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マリリンと僕11 ~行く年来る年~

目が覚めた時、既に絵莉の姿は無かった。

身に纏っていた柑橘系の香水の匂いや、抱いた後の体の気怠さだけが、部屋の中に、体に、そして心に残されている。

テーブルの上には絵莉の書いたメモが置いてあり、スマートフォンには桜井から「連絡くれ」というメッセージが届いていた。

状況を整理する為に、僕はとりあえずホットコーヒーを入れることにした。

絵莉は「あなたの幸運にあやかりに来た」と言った。そして、積極的に僕とセックスをした。その直後に桜井から詳細不明のメッセージが届いた。なんとも悪い予感しかしない。

考えても仕方ないなと思い、桜井に電話を掛けることにした。

「お前、やっぱすごいな」
電話に出た桜井が、いきなりそう言った。
「ごめん」
良くない話だと思い、僕は反射的に謝ってしまった。
「ん、何が?」
どうやら違ったらしい。
「いや、なんでもない」
とりあえず誤魔化す。週刊誌とかネットに流出とか、そういうことではないようだ。電話が音を拾わないように、安堵の息を吐いた。
「なんだかわかんねーけど、とりあえず謝る癖はやめろ」
「ごめん。あっ、ごめん」
...自分でも呆れる。
「お前なぁ~。まぁいいや。あのな、首都テレビで毎週土曜日に、夜の11時から連ドラやってるだろ」
深夜帯ながら、挑戦的で独創的な作品が多く、若い世代を中心に注目されている枠だ。深夜にそぐわない高視聴率を叩き出す作品も少なくない。
「春の番組改編で始まる新しいドラマの主役候補で、お前に話が来てる」
「...は?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。確かに先日までテレビドラマに出演していたが、それはレギュラーですらない。主演となると全く話が違い、ちょっとピンと来ない。
「もう一つ。脚本は、俺だ」
「本当か!サク、すごいじゃないか」
率直に嬉しくて、驚いた。
「お前、人のことだと素直に受け入れるんだな」
確かにその通りだ。
「この間のクリスマスパーティの参加者に首都テレビのプロデューサーがいたらしくてさ。その人が武内さんともつながってて、それで小山さんのところに話が来た」
武内さんは僕が出演したドラマのチーフディレクターで、僕らが所属している劇団壱厘舎の主宰である小山春樹とは旧知の中だ。
「小山さん、『なんで俺じゃねぇんだ』って、嬉しそうに武内さんに絡んでたよ。どれだけ運持ってるんだって」
桜井が続ける。
「脚本は俺だけど、さすがにいきなりゼロからじゃなくて、原作があるらしい。俺はそれを急ピッチで脚本に仕上げろって言われた」
それがどれほどのことなのかも、僕にはピンと来ない。
「お前は年明けにあるオーディションに参加するんだ。何人か候補がいるから、どんなもんかそこで見たいって」
始めから主演選びの、候補者だけのオーディション。どんな人達が来るのか、想像するだけで身震いする。
「大丈夫だ、お前は運が良い。自信は持つな」
何を言われてるのか、よくわからない。普通は自信を持てとか、自分を信じろとか、そういう台詞を言うんじゃないだろうか。

「ただ、一つ問題があってな」
真剣な声色で桜井が言った。
「毎年ウチの劇団、春公演やってるだろ。その稽古のスケジュールと、時期が丸かぶりなんだ」
壱厘舎は毎年ほぼ同じスケジュールで公演を行っている。次の春公演から今までより収容人数の多い会場を押さえていた。僕がドラマ出演なんかで少し話題になったからだ。
「小山さんは何て言ってるんだ」
「あの人はイケイケドンドンなお方だから、お前が有名になってくのを楽しんでるよ」
そして僕が戸惑うことも楽しんでいる。
「それより、他の団員だ。元々後から入って来て、急に主演クラスの扱いになってるお前をよく思っていない向きもある」
薄々感じてはいた。僕が逆の立場だったら同じように思うかも知れないから、それを責める気にはなれない。
「特に菅原だな。あいつはお前にポジション取られて、一番割を食ってるからな。アイツがどう感じてるのか。場所も去年より大きい箱を押さえてるし、お前が出ないとなると、集客面も厳しい」
菅原は僕より年齢は2歳下だが、劇団に所属して5年目になる先輩だ。僕が入る前は、小山さんに次ぐ2番手として周りも見ていたようだし、忸怩たる思いでいることは容易に想像がついた。だが、桜井の見立てでは、まだ菅原では役不足だと言いたいようだ。
「その辺も含めて打ち合わせしたいんだけど、一旦は年始公演終わってからだな」
年始公演は収容人数150名程の小ホールで行う。僕はドラマの撮影を優先した結果公演に出演せず、代わりに主演を菅原が演じることになった。毎年恒例の公演で、小山さんの名前だけでも十分満員になるが、菅原にとっては存在感を見せたいところだろう。
「僕も出たかったよ」
「バカ。お前は今はとにかく顔を売れ。それが一番、劇団の為にもなる」
「わかった。じゃあ良いお年を。公演は客席で観させてもらうよ」
「あぁ。来年も頼むぜ、スーパースター」
そう言って、桜井は電話を切った。


結局モヤモヤがまた増えた。絵莉のこと。そして菅原のこと。春公演。こういう時は、どうしてもいつもの公園に気持ちが向かう。

とは言えまだ時間が早い。

すっかり冷めてしまった元ホットコーヒーを飲み干す。それからキッチンでトーストを1枚焼いてマーガリンを塗り、半熟の目玉焼きと粗挽きソーセージを調理する。バナナも1本食べて、少し早めのブランチを済ませた。

夕方までの間はゆっくり過ごそうと思い、なんとなくテレビを点けた。昼のワイドショーでは司会者とコメンテーターが、誰だかの不倫についてあーだこーだと話している。しかし、その内容はほとんど頭に入って来ない。僕の頭の中は、絵莉のことでほとんど埋め尽くされていた。そして、菅原とどう向き合うべきなのか。考えているようで思考が上滑りし、結局何も答えは出ない。そうしている内に時間が過ぎていった。

年末に掛けて大寒波が訪れると、気象予報士が言っていた。実際、ダウンにネックウォーマーの格好でようやく寒さが凌げるほどに、外の空気は凍てついている。

自販機で缶コーヒーを買い、公園に向かうと、ジジを追いかけて走り回るマリリンがいた。僕のあげた黒猫のマフラーをしているが、服はいつも通りのロリータファッション。寒くないのだろうかと思うと共に、その存在に違和感を感じなくなっていることを、我ながら不思議に思った。

「寒くないの?」と僕が聞くと「これ全部防寒素材で出来てるねん」とマリリンが言った。なるほど、さすがデザイナーの母。ジジも何か着せられているが、あれもきっとそういう素材なのだろう。猫に着させて良いのかな。

絵莉のことは上手く端折りながら、今感じているモヤモヤについてマリリンに話した。

「釈然とせぇへん。釈然とせぇへんわぁ」
絵莉について触れていないから、話の内容を不自然に感じているのか、なんだか難しい顔をしている。
「なんでウチのオカン、じゃがりこのことだけであんなにキレるんやろ。釈然とせぇへんわぁ」
全然関係無かった。僕の話が丸ごと関係無かった。
「何かあったの?」
とりあえず聞いておこう。
「オカンの食べかけのじゃがりこ、残ってたの全部食べてん。そしたらめっちゃキレられてん」
まぁ、確かに大人気ないとは思うが、マリリンも本当に学ばないな。
「それは一応確認はした方が…」
もう既に不満そうな表情が完成している。
「全部言うても残り10本くらいやで?もう結構食べてるやん?もう満たされてるんちゃうん?クリスマスケーキちゃうねんで?じゃがりこやで?今年43歳やで?笑って許してくれたらええんちゃうの?」
「まぁ…ね。」
どっちもどっちだね。口には出さないけど。
「オトンの師匠の松っさんがな、ケンカしてもええけど、そのケンカ相手のことも好きになれるようになりたいて、そう言うててんて。でも、オカンの怒り方からは愛を感じられへんねん」
「そんなことはないと思うよ。マリリンにはちゃんと愛情注いでると思う」
マリリンが僕を疑いの目で、じぃっと見ている。思わず目を逸らしてしまった。
「兄ちゃん、思ってないこと言うたらあかんで。バレバレやん。オカンのお菓子への愛情は、ウチへの愛情より強いねんて」
否定することは諦めよう。

「ケンカ相手も好きになれるように、か」
その言葉が、気になった。松っさん、確か松下幸之助さんのことだった気がする。僕の今の気持ちに、何か訴え掛けているような感じがした。
「で、なんやったっけ?彼女に逃げられた話やったっけ?」
そんな話はしていない。していないのに、何故か心の核をかすめていく。
「兄ちゃん、去年よりイケメンになったと思うで。なんやオーラ言うんかな、出て来たと思う。でも、気ぃつけや」
「え?」
「あ、そろそろ帰らなあかん。そや、今朝オトン、アメリカに行ってもうたんやけど、兄ちゃんにもよろしく言うてたで。兄ちゃんのことごっつ気に入ってるみたいや」

「ほなっ」と言って、1人と1匹がドタドタと走り去って行った。「気ぃつけや」って、何のことだろうか。あと、松っさんの言葉も気になった。

『争も必要、対立することもあっていい。だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい』
                           松下幸之助

スマホでググった検索結果。たぶんこれのことだろう。イエス・キリストの「汝の敵を愛せよ」と同意義の言葉かな。

僕は菅原を敵だなんて思っていないけれど、菅原はどうだろう。一度ちゃんと向き合って、切磋琢磨して劇団を大きくしたいと僕は思う。年始公演の後で、声を掛けてみよう。

なんだかスッキリしない年越しになりそうだな。

そう思って見上げた夜空には、風と共に踊るように、粉雪が舞っていた。

つづく

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