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ボケたならそのまま忘れてくれていいよ

うちのばあちゃんはどうやらボケ始めているらしい。

認知症がすでに進行しており、医者の話では施設に入るレベルなんだとか。

何を食べたのかも覚えていない、人の名前が出てこない、今日が何年の何月何日かもわからない。

だからもう火は危なくて使わせられない、もう少しすれば散歩に出たきり戻って来れなくなる。

医者は施設の予約を始めろと言ったそうだ。


でもちょっと待ってよと。確かにうちのばあちゃんはもう90近いし、耳も遠い。

だけど自分の身の回りのことはまだできるし、今日が何年何月何日かなんて僕だってパッと出てこない。

昨日もラーメンかカレーかスパゲティのどれかしか食べてないのに何をいつ食べたのか覚えちゃいない。

それを年寄りだからと「はい、これはもう施設に入れた方がいいですね。」って簡単に決めちゃっていいのかい?

なんだか腑に落ちない話だった。

ただ、最終的には一緒に暮らして叔母のいうことを優先するしかないだろうと思う。

日頃ばあちゃんの世話をしてくれているのは叔母なのだから。

僕が代わりにそばにいて世話をすることは現状難しい。

もしかしたらやればできるのかもしれないけど。

自分は薄情な男だなとつくづく思う。

ほんといつも口ばっかりだ…


今では叔母に怒られてばかりになったばあちゃんだが、昔はそれこそ口うるさくておっかないばあちゃんだった。

昔から僕には厳しくて、年頃になり彼女を家に連れてきた時も「どちらさんだの?(どちらさんなの?」と部屋で2人きりになろうとするのを阻止しに来たものだ。

帰ったら帰ったで一家団欒の夕飯の場で臨時の会議が始まる。議題は「今日連れてきた女の子はどうなんだ?」である。

やれ「髪の毛が茶色い」だの「スカートが短い」だの。あれこれと難癖をつける。

高校生にもなると妹や弟がいる前で「優介は昔から女が好きで」とか「子供でもできたら大変だ!絶対にするなよ!」などと言うようになった。

当時まだ小学生だった弟に「にいちゃん、しっかりしてよ」という顔をされたのが今でも忘れられない。

隠れて親のタバコを吸ってたのが見つかった時も烈火の如く怒鳴られた。「自分に負けるな!自分に負けるな!」(いや覚せい剤じゃないんだから)


と、まぁばあちゃんに怒られたエピソードを語ればキリがない。とにかく細かいことまで口うるさいばあちゃんだった。

ただ、この歳になるとばあちゃんの気持ちもよくわかる。

僕の親は共働きだったため、生活のほとんどをばあちゃんにお願いしていた。

僕や妹なんかは夕飯はもちろん、お風呂も夜寝る時もばあちゃんとじいちゃんと一緒に過ごした。

そういうこともあってばあちゃんは自分が親代わりになって立派に子供たちを育てようと思ってくれてたのだと思う。


またある日のこと、「年寄りの料理じゃかわいそうだから」と、どこで覚えたのかコロッケを作ってくれたことがあった。

あの時は僕も妹も弟も喜んで頬張った。

弟などはそれ以降ばあちゃんの作るコロッケが好物になり、毎回ひとりで7〜8個は食べていた。

ばあちゃんもそれはそれは嬉しそうに20個も30個もコロッケを作ってくれたものだ。

そんなばあちゃんのコロッケももうかれこれ10年以上食べてない気がするが、あの時の味や熱々で火傷しそうになりながら妹弟と食べた記憶は今でも心に残っている。


前段が長くなったが、そんなばあちゃんとの思い出の中で、おそらく僕が死ぬまで忘れられない一番の思い出がある。

それが「いやんだぜ(良いんだよ)事件」だ…

あれは僕が中学3年の時。当時もうすでにバリバリ性に目覚めていた頃のことだ。

当時親の部屋にはスカパー!が入っており、時々隠れて忍び込んではアダルトチャンネルを観ていたのだった。

アダルトチャンネルには4桁の数字のパスワードがかかっていた。

「視聴制限」という18歳以上と以下の者とを分断するベルリンの壁だ。

これまで数多の18歳以下を退けてきた無敵の用心棒。血も涙もない冷徹な4桁の数字。

誰もがこの壁を乗り越えることは不可能だと古代ローマ時代から思われてきた。

しかし僕はこのエニグマ並みの難易度の暗号をわずか1ヶ月足らずで解読していた。

もしこれが第二次世界大戦中であったなら僕が世界を変えていたかもしれないと今でも真剣に思うことがある。(この時の話はまたいつか別のところで)

そんな僕の執念の賜物であるアダルトチャンネル。

思春期の男子にとってこんな魔法がどこにあるというのだ。(当時エロ本にはまだマジックで塗りつぶしたようなモザイクがあった気がする…)

毎夜毎晩観ていたある日のこと、背中にかすかな気配を感じた。

恐る恐る振り返るとわずかに開いた襖の間から二つの光った目がこちらをじっと見つめていた。

まるでハンニバルのレクター博士のような鋭い眼差しではあったが、かといって冷たい感じではなかった。

むしろそれとは対局の聖母マリアさまのような温かく包み込むような薄ら気味の悪い笑顔がそこにはあった(笑)

想像してみてもらいたい。

当時はBluetoothのブの字もない時代。イヤホンは片耳しかなく、テレビから2mの有線で僕の耳と鎖のように繋がっていた。

左手にはリモコン、そして右手はイヤホン。横たわりズボンはひざ下までおろしてケツ丸出し。

なんと無防備で滑稽な姿だろうか。

内心はお手上げなのにその手すらあげることを許されない状況。

いっそのこと殺してくれよといった有様だ。

そしてそれを襖越しに優しく見守る祖母の笑顔。

さぁ、この状況で君ならどう乗り切るかな?ワトソンくん。

僕は「な、なにのぞいてんだよ!」すら言えなかった。

わずか数秒の沈黙が僕には永遠に感じるほど長く、じわりと背中に汗が滲むのを感じた。

怒鳴られると思った僕はゆっくり、ゆっくりとズボンを上げようとした。


しかしばあちゃんからは意外な言葉が返ってきたのだった。


「いやんだぜ(良いんだよ)そいでいやんだぜ(それで良いんだよ)」

そしてそのままそっと襖を閉めた。


…あ、は?えっ、えっ?

いや、逆にそれどういう心境!?

僕はそれまでの十数年の人生で間違いなくダントツで一番の恥ずかしさを味わった。

「あぁ…絶対またみんなの前で言われるよ。今度は親にも言うんだろうな…」


しかしその心配は杞憂に終わることとなる。

翌日ばあちゃんは一切その話には触れず、まるで何事もなかったかのように接してくれた。

なんだかそれが嬉しかった。

それ以来、二人の時であってもばあちゃんはそのことについて触れたことはない。

もう20年以上二人だけの秘密になっている。

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