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アルパカ 怒りの鉄蹄💢

また時事ネタです。
なんだかなぁと感じる報道が多いのです。

ご存知とは思いますが、LGBTQに関係する発言で、首相秘書官が更迭されました。

まず一つ目のモヤモヤは、
過去にもあったけど、オフレコの話が表に出て、それで更迭に追い込まれるって、ネタ流した側の倫理観も批判されるべきでは?と感じます。金さえ貰えりゃ身内や友人売る輩も多いし、ネタの流出元に対する嫌悪感は、私の場合結構大きいです。曹操なら斬首してると思う。知らんけど。

で、本題の方。LGBTQへの差別発言。
「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」
「社会に与える影響が大きい。マイナスだ。秘書官室もみんな反対する」
「人権や価値観は尊重するが、同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」
という趣旨のことをオフレコ前提で語ったらしい。

以下は私の個人的な感覚ですが…

①首相秘書官としての発言なら❌
→立場的に完全にアウト。
②オフレコ(個人として)の発言なら🔺
→言い方とかニュアンス次第かなぁ。
とは言え、首相秘書官という立場を考えたら、
オフレコでもプライベートでも普通は言わない。
③LGBTQという存在に違和感を感じること⭕️
→本能的な感情として違和感を覚えることは自由というか、自然。他者に否定する権利は無い。それを行動や言動、態度に表さなければ問題ない。

たぶん③が主に議論の的になってると思うのですが…

私としては「思うことも感じることもダメって何なの?」という感じです。

私は、LGBTQにせよ人種問題にせよ、あらゆる差別は許容されるべきでは無いと考えていて、同性婚も認められて然るべきだと思っています。

一方で、そういった方々と直面した時に何も感じないかと言われたら、間違いなく感じると思うな。自然を装うことはするけど、本当に心から自然にというのは難しい。例えば女性と女性が手を繋いでいるのを見たら「仲良いのかな」と思う程度だが、男性と男性なら違和感を感じるというようなこと。

それは単純に、免疫がないし、不慣れだからだ。LGBTQについて本格的に語られるようになったのは本当に最近のことで、「性的少数者」という言葉の通り、事実として少数なのだ。子どもの頃から身近に存在していたわけではないのだ。それを急に、自然な存在として受け入れろというのは、なかなかに無理があると思う。

こういう問題になった時、手っ取り早く正義面するにはLGBTQ側の味方に付けば良い。多くの賞賛がされ、批判はしづらいのはわかりきっている。

けど、私はこういう思慮の浅い、無責任な綺麗事が大嫌いだ。理想と本音は別だし、本能や直感的な感情を偽った綺麗事は「嘘」でしかない。

その嘘自体は悪くはない。それによってLGBTQ差別が減り、社会にだんだんと馴染んで行くのなら、それはとても良いこと。

悪いのは、その「嘘」で誰かを責め立てること。そう思っていない「本音」の人を攻撃すること。もう早速それが始まっていて、辟易します。

ちゃんと想像して、考えて肯定してるのかな。自分の子どもと同じ学校に、同性婚の両親と、その養子の子がいるとか。法的に認められたらいろいろなシチュエーションで直面するの。口だけ「そう言っておいた方が良さそう」で言ってないかな。

あと、こういうのが問題として取り上げられると、その手の組織もここぞとばかりにしゃしゃり出て来る感じもなんか嫌だ。

それにしても、何故いちいち違う考え方の人を攻撃したがるんだろうかね。そんな人たちの言う「多様性」なんて、それそのものが虚構でしか無いと思うよ。

多様性とは一体何ぞ…。

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