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スウェーデンという経験(6話)

本稿は大学生時代の留学経験を基に書いたフィクションです。

6話目は、スウェーデンのアート・デザインについて...

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 そういえば、スウェーデンの大学で受けていた授業のひとつにスウェーデンのアート・デザインに関するものがあった。

 授業は講義形式だった。一つの机を囲みながら生徒みんなで教授の話を聞く。

 日本の学校と同じかと思った。

 でも人数が少なく、生徒との距離が近いので、教授は授業を進めながら、よく質問をしてきた。

 教授はスウェーデン語と英語を混ぜて話すから、非常に聞き取り辛く、質問を理解することだけに集中して、よく答えに窮して困ったものだった。

 あと、宿題の詳細を何度も聞き逃して悔しい思いをしたものだ。

 文化の違いに関する質問では、

“What about Japan?”「日本では、どうなのか」とよく聞かれた。

 その度に私は口ごもり、まともに返答することができなかった。

 質問の意味が分かっても、それに答えるだけの力がなかった。

 日本文化、至っては日本そのものに関して聞かれても、良く知らないし、後で思い返すと、日本について、ひどく教授を誤解させた気がする。

 授業を経るごとに自分の無知の事実を痛切に感じた。

 遅ればせながら、Wabi Sabiついて調べ始めたが、本当にさっぱりわからず困った。もしかしたら英語で書かれた資料を読んでいたからかもしれない。

 そんなこんなで、日本文化を発表する日がついに来た。「ついに」というのは、授業が始まった当初から、発表が決まっていたのに、私がずるずると先延ばしにしていたのだ。

 「猿蟹合戦」という日本昔話について調べ、それを英語に翻訳し、絵を添えて紹介したら、パチパチと拍手された。特にフィードバックはなかった気がする。皆すでに知っていた話だったのだろう。

 アートの授業には留学生がお互いの国の文化を紹介し合う以外にも、課外活動があった。

 スウェーデンの田舎町を訪ね古い教会の中で賛美歌を歌ったり、街の美術館に行くことができた。

 授業を一緒に受けているクラスメイト全員で夕食を共にし、授業を中心にスウェーデンで人の輪が広がっていくのを感じた。

 前にも言ったが、留学生の多い国際的な大学なので、スウェーデン人の学生と知り合いになるのは非常に難しく、大学側はそれを見越して留学生にバディー制度やフレンドファミリー制度をすすめている。

 どちらの制度も留学生とスウェーデン人を引き合わせて交流の機会を作ることが目的で、日本の大学でも留学生向けに設けているところは多い。

 かく言う、私の通っていた大学でも留学生にバディーの学生を付ける制度があった。

 ただ私が留学していたスウェーデンの大学が提供するのは単なる友達交流の場ではなく、地元に住んでいる人達と交流できる場も含めてのバディー制度だった。

 私のバディーは、平たく言うと中東にあるどこかの国の貴族の出身だった。

 その家は庭が数百平米あり、5人家族なのに部屋が10数個あるらしかった。

 金銭的な融通はかなり利くのだろう。スウェーデンに移民したのも貧困のためではなく、子供の教育が目的だったと、私のバディーの母親が言っていた。

 この彼は、(あくまで私の目から見ればということですが)問題児だった。

 イスラム教を守っていると親には言いながら、酒、女遊びの絶えない遊び人だった。

 私は友達として彼が好きだった。が、部屋の片づけを頼まれたので、身にいて見ると、窓枠にほこりが詰まって、窓を開けることすらままならなかった。

 彼とはよくスウェーデンという国や人について話した。私が「スウェーデンという経験」なんて長い話を始めたのも、彼の影響によるところが大きい。

私の話ばかりで悪かった。

君には、これを見てほしかったんだ。』

と彼、タツロウは言って、原稿用紙を5枚ほど取り出した。

『これは?』

『これが、今日の話のいわば肝でね...』と彼は言って、僕にその紙を渡してきた。

『私がつたないスウェーデン語を翻訳したので、少し表現には齟齬があったりするんだろうが、大学生の頃のことだ。良かったら読んでやってくれ。

それでは、少し私はお手洗いを探してくるよ。』と彼は言って立ち上がった。

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