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マリリンと僕17 ~新たなる脅威~

オーディション当日。

僕はインターホンのチャイムの音で目を覚ました。時計は既に午前10時を回っている。今日のオーディションは11時の予定だ。飛び起きて玄関に向かいドアを開けると、そこにはマネージャーの萱森さんがニコニコしながら立っていた。
「ダメですよー、ちゃんと起きなきゃー」
一応注意をしてくれているが、笑顔だし、言葉にも怒気が全く込められていない。赤茶色のショートカットに童顔な萱森さんを見て、こんな状況なのに思わず「可愛い」とボソッと口に出してしまった。
「何言ってんですか月野さん。時間無いんでパジャマのまま着替えだけ持って来て下さい」
言われるがまま、着替えを持って部屋を出て、そのまま萱森さんの運転する車の後部座席に乗り込んだ。
「すみません、変な夢を見て起きてしまって、お酒飲んだせいでアラームに気がつかなかったみたいで…」
実際僕は、スマホのアラームを止めて二度寝をしていたらしい。全く記憶には無いが。
「言い訳しなくて良いんで、とりあえずそのまま着替えて下さい」
バッサリ斬られた。まぁ、確かに言い訳でしかないのは間違いない。
「すみません、着替えます」
「はい、そうして下さい。イケメンじゃなかったらアタシもうマジブチ切れてますよ。寝起きなのにイケメンって、結構反則ですからね」
サバサバした口調で言われたが、内容的には褒められている気もする。ツンデレさんなのだろうか。
「髪の毛とかは…」と僕が言いかけると、「必要な物は用意してあります。大体時間通りに始まることなんてあまり無いですから、間に合うっちゃ間に合うんです。準備する時間もたぶん十分ありますよ。着替え終わったら次は頭の方の切り替えして下さいね」
この短い時間の関わりの中で、仕事が出来る娘なのは十分に伝わって来た。
「後で何か奢って下さいね。本当は今日はアタシ、珍しく予定無かったんですから」
申し訳なく思った僕は「はい、何でも奢ります」と返事をした。根拠はないけど、彼女の言うことを聞いていれば、きっと上手く行くだろうと、そう思ったからだ。話をしている間も萱森さんは、ずっと笑顔だった。

指定された場所は渋谷区の神宮前。萱森さんの違反ギリギリのスピード感溢れる運転のおかげで、予定の15分前には到着した。そして聞いていた通りにオーディションの開始は遅れに遅れ、結局開始する頃には12時を過ぎていた。
「普通に主演クラスの俳優さんも呼ばれてるらしいんで」という萱森さんの言葉に、僕は余計になんでこの場にいるのだろうと思うしかなかった。

待ち時間の長さは、僕にとって天敵だ。例の緊張性の動悸に襲われる。萱森さんにバレないようにトイレに行き、しばらく個室に籠って心を落ち着かせていた。

実際にオーディションが始まると、淡々と進行されて、気づいたら終了していた。審査側のテーブルには武内さんの他に知らない男女が一人ずつ。聞いていた限り、男性はプロデューサーだと思うが、女性の方は帽子を深くかぶっていて顔もよくわからなかった。

自己紹介を簡単にして、後はプロデューサーらしき男性の質問に答え、そのままの流れで実技審査に入る。一人の演技と、相手を用意された2パターンの演技を行う。武内さんだけは時折表情を緩めてくれるが、他の2人はコメントするでも無く黙って見ている。何の手ごたえも無く、プロデューサーらしき人の「OK」という一言でオーディションは終わった。

「どうでした?」と相変わらず笑顔で聞く萱森さんに、「全然わからないです」と返事をすると、「そうですか」とそのままの表情で、あっさりと言われた。その反応を見た僕は「まぁいっか」と思った。
小山さんに言われた通り自分の思うようにやってみたし、萱森さんの反応を見たら、なんだか大した問題じゃないように思えて来て、どうでも良くなってしまったのだ。
「で、何奢ってくれるんですか?」と聞かれたので「何でも」と僕が言うと「じゃあ焼肉行きましょう」と即答された。帰省用にお金を多めに下ろしておいて良かった。

「こんな姿見られたら光助君に怒られちゃいますね」
光助とは劇団の同僚で親友である桜井のこと。そして萱森さんは桜井の従姉妹なのだ。
「まぁ、確かに」
言われるがままに焼肉屋に2人で入ってしまったが、見られたら怒られるシチュエーションではある。
「でも、もう手遅れですよ。90分一本勝負ですからね。じゃんじゃん食べますよ」
お金がない僕を気遣って、萱森さんはチェーン店の食べ放題を選んでくれたのだ。アプリのクーポンまで用意してくれる敏腕マネージャーっぷり。そして食べ始めに「胃下垂なんで」と言ってはいたが、大食いの番組よろしく90分間彼女は食べ続けたのだった。
「陽太さん食べないんですか?」
僕はウーロンハイを飲みながら、キムチやナムルをつまみにしていた。とは言え、肉もそれなりに食べたし、比較対象がちょっとおかしいだけだ。あと、芸名とは言え、気づいたら下の名前で呼ばれていた。お酒も大量に飲んでいるから、そのせいだろうと思うが。

会計を済ませて外に出てから車で来ていたことに気がついた。僕もだが、萱森さんはかなり酔っている。
「車どうするんですか?」
「どうしましょうかねぇ」
考えていなかったらしい。敏腕なんだかどうだかわからなくなった。
「このまま何処か泊まっちゃいますかぁ」
相変わらず笑顔で、しかも明らかにお酒が回っているから、発言の信憑性を測れないのが始末に悪い。さすがに「はい」とは言わないが。
どうしようかなと迷っていると、「おい」と男から声を掛けられた。
桜井だった。
「お前って奴は…」と桜井が僕を睨み、「陽太くんがどうしてもって言うからぁ」と萱森さんが言った。なんなんだこの四面楚歌は。
「ちっ…違うって。本当に違うんだって」
僕は全力で否定した。その反応を見て2人が急に笑いだした。
「バーカ、店入る前に由希から連絡もらってたよ。お前からかわれてんぞ、歳下に」
由希とは萱森さんのこと。
「えー、アタシは本当に一緒に泊まっても良いですぅ」そうおどけて萱森さんが言うと「お前ふざけんな」と桜井が怒る。自分もからかわれてるじゃんと思ったが、口には出さないでおいた。
「俺も脚本の打ち合わせで来てたんだ。とりあえず帰るぞ」

帰りの車内は桜井が運転席、萱森さんが助手席、僕が後部座席だった。僕たちを2人で並んで座らせるのは避けたのだろう。僕のアパートに着くまでの間、桜井はオーディションについて触れなかった。打ち合わせの時に何か聞いているのかも知れないな。そう思ったから、僕から聞くことは余計に出来なかった。

アパートに着き、桜井は僕を降ろして「じゃあな」と言い、そのまま萱森さんを乗せて走り去って行った。萱森さんは助手席で完全に眠っていた。僕は朝出るときに着ていたパジャマを脇に抱えてアパートの階段を上がりながら、昨夜の不穏な夢を思い出していた。長い一日を振り返りながら、僕は部屋に戻るのだった。

つづく

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