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真野さんと吉田くん 1話 晴れのち雨、夕陽のち虹。【短編小説】

「雨ですね、真野さん」
僕が言った。
「雨だね、吉田」
真野さんが言った。

朝の天気予報では一日晴天だと言っていた。
だが、オフィスの窓の向こうには、雨雲から降り落ちるザーザー降りの雨。

「日本中の天気予報士さん、怒られちゃいますね」
「うん、誹謗中傷の豪雨だな」
「上手いですね、真野さん」
「だろ、吉田」
ドヤ顔の真野さんが、なんだか可愛い。

真野さんは、職場の三年先輩だ。少しやさぐれた夜の女っぽい雰囲気があるが、仕事はテキパキとこなすし、教え方も丁寧。言葉遣いはぶっきらぼうだけど、その声色は優しい。

「僕、洗濯物干しっぱなしなんです」
「あーあ。やっちゃったね」
「帰るまでにやむと良いんですけど」
「本当に。まぁでも、雨もたまには必要だよね。天の恵みだからさ。…アタシちょっとタバコ吸って来るわ」

そう言って真野さんは喫煙室に向かった。休憩時間の終わり際に一服するのが真野さんのルーティン。僕も一緒に行きたいけれど、僕はタバコを全く吸わない。

結局雨は終業時間になっても降り続いていた。

「やまなかったですね」
「ねぇ。あー、まいったな」
「どうかしたんですか?」
「傘、忘れた。カバンいつもと違うの持って来たから、折り畳み傘入ってないんだわ」
「送りましょうか?でも、彼氏さんに怒られちゃいますかね」
真野さんには恋人がいる。
「んー、どうしよ。濡れたい気もするし」
どういう意味だろう。まぁ、無理だよな。オフィスには誰かの置き忘れの傘もあるし。
「別れたんだ」
少し間を置いて、真野さんはそれだけを言った。それだけしか言わなかったけれど、どこか切なげな表情が、僕に意味を教えてくれた。
「途中まで送らせて下さい」
恵みの雨だ。
「じゃあ、お願いしよっかな」
僕らは一緒に帰ることになった。

モスグリーンのセットアップに白のカットソーと、足元はアディダスのスタンスミス。そして明るめのベージュに染めたワンレングスのロングヘアーは、真野さんのトレードマークだ。

僕はと言えば、量販店で買った安物のスーツと革靴。ネクタイはずいぶん前に親からもらった物だ。心の中で「隣は似合わないかな」と思いながら、一人心を躍らせていた。

オフィスを出て、近所のコンビニに向かう。たったの5分くらいだけど、相合傘のこの5分間は、僕にとってこの上無く幸せな時間。

隣を歩く真野さんからは、タバコの匂いを消す為のフレグランスの香りがした。三年しか変わらないのに、何もかもが大人っぽく見えた。

「あれ、雨、やんでない?」
真野さんが言った。見上げると、確かに雨が上がり、雲の切間から綺麗な夕陽が差し込んで来ている。
「真野さん、僕、お役御免ですかね」
「そうっぽいな、吉田」

普段なら嬉しい太陽が、今日ばかりは憎たらしく思えた。大事なたった5分の内の、2分も奪われたのだから。

「吉田さぁ、この後、暇?」
仕事の後、用事がある日の方が珍しい。もし予定があっても、今日はキャンセルだ。
「はい、今日は空いてます」
いつでも空いてます。
「愚痴、聞いてくんない?」
「はい、何でも聞きます」
「じゃあ、すぐそこのベローチェで良い?喫煙スペース広いんだ、あの店」
「僕はどこでも大丈夫ですよ」
真野さんとなら。

僕の心に、虹が架かった。

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