スウェーデンという経験(1話)
泰平 ( タイヘイ ) と申します。
投稿1弾は、大学生時代の留学経験を基に書いたフィクションです。
見つけた方は、よければ一読ください。
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『これから話すことは、私が大学生のころ英語を学びに留学をした時のこと。行先はあこがれの北欧、スウェーデン。理由はスウェーデン人の英語が綺麗だと噂に聞いたからだった。
その頃を振り返ってみると自分がずいぶん生真面目で、寂しい大学生だったと思う。留学へ行く前に立てたテーマがあるんだ。ヨーロッパで友達をつくる。表向きは、留学を通して、広くヨーロッパの文化、生活を体験しようというだった。結果、私の人生観、考え方は大きく変化した。
2015年の8月28日、私の留学は始まった。この日、今でも本当に尊敬する友達と出会った。二人はメキシコから来たカップルで、私と同じ日にスウェーデンのベクショーという小さな街につき、大学からのピックアップバスに同乗し、同じ寮で降ろされ、同じ階の隣同士の部屋に住むことになった。私たちはすぐに打ち解けた。彼らは、そのころの私のつたない英語にも辛抱強く耳を傾けてくれた。そして、一か月としないうちに毎日夕食を共にするまでになった。
二人はどこをとっても理想のカップルという感じで、お互いに自立していて、支えあっていた。
私より2つ上の彼らは、ことある毎に私のほうが大人びている、“You are much more mature than us.” と言い、私をからかった。
彼らの言わんとしていることは私もわかる気がした。私は、彼らに比べればということだが、他人の面倒をよく見たし、責任のある立場で物事を進めてきた。人に頼ることが苦手、あるは恥だとすら思っていた私は、彼らを横目に「なんて気楽な人たちだ」と考えることがよくあった。
実際カップルで同じスウェーデンの大学に留学に来たのかと思えば、彼女のほうはスペインのマドリードの大学に留学しているらしく、出会ってから3週間の後、突然スペインの学校へ戻ってしまったのには驚くしかなかった(スウェーデンの大学の優しいピックアップバスをうまく利用したわけだ)。
その彼女はそれからも何度訪ねてきては、彼氏の寮の部屋に泊まり込み、スペインとスウェーデンの両方で多くの友達を作った。はじめは英語が全く話せなかった彼女も、訪問先のスウェーデンで他の留学生と関わるうちに、いつしか私以上に英語を流ちょうに話すようになっていた。
彼らは(彼女の方は特に)自由奔放だった。それから、驚いたのは二人の感情表現の豊かさだった。感情を覆い隠すことをほとんどしない彼らは、時に驚くほどの喧嘩を始め、またこちらが見ていられないと感じるほど、公衆の面前でも愛を表現し絡み合った。彼らを見ていると、時に自分が感情の欠落した人間にも思えてくる。彼らは感情を押し殺し、平静を保っている私を見て、大人びていると言っていたが、同時にそれは私の感情表現の貧しさを気づかせてくれる言葉でもあった。
話は変わるが、私は一度、彼らに非常に救われた経験がある。留学が始まって2日目に、日本人と日本語を勉強しているスウェーデン人の学生と、街をドライブしていた時のこと。そのスウェーデン人のバディに運転を代わってもらった私は、教会の前の一本道で、誤って真後ろに小石を跳ね上げ、たまたま街を歩いていた日本人グループの一人を深く傷つけてしまったんだ。
怪我は深刻で、その怪我をした彼は日本への一時帰国を余儀なくされるほどだった。私はその出来事に打ちひしがれて意気消沈していた。自分を責め、取り返しのつかないことをした、と頭を抱えた。その事故の次の朝、メキシコの友人は私が人を深く傷つけてしまったことを聞き、
「誰もお前を責めはしない。それは事故で、怪我をした子も、お前も気の毒だったな。」と言ってくれた。
私は、もちろん故意ではないのだから事故と言えばそうなるが、自分は責められるだろうと思っていた。もちろん、今でも責任については何も変わらない、と思う。ただ、この時の彼らの言葉は、後悔をするばかりだった私にとって大きな救いだった。
実は、それはメキシコ人の友人だけの言葉ではなかった。その事故の現場に居たスウェーデン人たちも、私に向かってほとんど同じように言ったんだ。
“No one blames you.” と。
事故現場で立ち尽くし、言葉を失う私を含めた日本人学生に対して、怪我をした子をいち早く介抱し、車を呼び、病院までの車の中では怪我をした子を励まし続けたのもスウェーデン人の学生たちだった。彼らは謝るばかりの私に、
“You don’t have to say sorry around but him. And he said it’s ok, not your fault. So don’t say sorry anymore.” 「けがをさせた彼には謝っても、周りに謝ることなんてないよ。それに怪我をした彼は大丈夫、あなたの責任じゃないって言っている。だからもう謝らなくていいよ。」と言うんだ。
さすがに、初めその言葉を聞いたとき、私は何を言われているのかわからなかった。
日本人の留学生はほとんど皆、私と同じ寮に住んでいて、事故の噂はすぐに全員へと広まった。私は留学に来ていた日本人全員に謝らなくてはいけないと思ったし、実際にそうした。中でも、事故の現場に居合わせたほとんどの日本人は私からの、謝罪の言葉を待っている気がしたんだ。
その日から日本人の中に私に話しかけようとする人はいなくなった。何人かの日本人学生は目すら合わすことを嫌がっていたように思えた。私は生まれた時から日本の文化に生きてきた。その中で、人一倍、失敗を重ねてきた。だから、そんな日本人の反応はよく知っていたし、そう反応されるたび落ち込む私ではなかった。
でも、留学にきてまだ日が浅かったから、さすがに打ちひしがれた。
深刻で、笑えない状況に突然立たされれば、誰でも気分が暗くなるし、言葉を失うものだ。そして、その原因を作った人間に近寄ろうとはしない。
“This is not my fault.” 「(少なくとも)これは私のせいじゃない。」とそれぞれに自分じゃなくてよかったと、胸を撫で下ろしながら、 “This is a serious matter. How is it going to be from now?” 「これは大変だな。これからどうなるのだろう。」とみんな考えるものだ。
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