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真野さんと吉田くん 第5話〜市民プールの2人〜

「吉田、あんまこっち見んな」
「見てません」
「いや、チラチラ見てるだろ」
「見てません」

夏真っ盛りの7月最後の週末、僕と真野さんは市民プールに来ていた。

市民プールと言っても「市外からも人が集まるように」とはりきって作ったものだから、ウォータースライダーや流れるプールなんかもある。それでいて大人500円という破格の安さ。他に何も無い街にこんな立派なプールを作った物だから、その時の女性市長さんは「スウェット着てクロックス履いてヴィトンのバッグ持ってるセンスのねぇギャルみてぇだ」なんてネット上で批判を受けて病んでしまい、次の市長選を辞退した。

そんな市民プールだけど、結果として大成功で思惑通りに市外からも人がわんさか来る、市のシンボルになった。元市長さんは、当時の恨みつらみを未だにブログに綴っていて、暴露本も計画しているという噂もあるらしい。

「絶対見てるって」
「絶対見てません」

真野さんの水着はオリーブ色のシンプルなビキニ。布面積はかなり狭め。「運動全部嫌い」というインドアな真野さんの肌は白くて綺麗だし、胃下垂だというその体型はスレンダー。やさぐれた“夜の女”っぽさも相まって、僕が見なくたって男性の目線をかなり集めている。全く見ずに会話が出来るわけもないから、当然僕も見る。そもそも一緒にいるのに見るなって、ちょっと理不尽過ぎですよ。

何故僕たちが市民プールにいるかと言うと、6月が会社の決算月で、その夜の打ち上げでビンゴゲームがあり、真野さんが市民プールの無料チケットをもらったから。同じ部署に一緒に行く相手がいないらしく「吉田…さぁ、お前、お盆休み、暇…だろ?」とぎこちなく僕が誘われたのだ。

確かに僕は基本的に予定は無いし、真野さんに誘われたら予定が有ってもキャンセルするけれど、誘い方が雑だなぁと感じたのでちょっと意地悪を試みた。

「あ、僕予定が有って無理かも知れません」
勿論嘘ですけど。
「えぇー、…じゃあここの土日は?」
「その日もたまたま予定が…」
「えぇー、マジかぁ…」
何故だか真野さんが本気で凹んでいるから、ここまでにしよう。
「嘘ですよ。僕はいつでも大丈夫です」
「本当に?」
「本当です」
「無理してない?」
「大丈夫です」
僕がそう言うと、真野さんはわかりやすく笑顔になった。
「前に働いてたとこでお客さんから水着もらったんだけど、ずっと着ないままでいたからさ、せっかくだから着てみようと思ってさ」
「はい、楽しみにしています」
本当に。

そんなわけで、僕たちは今、ここにいる。

真野さんは「泳げないから」と言って浮き輪を借りてぷかぷかと浮いていた。職場では3年先輩だし年齢も2歳上で見た目も大人っぽいのに、時々やけに子供っぽい。そういう真野さんの姿を見ると、僕はとても幸せな気分になるのだ。

「真野さん、ウォータースライダー行きましょう」
「絶対嫌だ。高いとこ無理」
「大丈夫ですよ、ただの滑り台ですから」
「無理。絶対死ぬ」
「誰も死んでません。行きましょう」
「お前…最近ちょっと意地悪くないか」
「そんなことありません。さぁ行きましょう」
「ちょっと、待てってば」

渋い顔の真野さんの手を引いて、ウォータースライダーに向かう。こうして手をつなげただけでも、今日来て良かったと思う。

真野さんは怖さでほとんど目を瞑ったまま順番待ちをしているから、その間僕はずっと手を引いていた。「先に行きますか?」と聞くと「無理。吉田が先行け」と青ざめた顔で真野さんが言った。軽い罪悪感を感じながら先に滑り降り、真野さんを下で待つ。

間もなく滑り降りて来た真野さんが、ザブゥンッという音と共にプールに飛び込んだ。
「ここ、三途の川か?」
「違います。市民プールです。三途の川に僕はいません」
「っつかさぁ、あの係員のやつ『ちょっと待てよ』って言ってんのに『後ろがつかえてるんで』って急かしやがってさぁ」
ぶっきらぼうに言っているけど、今にも泣きそうな、情けない顔をしている。真野さんのこういう弱い部分は本当に可愛いらしい。水に濡れた体が陽光でキラキラと輝いていて、白い肌の綺麗さが際立っていた。
「だーかーらー、見るなってば」
「見てませんよ」
来てからずっと見てますけどね。

「あー腹減ったぁ。メシ食おうぜ、メシ」
水着を着るからと、朝食を食べずに来たらしい。
「外で食べましょうか」
「うん。なぁ…ビール、飲んで良い?」
「じゃあ、僕も飲みます」
僕もお酒は飲める。
「タ…タバコも吸っても良いか?」
「着替えたら喫煙所行きましょう」
僕はタバコは吸わない。一緒にいられない時間はちょっと残念だ。

お昼過ぎにプールを後にして、喫煙所を挟んで結局夕方頃までファミレスで過ごした。テーブルに並んでいるのはビールとサラダと唐揚げと、フライドポテトにマグロのユッケ。全くファミレスらしくないラインナップだ。

仕事の愚痴だったり前の仕事のお客さんの話だったり、真野さんの話を聞きながら「周りからは僕らはどういうふうに見えているのかなぁ」なんて考えていた。同僚か、友人か、姉弟か…恋人同士に見られたりもするのかな。

「よひだぁ、今日もありがほなぁ」
真っ赤の顔の真野さんは、お酒でほとんど呂律が回っていなかった。ありがとうはお店に入ってからもう10回以上言ってくれていた。

こちらこそ、楽しい時間をありがとうございます。

またひとつ、夏の思い出が増えた。


つづく?

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