレーに戻そう。みんなが上手くなる上では、場や空間認識の指導がとても大切になる。6人制バレーボールでは練習に入る前にまずは6人のポジションを決めさせる。ローテーションをしていくので、誰がどのポジションに来た時でも、チームとしてうまくつないで返していけるようなポジションを考えさせる。しかしそう声がけをしておいても、仲の良いよく動ける男子2人が隣りになるポジションにしてしまうことがよくある。その2人が前衛に来た時にはトスを上げて打っていくが、彼らが後衛に来た時はなすすべもなくしらけたチームになってしまう。そんな失敗も経験させていくと、苦手な生徒の隣りにはよく動ける仲間がいなければダメだということがしだいに分かってくる。
 そうして決められていった各チームのポジションを教師はメモしておき、練習相手の組み方をチェックしていく。2人1組でレシーブ練習をする時は、セッター(前衛のセンター)に対して後衛には誰がいるのか決まっており、その相手と練習させるようにする。セッター役はネットに背を向けてネットから1m程度離れた位置に立ち、後衛のレシーバー役はセッターとネットの位置をつねに意識してボールを送るように練習する。
 試合では自分があるポジションにいる時、他のメンバーがどこにいるかが決まっている。数人での練習から6人全員でのチーム練習まで、すべてこのポジションに合った位置関係を考えて練習させるようにする。バレーボールではボールが空中にある時にみんな上を向いているので、他のメンバーがどこにいるのかは分かりにくい。しかしこうしたポジションに合った位置関係で常に練習しておくと、上を向いてボールを見ている時でも、周りの人の動きがある程度読めるようになる。ある人のところへボールがいった時はこんなミスをしそうだから事前にこっちへカバーに動いておこう、といった先取り的な動きができるようになるのだ。
 トス-アタックの練習では、右利きの人は前衛ライトの位置にいる時よりもレフトの位置にいる時の方が打ちやすい。自分がセッター(前衛のセンター)の位置にいる時にライトのアタッカーは誰なのか、レフトはだれなのかということまで考えて相手を決めて練習していくと、コンビネーションができてきて早く上手くなる。

◇試合の場面で
 さて、練習が順調に進み、試合が始まると教師はほっとして少し余裕が出てくる。しかし練習と同様に試合の様子ものんびりと眺めていてはいけない。生徒たちは試合の中で上手くもなり、下手にもなる。必要な時に声をかけるだけでなく、その必要がない時は生徒の動きの状況やアドバイスしたいことをメモしていく。下のメモ例は私のバスケットボールの授業のある1時間の教師用メモ(班員の名簿)だが、赤ペンは各班の練習計画や課題(前日の夜に書いておいたもの)、黒ペンは当日授業の中で気づいたことをメモしたものだ。

 バスケットボール単元のある1時間の教師メモ。生徒氏名の右端の小文字は生徒の班内の係名。出欠もここに記入する。赤ペンは前日に授業の計画を書いておいたもの。黒ペンは授業中、あるいは授業直後に書いたもの。このメモがあると後でいろいろな場面を思い出すことができる。                                   

 1時間の授業の中で教師が個別に声をかけられる生徒の数は限られている。生徒の動きを離れた位置から目にした時、声がかけられないことは多々ある。それをメモしておけば、後で班ノートや学習カードに赤ペンで伝えることができる。あとでひとり1人の生徒の評価もしなければならない。ひとり1人について気づいたことを記録しながら試合を見てまわる。
 小学校の学級担任なら自分のクラスの子どもにしか授業をしていないので、メモしなくてもひとり1人の動きは教師の頭の中に印象深く残っているだろう。しかし中学や高校の体育教師は1日に何クラスもの授業をしている。全てを頭の中に記憶しておくことは不可能だ。それどころか忙しさの余り自分がどんな指導をしたのかさえ忘れそうになることがある。生徒たちに声をかける合間にできるだけメモに残しておくと、後でそこから記憶を辿って追加の指導をすることができる。
 さて、授業は終盤に入る。練習や試合は終了チャイムの5~10分前には終了させ、班毎に集まって反省会を行う。ここでは学習カードや班ノートも書かなければならないし、教師側から全体にまとめの話をしたいこともある。これも忙しい。次の授業に迷惑をかけてはいけないので終了チャイムと同時に解散できるようにする。

◇授業の振り返りと書かせる意味
 授業の終了時になぜ書かせるのか。それにはいくつかのねらいがある。まずはひとりひとりの生徒の思いを教師が知り、理解するということだ。特に運動学習の場合は表面的な出来具合に対する本人の思いと、それを見ていた周りの人との思いが一致しないことが多い。教師側から見て、できていないなぁと思っても、本人としてはよくできたと思っていることがあるし、その逆もある。相互理解を図ることが必要で、その上で次の授業が展開されていかなければならない。
 二つ目は、書かれたことを生徒同士が読み合うことでつながりを作ることができるということ。授業中の表面的な会話だけでは心の中は分かりにくいし、ほとんど口に出さない生徒もいる。書くことで本心を伝え、知ることができる。
 そして三つ目に、班ノートや学習カードに生徒が書いたことに対する教師の思いを伝え、次の授業展開を決めていく手立てにするということ。ここで授業中にひとり1人の生徒についてメモしておいたことが活用される。後で学習カードや班ノートに赤ペンで教師の思いを伝えていく。
 従って授業の終わりに生徒たちに書かせたことを教師が読まなければ次の授業計画が立てられない。何も書かせず、ただ教師の見たことや思い込みだけで次の授業を進めていくか、それとも生徒たちの思いを汲み取って次の授業の組み立てを考えていくかでは、授業の質は大きく変わる。
 こうして赤ペンの入った学習カードや班ノートを生徒たちに返し、次の時間の課題を考えさせるが、当日の授業が始まってからそれを返して読ませていたら、3分や5分程度では課題設定ができない。そこで私は授業当日の朝、生徒が登校する前に教室の各自の机上に学習カードや班ノートを返しておくようにしてきた。それを生徒は授業までに読んでおき、授業に来た時には自分自身の今日の課題は分かっているようにさせる。班ノートであれば班長に返しておき、班長は今日の課題や練習内容を班員に伝える準備をして授業に来るようにさせるのだ。  

◇授業準備の苦労あれこれ
 このように1時間の授業のための準備、そして授業を終えてから次の授業へとつなげるためにやることはとても多い。ラインひとつ引くにしても放課後は部活動で体育施設が占領されているからその後か、朝早く来て行わなければならない。班ノートを見て赤ペンを入れる作業も、明日4クラスの授業があって各クラス6班あるとすれば4×6=24冊読んで赤ペンを入れることになる。私が現職の頃は部活動も見なければならなかったから、部活動を終えてから班ノートを家に持ち帰り、深夜までかかって作業するということが毎日のように続いた。生徒ひとり1人の学習カードやノートを見るとなるともっと大変な作業になる。
 しかしこうしたきつい作業も、生徒ひとり1人の記述を読み、そして授業の合間に教師がメモしたことと照らし合わせていくと、明日の授業の見通しが持てて希望がわいてくる。「よし、明日はこんな授業展開にしてみよう」とわくわくした気持ちになり、赤ペンにも力が入る。翌日の授業の中では、生徒の書いた文を紹介して今日の課題につなげることもよくある。逆にこうした作業をせずにいると、まともな授業はできないという思いを持つようになってくる。
 こうした作業を実は研究授業を引き受けた教師たちは必ずと言っていいほどやっている。その必要性はみんな理解しているのだ。しかしそれを日々の授業でやろうとするかどうかが問題になる。部活をやっている生徒たちには授業の宿題は必ずやるように指導している。そう指導をするなら、教師自身がまず自分の授業の宿題を毎日きちんとすべきだろう。

◇単元構成の仕方
 1時間の授業の流れがおよそ理解できたところで、10~15時間程度の単元計画について考えてみたい。一つの単元に必要な時間数は、こんな授業をして単元の最後にはこんなふうにもっていきたい、そしてそのためには〇〇時間は必要だ、という考え方から決められる。しかし実際には1年間の総時間数は決められていて、中学校なら週3時間で年間105時間。その中で保健や体育理論の授業もしなければならないから、実技の時間はもっと少なくなってしまう。従って総時間数に対して各単元の時間数はこのくらいだという割り振りをしなければならない。
 学習指導要領や指導書には各学年で扱う教材(単元)やその時間数の目安が出ている。しかし実際やってみるとこの目安では無理だということが分かってくる。たぶんこの目安は周到な授業準備をして、教師の思い通りに生徒たちが積極的に動いてくれた研究授業などの事例をもとに考えられたのではないかと思う。結局その時間内で単元を終わりにさせるとしたら、できてもできなくてもプログラム通りに授業を流すだけになってしまう。
 実際の子どもたちはつまずく。やる気のない生徒もいて、必要な働きかけや話し合いを経てようやく動き出すということもある。そして生徒たちには日々様々な問題が起きており、それをひきずって授業にに来ている。教師の思い通りには動かないことが多い。加えて昨今の子どもたちの運動不足は深刻で、ひと昔まえの子どもとは発育の状況がだいぶ違う。ひとつの運動の習得に時間のかかる生徒がいる。そうしたことを考えると、かなり余裕をもった単元時間を設定することが必要になってくる。
 そこで生徒たちの実態に合った教育課程の自主編成が必要になる。学習指導要領は参考にしつつも、あくまで教育課程の編成は各学校が行うのである。まず生徒の実態を踏まえて、1年間の体育の授業を通してどんな生徒に育てたいのかを考えよう。運動好きな生徒、教え合いや支え合いのできる生徒、自分の体や運動生活をみつめ、しなやかな体にさせたい、学級でまとまることができる生徒など、いろいろ考えられるだろう。あるいはもう少し体育の学習内容に引きつけて、運動の仕組みについて客観的、分析的にとらえてみんなが上手くなることを目指せる生徒、練習計画を自分たちで考えて取り組める生徒、みんなで運動を楽しむことを目指せる生徒などでもよい。
 そしてそうしたねらいを達成しやすい教材(単元、種目)を設定し、目指す内容によって時間配分に重点を持たせていく。学習指導要領に示されていても、これは短時間体験させるだけでいいとか、あるいはこれは苦手な生徒が多いからじっくり時間をかけて取り組ませようなどと考えていく。数年間の見通しをもって、この単元は今年は短時間にして他へ重点配分し、来年じっくり時間をかけてやろうと考えることもできる。
 単元構成の概要について述べておく。まず数時間は導入の時間になる。第1時は教室でオリエンテーションをすることもある。なぜこの単元を学習するのか、その教材(種目)の歴史や学習の進め方を理解する。生徒たちにアンケート形式で今までの学習の状況や思い、願いなどを書かせることもある。そして次の1~2時間は、試しにまずやってみる時間になる。球技ではルールを確認しながら試しの試合を行い、チームを確定していく。そこで課題をつかみ、本格的な練習に入ることになる。練習を基本的なことから発展的なところまで数段階で進めるとしたら最低10時間くらいはかかるだろう。そして最後のまとめの時間に入っていく。試合を楽しんだり、あるいは発表会に向けて演技を深めていく段階になる。ルールを覚えて公正な審判もできるようにさせたい。「この単元の学習をしてよかった。新しいことができるようになって楽しかった。仲間との絆が持てた」というような感想がたくさん出てくるまとめにしたい。そこまでもってくるには合計15時間(約2カ月)くらいは必要になってくる。 

◇補習の取り組み
 このように1時間の授業というものは教師にとってはとても忙しく進んでいく。ひとり1人を大事にするとは言っているが1時間の中で全ての子どもたちの動きを逐一把握して指導しきれるものではない。見落としや、もうちょっと自分が関わってあげたらできるようになったのにと思う場面はよくある。あるいは欠席や見学が多くて授業に十分参加できていない生徒も出てくるし、苦手意識が強くて授業に消極的になってしまっている生徒もいる。水泳では生理のために見学せざるを得ない女子生徒が必ずいる。
 こうした生徒たちのために放課後や休み時間の補習を考えたい。補習は強制ではない。あくまで本人の意思で参加できる環境を教師が作ってあげるのだ。「放課後にもうちっょと見てあげたいんだけど、そうすればできるようになるよ」と話しかけると苦手意識をもっていた生徒も意外と応じてくれる。生徒たちはできるようになりたいのだ。仲のいい友だちを連れてきてよしとすることも大事。その友だちは教え合って一緒にうまくなりたいからついてきて励ましてくれる。
 私は今までマット運動、水泳などで補習を行ってきた。放課後は部活動もあるが、教師はもちろん補習優先。補習時間を30分程度にしておけば参加してきた生徒もその後部活動に行くことができる。補習でできるようになると、生徒も教師も次の授業が楽しみになる。
 水泳は放課後だけでなく、これまで夏休み中に4回程度日を決めて行ってきた。女子の場合は生理がたまたま授業日と続けて重なってしまうことがある。「泳ぎたいのに~!」と悔しがっている。水泳の補習では、プールのコースを分けて、見学してしまった分を自由に泳ぐコースと、教師が泳ぎ方を教えるコースを作り、自分で選択できるようにしておく。授業中の泳力テストを受けられなかった生徒、合格にならなかった生徒が再チャレンジできるようにもしてきた。
 余談だが、私が前任校に赴任したとき、プール器具室に大量の漢字練習帳と原稿用紙が置いてあるのを発見した。見学者に漢字練習をさせていたのだ。見学者には草取りをさせているなどという学校の話も聞いたことがある。泳ぎたがらない見学者に罰を与えているように思える。水泳の苦手な生徒は大量にいるが、本当はみんな泳げるようになりたがっている。私は水泳の見学者に対しては学習カードを用意し、教師の指導の様子、友だちの動きなどを丁寧に記録させて提出させるようにしていた。頭で分かっていれば後で補習した時にも練習が進みやすい。見学者に漢字練習や草取りなどをさせてはいけない。生徒の水泳に対する学習権の侵害になる。水泳を見学しているのだからプールサイドで水泳の学習をさせるべきだろう。
 夏休みの水泳の補習は盛況で、毎年全校生徒の2割以上の生徒が参加していた。プール終いの9月上旬の放課後のプールも補習の生徒で賑わっていた。

 夏休みの水泳補習の様子。コースロープの右側が泳ぎ方を教えてもらうコース。左側は自分の課題で自由に泳ぐコース。                                   

 次回は、第6章 教材化と教育課程の編成 です。


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