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真野さんと吉田くん 6話 〜長州の名月〜

9月9日金曜日。

僕は一人、職場のすぐ側にある公園のベンチで、お弁当を食べていた。真野さんは終わらせたい仕事があるらしく、昼休憩をずらして取るようだ。

「ねぇねぇ」
声を掛けて来たのは同じ部署のお局様の菊田さん。
「吉田くん、真野ちゃんと仲良いんでしょ?」
「はい。いろいろお世話になってます」
菊田さんの言葉には、いろいろな意味が含まれている感じがして、僕は形式的に返事をした。
「やめといた方が良いわよ。あの子、育ち悪いみたいだし、この会社だって前の仕事のコネで入ったって噂じゃない」
何故本人がいない場所でそんなことを言うんだろうかと、モヤモヤさせられた。
「あぁ、そうなんですね。知らなかったです」
聞きたくなかったから、曖昧に返事をした。そして菊田さんは別の場所にいたパートの藤田さんを見つけ、話し掛けに行った。

僕は反論出来なかったことが悔しかった。「そんな人じゃない」って言いたくても、真野さんの過去の事は、ほとんど知らない。

その日の帰り、「吉田、今日、この後ヒマか?」と真野さんが誘ってくれて、駅前の鳥貴族に行くことになった。

「真野さんはなんで今の会社に勤めることになったんですか」
呑み始めて1時間が過ぎた頃、自然な流れを装って聞いてみた。真野さんの顔は既に真っ赤だったが、なんとなく、僕の質問の意味が伝わったようだった。
「んー…まぁ、吉田なら良いか」
真野さんはそう言って話してくれた。
「この間別れた彼氏はさ、スナックん時のお客さんだったんだ。普通のリーマンなんだけど」
「あ、元カレさん、怖い人だと思ってました。刺青とかしてるタイプの」
「…吉田、お前、殴るぞ」
「あ、すみません」
「まぁ、いいや。それでな…、アタシが一目惚れしたんだ。でもさ、スナックの仕事のままじゃ付き合ってもらえないだろうと思って、それでスナック辞めたんだ」
「真野さんって、以外に真面目なんですね」
「吉田、なんかちょいちょい棘あるな」
「あ、ハイボールおかわりしますか」
「ごまかすなっつの」
僕はハイボールを2つ注文した。
「なんか、変わりたかったのかも知れない。このままスナックで年取るのも嫌だなって思ったから、スナック辞めて元カレと付き合ったのかも」
「はい」
やっぱり真野さんは真面目だ。
「スナック辞めてカタギ…普通の仕事しようと思ったんだけど、水商売しか経験無いからどうすりゃ良いかわからなくて、たまたま手元にあった名刺が今の会社の社長だったんだ」
「それで、どうしたんですか」
「いきなり電話して、全部説明した。そしたらなんか、電話口で社長泣いてて。わけわかんねーって思ったけど、事務員がちょうど足りないからって、そのまま採用してくれた」
わけわかんねーは、ちょっとひどい。きっと社長は感動したのだと、僕は思う。
「あれからもう4年かぁ。年取るわけだわ」
そう言って真野さんは、空を見上げ…いや、カウンターに貼られている『本日のオススメ』を眺めていた。
「なぁ、締めにとり天だし茶漬け食べても良いか?」
「良いですね。僕も頂きます」
お茶漬けを胃袋に押し込み、会計を済ませて店を出た。外はすっかり真っ暗だった。

帰り道、僕は昼休みにあったことを真野さんに話した。
「まーなぁ、そう思われても仕方ねーよな」
真野さんは受け入れていた。
「そんなことないです。今日の話聞いたら絶対そんなふうに思わないですよ」
僕は少し興奮気味だった。自分への苛立ちも、少なからず含まれていたと思う。
「吉田は優しいな。なんか、お前といると、ちゃんとしなきゃって思うわ」
感情の昂ぶりも手伝って、涙が溢れ出た。だけど真野さんは、僕では無く、空を見上げていた。タバコをふかしながら。
「今夜は月、綺麗だな」
真野さんも、とても綺麗です。
「明日が中秋の名月なんですよね」
今年は9月10日が中秋の名月だ。
「長州?チャーシュー?なんだそれ。それよりうさぎって、本当にいるんかなぁ」
真顔で言う真野さんが、僕にはとても可愛いらしく思える。
「明日か…。吉田さぁ、明日、ヒマか?」
「はい、もちろんヒマです」

今年の満月は、きっと人生で一番綺麗だ。

つづく

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