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今も春を刻んで

蒸されて汗噴く、熱帯夜に。彼と会うためだけに、駅へ。制服ではなく大学生らしい私服で。朝ではなく夜ではあるが、あの頃歩いた道をなぞるようにして向かった。白色の蛍光灯に照らされる駅の改札口で彼と再会したとき、またあの時に戻ったみたいな感覚になる。

僕は大学に入学してから服の系統も変われば髪型も変わったし、眼鏡だって常時かけはじめた。ヨシキだって赤いスポーツ眼鏡をしていたのに、今じゃコンタクトレンズが瞳に内包されている。短く癖のある髪は長くなって、パーマをマットなワックスで整えている。かつての面影はあるけれど、街中ですれ違ったら何も気づかないと思えるほど変わった。

でも僕らは見た目以上に性格も変容しているのではないかと思う。高校生までは良い意味でも悪い意味でも空気が読めなかった。少なくとも僕は。でも今は違う気がする。「大人びた」とでも言うべきか。それが少しだけ寂しかったりする。でも、彼の瞳にコンタクトレンズが内包されても相変わらず細い一重瞼。ハスキーでツンとした今も昔も変わらない声。そんな普遍的な彼の要素のおかげで、あのときに戻れる気がした。

僕たちが顔を合わせるのは何年ぶりだろうか。お互いオンライン上でつながっていても実際にこうして対面することは久しい。

「卒業してからもう三度目の春だね」

僕がそう言うと、ヨシキは威勢の良い声で「真夏だわ!」とツッコミを入れた。そのあとで彼は、「懐かしい」とつぶやくようにして言う。僕たちは音楽の授業でドリカムの『未来予想図Ⅱ』を共に合唱したから、世代でなくても冒頭の歌詞がここで通じる。現役高校生だったあのときに『未来予想図Ⅱ』を歌うなんて、歌詞の意味を本質的に理解できないから歌えっこないのに—。でも今ならその歌詞がなんとなく分かる気がする。

僕たちは音楽の授業の話から始まって、高校時代を回想しながら東口へと歩いた。

「懐かしい」「あいつ今何やってるんだろうね」

その日僕らは何度そう言ったことか。話しを弾ませながら洒落た飲み屋に入って、ヨーロッパ圏産のビールを頼んだ。僕は数日前に二十歳になったばかり。その誕生日の席に両親とお酒を飲んだくらいで、友人とは初めて飲んだお酒だった。だからビールの味も未だによく分からない。でもなんとなく恰好つけて黒ビールを頼んでみた。同じものだとつまらないからと、ヨシキはフルーティーなビールを。付け合わせに適当な揚げ物のつまみを注文した。

若い女性の店員が慣れた手つきで中ジョッキを持ってきて、僕らは乾杯した。お互いジョッキに一口つける。ヨシキは喉越しを感じると同時に顔をしかめて口を開いて、吐息を漏らした。自分で自分の顔が見れないけれど、ヨシキの顔が鏡みたいに僕の目に映ってなんとなく自分が今どんな表情なのかがわかる。

体育の授業でバスケットボールを必死に追いかけた後、水道場の蛇口から水を飲んだあのとき。冷たくも新鮮でもない水道水が不思議と美味しくて、ガブガブと飲んだ。彼の表情はそのときと同じだ。でも今じゃビール。それもゆっくりちびちびと飲む。

「もうこんな年になるとはねえ」

それでも、ヨシキといれば僕のテンションはあのときのままだ。言語化するのは難しいが、いい意味で忖度せずに心地良く過ごせる。片手にお酒を持っているけれど、彼と過ごす時間は少年のときのままだ。

その洒落た店でもっとお酒を頼んでもよかったが、なんとなく外へ出ることにした。高校生のときと同じように、僕らは気分に赴くまま行動をした。

「海でも行かない?」

僕からの提案である。海は僕らの聖地だ。校舎から海が見れたし、学校から海が近いこともあってよく遊びに行った。遊ぶといっても石を海に向かって投げたり、打ち寄せる波に近づいては走って逃げてを繰り返したり、疲れたら土手で海をぼーっと眺めたりするくらいだ。学校のボランティアとしてその海で清掃活動も行った。

とはいえ、夜の海は真っ黒だった。決して綺麗ではないし、視界もよく見えない。あんなに青かった海は、こうして大人になって真っ黒になってしまったのか。ヨシキと一緒に土手へ腰掛ける。コンビニで買い足した酎ハイをまた乾杯して、黒い海をぼーっと眺めた。でも、環境がいくら変わろうと、また僕たちは阿呆な話しかしない。それは、高校時代の話もそうだけれど、現在の話だってヨシキとなら面白可笑しく語り合える。

僕たちの未来は真っ黒の海にみたいに不確実性に溢れているけれど、立ち止まってみれば彼が隣に。今度鎌倉へ行く約束をして、空っぽになった缶チューハイを手にして僕たちは駅へ戻った。

「じゃあな」

彼からの端的な別れの挨拶はあのときと同じだ。高校時代も駅の改札口で、僕たちは別れそして次の日学校で再開し、また別れ再開を繰り返してきた。まるでまた明日会えるかのような別れ方をされた。

彼と会って、話して、再確認したこと。それは、僕たちの青春は僕たちの重要文化財だということ。しかしいくら写真を撮っても記事を書いても思い出は確実に風化するものだから、完璧に保護することができない。

でもこうして彼と会えば、彼と過ごす自分はあのときのままだ。彼だって、あのときと同じだ。こうして今も春を刻んで、僕たちの青春は続いていく。青春を、残したい。築きたい。今だって青春の延長線だ。



#未来に残したい風景



「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!