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兄弟喧嘩をしたい
僕の身体の腰骨くらいの背丈の子ども二人がスーパーマーケットで殴り合っていた。
服や髪型、顔の系統からしてどうやら兄弟である。
激しく殴り合ってはいたが、互いに悪言雑言を浴びせるような様子はなく、控えめな「おりゃー」とか、「ぶしーっ」と、殴ったときの効果音を発していて微笑ましい殴り合いだった。
もはや殴り合いという言葉は不適切なようにも感じる。これは一種の「戯れ」である。
そしてこの戯れ的殴り合いは喧嘩をしている様子ではなかった。きっと大乱闘スマッシュブラザーズのやりすぎか、仮面ライダー、あるいはポケモンの技を模倣しているのかもしれない。
だが、絶対に予想できるのはこの戯れ的殴り合いは喧嘩へと発展することだ。スマブラも仮面ライダーもポケモンも、引き分けで終わることなどない。どちらかが勝者で、どちらかが敗者に終わる。まるで資本主義の構図を表しているかと思うくらい残酷なものである。
だから無論彼らの殴り合いもどちらかが勝ち、どちらかが負ける。負けた方は泣く。あるいは負けた言い訳をする。勝った方は勝った方で、言い訳されたことが気に食わない。それに泣かれて為せることなどない。
よって喧嘩がはじまる。
思い返せば現在高校生である弟とよく喧嘩したものだ。彼がまだ5歳とかだったかな。高い声と、ちゃんちゃらふざけた顔でちょっかいをかけてくるのだ。「うぇーい」と訳の分からない、特に意味のない言葉(奇声)を発して。
宣戦布告をされて無視するといった選択肢は当時の僕は持ち合わせていなかったから、家でも外でも彼の顔ゲーが発端で鬼ごっこ的な遊びをしていた。そして喧嘩をする。
今では僕が彼を笑わせようと必死に努力しても無視される一方である。まさにこの逆。ハタチ過ぎた僕が高校生の弟に変顔をして宣戦布告するのだが、彼はチラっと見て、何事も無かったように視線を元にあった場所へ戻すのだ。表情を一切変えずに。関心の「か」の字もない。
あの兄弟みたいに、あのときみたいに、また弟と兄弟喧嘩したいものである。
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!