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きっといつか逢えるから

正直、この話題を避けていた感がある。
舞台を作ったり、夏フェスにスタッフとして関わらせていただいたり、DJをしたりしながら過ごしていたこの数年。

昨年の冬から、世の中の景色がガラリと変わってしまった。
家の中で過ごしたり、人との距離を保ちながら歩かなければいけなかったり、手を洗ったり、消毒液で濡れた手を擦ったり。

楽しみにしていたライブやフェス、公演に行くことができなくなって、自分たちがそれこそ、身を削ってまで準備していた公演が
思う通りにできなくなったりして、どうしたらいいのかわからなくなって、いっつも「何か違う方法」を考えながら2020年を過ごしていたと思う。

去年の7月頃、大好きな寄席が再開して、舞台も少しずつ見に行くようになって、ライブにも秋くらいからまた行き始めた。

その時、何かを集中して体験することや、没頭、目の前で繰り広げられる生のパフォーマンスの素晴らしさを改めて感じることができた。

何より、大切な人たちと待ち合わせをして、楽しみにしながら現地に向かうまでの時間、その期待感に包まれながら過ごす日常が愛おしかった。

今週末、苗場ではフジロックが開催される。本当なら去年、Tame ImpalaもFloating PointsもNumber Girlのステージに友人たちとはしゃぎ回る
はずだった。

今年、さまざまな制約やルールの中、開催される。

そんな中で、出演アーティストの気持ちが次々と投稿されていく。

僕たちにとって、あの場所はなんだったのか。改めて思い出してみた。

今でこそ、夏の1つのレジャーとして当たり前のように出かけられるイベントではあるけれど、山の中で、知らない人たち数万人と同じ空間を
共有することはとても責任を伴うことで、みんなが当事者意識を持ちながら守っていくという側面もあった。

それって、別にフェスの現場だけではなくって、当たり前に普段しておいた方がいいことを、山の中でもするだけだったりする。

言ってしまえば究極の自治みたいなもので、でも、そんな自治ができるからこそ、成り立つ場所でもあって。

誰かに「ああしなさい、こうしなさい」と呼ばれる中で過ごすことは、ルールを超えてしまう。それは少なからず事実でもある。
なぜなら、当事者意識はどうしても育ちにくくなってしまうと思うから。

とても難しい。自己責任という言葉では片付けられない出来事だし、では、簡単に無くせばいいかというとそうではない。

ゴールデンウィークに久しぶりにJAPAN JAMに行き、友人と開放感あふれる会場で音楽を堪能した。
素直に、ワクワクして、楽しかった。

そこでは最大限の注意を払いながらとてつもない努力の元で、開催されたことがわかるような徹底ぶりもあって、
ニュースで見るのと、現地で感じる実際の出来事の乖離があった。

行かないとわからない。それは確かに。

行くも行かないも自由だとは思う。本来、そうやって自分たちで選択しながら人は生きている。
「今夜、何を食べようか」。それと同じことだとも思う。

収集がつかないけれど、考えていたらなんだか眠れないので描いてみた。

1つだけ言えること。

そういった場所や、そこで鳴らされる音楽があって、期待感を持ちながら暮らす日常はとてつもなくかけがえのないものだったりする。

いつか逢いましょう。じゃあ、それはいつなんだろう。そういっている間に、きっと僕たちは歳を重ね、大好きなアーティストもキャリアを終えていくかもしれない。

じゃあ、今?それも一重に断言できないし、モヤっとする。

少なくとも、開催されたら、それは賞賛でも批判でもなく、「あってよかった」。

そう感じる優しさだけ忘れないようにできたらいいなと思った。

新しいzine作るか、旅行行きます。