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東京 2020年7月の初めに。

気がついたら、半袖だった。
コートとセーターを身にまとい、自分を何かから守るかのように過ごしていた2020年の冬。

軽快なスウェットとパーカー、シャツで過ごし始めたかったけれど、家の外に出なかった2020年の春。

そして、お気に入りのサマージャケットを少しだけ羽織って外に出て、自分の中のルーティンをこぼれ落ちた街の中から拾い集めていた初夏。

いつの間にか、梅雨入りという言葉を忘れていたことを洗濯物が干せないだけの事実から気がついている7月の3日。

いつもなら、「夏がきた」と言いながら軽快な口調でこれから待っている未知との遭遇という夏休みを前に、未来を想像し始める社会。
今年はマスクと自宅と、ビニールシートで遮られるながらあてのない将来を探している世界。

閉ざされた環境の中で過ごしていた時期、僕の世界はインターネットの向こうにある知らない人と話すことでつなぎ止めようとしていた。

外に出る。いつもの場所に行く。住み慣れた部屋に戻る。馴染みの顔をまた見つける。

そこにはまた見つけ始めた僕の東京がある。

現実を見る。仕事をする。見失いかけた大切なひとを思い出す。そこには実際に触れることで体温が高まっていく。
温度感というなの空気感が、自分の芯をまた温めて行く。

ああ、あまり体温が高いとまた遮られてしまう世界だった。

毎日、寄席に行く。ルーティン。帰りに運動する。ルーティン。寝る前に事務作業をする。ルーティン。

部屋に戻ると、とりあえずつけるラジオ。聞こえてくる馴染みの声。特にチャンネルをいじらないのは、外に出ることで取り戻した「再発見」に満ち足りていて、家の中では小慣れた時間を過ごしたいから。

1つだけ違うこと。手に刷り込まれるアルコール。

外で手に入れた思い出をきれいさっぱりに消そうとする。

忘れないように、レコードの棚から、大好きな1枚を取り出してターンテーブルに乗せる。

対して知らないものは、特に必要もなくて、よく知っているものに触れていたら、自然と誰かが新しい世界を教えてくれる。

そうだった。1人ではなかったんだなと気がつく大切な関係性。

いつでも消えることのできる、アルコール消毒のような関係性から、手に刷り込まれた大事なものにシフトチェンジ。

「未来は僕らの手の中」という歌を思い出す。

将来はいつでも、力を込めずに自然と握りしめた拳の中に眠っている。

そんな初夏。

夏よまた会おうと言いながら、また今夜も寄席の椅子に座り、時間を覚えたバスに乗り、最寄りの駅に向かう。

家に着く。ラジオをつける。DJがリクエストを募る。順番に流れる音楽。

なんでみんな、インターネットで簡単に検索したら聴くことができる音楽をわざわざ流れる保証もないラジオに託すの?

きっと、自分の好きなものを誰かと共有して繋がりたいんだろう。

手を洗っても消えない思い出や、音楽を共有したいのだろう。

目を閉じて、音楽に身を委ねる。誰かの思い出が今から自分の人生の1つのパーツになって行く。

また明日。消毒しても消えない思い出を。

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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。