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マリリンと僕7 ~黒猫は夢に誘う~

準レギュラーで出演していたテレビドラマがクランクアップを迎えた。初めて体験することばかりで、日々緊張の連続。でも、とても充実していたから、終わってしまうことが実感を伴わず、過去に無いくらいの喪失感を感じていた。そしてある意味では、不安だった。

撮影最終日の夜、出演者や監督を始めとしたスタッフがほぼ全員集まっての打ち上げがあった。当然のことだが、ダブル主演の八雲一朗と木村咲良も参加していた。僕と2人は同年代だったこともあり、初対面で挨拶した時から丁寧ながら、それでいてフランクに接してくれた。

今でこそニックネームで呼び合えるぐらいに距離を縮めることが出来たが、初めて会った時はそのオーラに圧倒された。“オーラ”という物を初めて感じたのは、僕が所属している劇団『壱厘舎』主宰の小山さんに出会った時だったが、僕と同年代である若い2人からもそれを感じ、心底驚くと共に、自分の現在地を否が応にも実感させられた。

撮影の合間に一緒に食事をしている時の八雲はどこにでもいる同年代の青年で、お酒が入れば下世話な話も率先して話してくるような奴だ。だけど、俳優モードのスイッチに切り替わった瞬間に、全く別人に変わる。新世代のカメレオン俳優と呼ばれるだけあって、憑依型の役者だから、さっきまで一緒に食事をしていた八雲ではなく、その役柄そのものになる。

ヒロインの木村咲良も、既に数本のドラマや映画で主演を経験していて、スイッチのオンオフの切り替えの境界線の無さに驚かされた。ショートカットが印象的で、可憐さと大人っぽさを兼ね備えた女優。でも、そんな単純な言葉では表現し切れないような、底の見えない深さを持っていた。

まだ台詞を覚えるのに必死な自分と、何本もの作品で主役を演じて来た2人には、想像以上の隔たりがあった。打ち上げでは一緒に盛り上がり、これでもかとバカ騒ぎをしたが、最後に「ありがとう」と心からの感謝を伝えて別れた。八雲からは「今度またプライベートで一緒に飲もう」と言われた。何もかもが新鮮で、夢のようで、だからこそ不安を感じた。またここに戻って来れるのか、彼らのようになれるのだろうか。家賃5万6千円の安アパートへの帰り道、酔いの回った頭の中で自問自答を繰り返していた。

「ニャアッ」

アパートの近くを歩いてあると、聴き覚えのある、特徴的な猫の鳴き声が聴こえた。少しダミ声の、低い泣き声。声のする方を向くと、闇夜に紛れるぽっちゃりボディの黒猫、ジジが僕の方をじぃっと見ていた。

「ジジーッ」

僕が呼び掛けるとゆったりと歩み寄って来て、僕の足に自分の首の辺りを擦りつけ、また「ニャアッ」とひと鳴きし、腹を見せてゴロゴロと寝転がった。懐いてくれているようで嬉しいのと、「黒猫も腹見せするんだ」というどうでもいい感心をしてしまった。

「今日もマリリンは公園にいるの?」

そう問い掛けると、今度は何も言わずに公園とは違う方向に歩き始めた。なんだか「ついて来い」と言われている気がして、ジジの後をついて行った。

しばらく歩くと住宅街の路地裏に入った。そして、同じような階層の、マンションとマンションの間を仕切っている2メートル程の高さの壁に、ジジは植え込みをクッションに一気に駆け上がった。体型からは想像のつかない俊敏さに驚いて壁の上にいるジジを見ていると、ジジも僕を見て「ニャアッ」と鳴いた。「俺も行くの?」とボヤきながら、酔っている勢いもあって、植え込みに足をかけ、壁をよじ登った。誰かに見られていたら不審者として通報されそうな状態だったが、その時の僕にはそんな思慮深さは微塵も無く、ただジジの後をついて行くことに、なんとなく必然性を感じていた。

そのままジジの後をついて、マンションづたいに壁を歩いた。暗くて距離感もわからなかったが、結構な時間歩いたような気がしていた。そうしてようやく灯りが見えると、ジジは壁を一気に飛び降りた。僕も真似をして飛び降りたが、明るさに目が慣れていない状態だったから、着地に失敗して後ろに倒れてしまい、後頭部を壁に打ち付けてしまった。

「いってぇ」と言いながら立ち上がろうとしたが足に力が入らず、そのまま目の前が真っ暗になり、気を失った。

どのくらいの時間気を失っていたのかはわからないが、辺りの暗さを考えるとそれほど長い時間では無かったと思う。目を開けると「ニャアッ」とジジが鳴いて、僕の顔をペロペロと舐めた。心配してくれているようだった。僕は「ありがとう」と言ってジジの頭を撫でた。

その時だった。

「君、大丈夫かい」

聴いたことのある声が、僕に呼び掛けた。濃紺に白いストライプのダブルのスーツを着た、ガッシリ体型の男性。声の主は間違いなく、マリリンのお父さんだった。

「すみません」

そう言って僕は立ち上がろうとしたが、脳震盪のような状態で、まだ力が入らなかった。

「無理をしてはいけないよ」
力強い低音の、でも優しい声。

「ほら、立ち上がれるかい」

マリリンのお父さんは僕の手を引き、そして肩を貸してくれた。おそらく40歳前後なのだと思うが、触れた瞬間に筋肉質であることは伝わってきた。身長は僕より少し高いぐらいだろうことも、借りた肩の高さでわかった。おそらく180cm以上はありそうだ。

「ありがとうございます」

やっとのことで1人で立っていられるようになり、改めてお礼を言った。初めてしっかりと見ることが出来たその顔は、確かにパーツこそマリリンに受け渡っているとは思うが、若々しくて、少し昔の銀幕スターのような印象の凛々しい顔立ち。何より、売れっ子俳優とはまた違ったオーラを感じた。年相応とはまるで思えない、深くて大きなオーラ。

「自宅の駐車場にいたら、ジジが呼びに来たんだ。コイツは言葉を喋るわけではないのに、何を言いたいのかがなんとなく伝わって来るんだよな。本当に不思議な猫だよ」そう言って微笑んだ。

「マリリン…さんの、お父さんですよね」

「うん。君のこと娘からよく聞いているよ。『イケメンの兄ちゃんと友達になった』って。」
お父さんには、関西弁のニュアンスは無い。きっとお母さん譲りなんだなと思った。

「今日は彼女は…」
「あぁ、娘は今妻に叱られててね、クローゼットに閉じ込められて泣き喚いていたよ」そう言って、ふふっと苦笑いをした。

「また何かやっちゃったんですか?ハッピーターン全部食べちゃったとか」
「さすが、よく知っているね。でも、惜しいなぁ。今回はね、柿ピーの柿の種だけを全部食べて、ピーナッツだけを残してたんだ。怒られるってわかりそうなものだけどね、いつも同じようなことを繰り返して、妻の怒りを買っているよ。最近はわざとやっているんじゃないかと思ってる」
そうは言いながらも、マリリンのことを話すお父さんはなんだか嬉しそうな顔をしていた。僕は、彼女の家ならクローゼットも広そうだよなぁと、余計な想像をしてしまった。

「家まで送るよ。車を回させよう」
「いえ、そんな…」
「お酒も入っているようだし。マリリンのお友達だ、丁重に扱わないとな」

携帯を取り出して電話を掛けると、間もなく以前見たロールスロイスが到着した。ハザードが点くと、初老の運転手が降りて来て、肩を貸してくれた。僕の方がよほど若いから、とても申し訳ない気持ちになった。そのままロールスロイスまで肩を借りて歩き、後部座席に乗り込んだ。

初めて乗る高級車の車内は広々としていて、新車のように輝いていた。赤いレザーシートの座り心地は家賃5万6千円の僕の家の、Amazonで購入した座椅子とは比較にならなかった。僕の隣にお父さんが座り、その隣ではジジが丸くなっていた。エンジンがかかり、間もなく車が走り出した。

「ありがとうございます」
こういう時、自分の語彙力の無さを怨む。もっと言うべきことが、幾らでも有るはずなのに。
「ありがとうはこちらの方だ。いつも娘の相手をしてくれて。学校ではどうにも浮いてしまって友達がいないようだから、最近はとても楽しそうなんだよ。変わった子だろう、彼女は」
はい、とはとても言えない。

「服装がいつも独特ですよね」
怒られるかも知れないと思いながらも、触れてみた。
「あぁ、妻がデザイナーなんだ。自分でコレクションなんかもやっていてね、娘の着ている服も、全て妻がデザインして作らせている一点物なんだよ。まぁ…、私はもう少し子どもらしい服を着させてやりたいんだけど、そこは妻の領域だからさ。私は家を空けることも多いし、口出し無用ってね」
苦笑いをするお父さんを見て、これだけのオーラを放っていても、家庭内ではいろいろあるのだなぁと、僕は思った。

「そう言えば、先日はカステラをもらって、ずいぶんと喜んでいたよ」
「いえ、粗末な物ですみません。カステラなんて、普段から食べていらっしゃるんじゃないんですか」
「確かにお歳暮や何かで頻繁に貰うのは貰うんだけど、妻が全て職場のスタッフに配ってしまうから、ほとんど娘は食べさせてもらってないんだ。妻はあの手の物はもう飽きてしまっていてね、スナック菓子のような物の方がよっぽどバラエティが豊かだと言って、家にあるのはそういう物ばかりだよ。でも、さすがに友達から貰った物まで没収は出来ないからな。だから、本当に嬉しそうだった」

その後も、マリリンと出会ってから今までのことを僕から話して、お父さんは「本当かい」と驚きながら、嬉しそうに聞いていた。
そして「我以外皆師、だね」と言った。「10歳の変わり者の少女の話を真剣に聞いて、それを行動に移すなんて、なかなか出来ることじゃない。そういう謙虚さを持つ君だから、きっと今順調に歩みを進めているのだろうね」そう言いながら、優しく微笑んだ。

ずいぶん前にアパートの近くには着いていたけれど、熱心に僕の話を聞くお父さんを見て、運転手が気を利かせて車を停めず、近場を走らせてくれていたようだった。話が落ち着いたタイミングを見計らって、運転手がアパートの側に停車した。

「普通に歩けそうかい」お父さんが問い掛け、「はい。もう大丈夫です」と僕は答えた。
「今日はいろいろと娘の話が聞けて、とても楽しかったよ。そうだ、今度ウチでクリスマスパーティをやるんだけど、嫌でなければ君も来てくれないかな」
「えっ...、僕がですか」
「あぁ。妻もきっと喜ぶし、何より娘が喜ぶ。私もこれから世に名前を轟かせる俳優さんと友人だなんて、鼻が高いよ」
「友人…ですか」
「うん。マリリンの友人は、私の友人だ」

車を降りると名刺を手渡された。僕はもちろん名刺など持っていないから、劇団名と名前を名乗った。差し出された右手を握り返して、僕らは別れた。

大丈夫とは言ったものの、さすがに体は嘘をつけない。フラフラと階段を登り、部屋に戻るとそのまま倒れるようにベッドで眠った。

目が覚めた時、まだ外は薄暗かった。時計は午前5時を回ったところだ。布団をかぶらずに眠ってしまったせいで、体が冷えていた。シャワーも浴びていなかったので、ユニットバスの浴槽にお湯を溜め、温まることにした。

お湯が溜まっていく音を聞きながら、昨日1日のことを思い返す。考えれば考えるほど、本当にあったことなのだろうか、頭を打って、夢を見ていたのではないだろうかと思った。それぐらい現実離れした1日だった。

服を全て脱いで洗濯機に入れようとした時、ジーンズのポケットに何かが入っていることに気がついた。中から出て来たのは、シワシワに歪んだ名刺。触った感じ、普通の厚紙では無く和紙のような高級な造りだ。マリリンのお父さんから手渡された名刺を、確認する余裕も無く眠ってしまったのだった。

名刺にはこう書いてあった。
『城山グループ 代表取締役CEO 城山譲二』
城山グループ。どこかで聞いたことがあるような…。

どうしても気になってしまい、スマホを取りに行き、そしてググってみた。液晶に映し出された検索結果を見て、僕は素っ裸のまま、呆然とその場に立ち尽くすのだった。

つづく

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